1985年、3人で148盗塁を記録
スーパーカートリオとは、1985年に日本プロ野球の横浜大洋ホエールズでトリオを組んだ高木豊、加藤博一、屋鋪要の俊足打者3人を指す。
3人の盗塁数は高木が42盗塁、加藤が48盗塁、屋鋪が58盗塁の合計148盗塁だった。
1チーム3人以上が40盗塁を同時に記録したのは日本プロ野球史上でもこの一度だけである。
また、3人揃ってリーグ最多三塁打5を記録している。
1番 高木豊(たかぎゆたか)1958年10月22日生まれ
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2番 加藤博一(かとうひろかず)1951年10月9日生まれ
加藤博一(背番号44)
83年に阪神から大洋へトレード。
1年目は代走中心だったが84年復調、85年には自己ベストの48盗塁を記録。
86年にはオールスターにも出場した。
1063試合 628安打 打率.271 23本 176打点 169盗塁
1年目は代走中心だったが84年復調、85年には自己ベストの48盗塁を記録。
86年にはオールスターにも出場した。
1063試合 628安打 打率.271 23本 176打点 169盗塁
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3番 屋鋪要(やしきかなめ)1959年6月11日生まれ
屋鋪要(背番号31)
82年スイッチヒッターに転向。
83年は打率.287を記録してレギュラーに。
84年は打率.305で初の打率三割をクリアした他、ゴールデングラブにも選出された。
85年に58盗塁を記録、打撃でも打率.304、15本塁打78打点という好成績を出した。
1628試合 1146安打 打率.269 58本 375打点 327盗塁
83年は打率.287を記録してレギュラーに。
84年は打率.305で初の打率三割をクリアした他、ゴールデングラブにも選出された。
85年に58盗塁を記録、打撃でも打率.304、15本塁打78打点という好成績を出した。
1628試合 1146安打 打率.269 58本 375打点 327盗塁
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『スーパーカートリオ』名前の由来
1985年に横浜大洋ホエールズの近藤貞雄監督がチームの俊足打者3人を1番高木豊、2番加藤博一、3番屋鋪要の打順に並べてスポーツカートリオと命名したが、後にマスメディアがスーパーカートリオと名付けて報道したので、この名称が定着した。
当時野球解説者だった長嶋茂雄が言い間違えたのが定着した原因ともいわれている。
『スーパーカートリオ』のエピソード
1985年シーズン前の春季キャンプ時にそれぞれ監督室に呼ばれ、近藤監督から「50個アウトになってもいいから、100個走れ」と言われた。横浜スタジアムは当時では最も広い本拠地球場であり、大洋は「足で勝つ」という意識が高く、実績が無くても走れる選手がどんどん一軍に上がってきた。
加藤は、レオン・リーが調子を落としていた時に「3人が塁上でウロウロするから集中出来ない」と監督に言ったところ、「ウチは走るチームだから我慢しろ」と言われたという話を通訳の人を通して聞き、「この監督の下ならいくらでも走っていられる」と思ったという。
よく3人で何時間もビデオ室にこもり、それぞれが気付いた投手の牽制のクセなどを話し合っていたという。
高木はミートと選球眼に長け、加藤は初球からは打ちにいかずに打席で粘った。屋鋪は当時の球界で一番足が速いと評価されていたが、チャンスメイクするよりもクリーンナップ向きの打者だった。
1987年からは加藤の代わりに高橋雅裕を加えたニュースーパーカートリオが結成された。
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83年から4年連続打率3割、90年から92年にも3年連続3割をマークするなど大洋・横浜のリードオフマンとして活躍した。
1628試合 1716安打 打率.297 88本塁打 545打点 321盗塁