【野村収】史上初全12球団から勝利したピッチャー!1978年には最多勝も記録
2022年12月1日 更新

【野村収】史上初全12球団から勝利したピッチャー!1978年には最多勝も記録

セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手はわずか3人です。その一人が、今回ご紹介する野村収。しかも、最多勝のタイトルも獲得したことのある実力派です。あの江夏豊でさえも達成できなかった驚異的な記録。そんな野村投手の各球団初勝利の軌跡を振り返ります。

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全球団勝利を達成した投手はわずか3人

セ・パ交流戦がなかった頃、公式戦セ・パ全12球団から勝利を挙げるのは至難の業でした。交流戦があれば最低2球団に所属すれば達成できる記録ですが、交流戦がないと少なくともセ・パ各2球団(計4球団)に所属しないと達成できません。5球団を渡り歩いた大投手、あの江夏豊でさえも達成できなかった大記録。12球団になった1958年から交流戦が始まる前年の2004年までで、全球団勝利を達成した投手は以下の3人です。

野村収(1983年に達成)
古賀正明(1983年に達成)
武田一浩(2002年に達成)


今回はこの中から、史上初めて全球団勝利を達成した野村収の記録を振り返ります。

全12球団初勝利の記録を、時系列で見てみましょう。

【昭和プロ野球】日本プロ野球史上初!4球団を渡り歩き12球団から勝ち星を挙げた男「野村収」

1970年10月26日 ヤクルトアトムズ

野村は、プロ入り前は、駒澤大学のエースとして活躍。1年下の大矢明彦とバッテリーを組み、4年の春季リーグでチームを優勝に導きます。最高殊勲選手にも選ばれ、一躍プロ注目の選手に。史上最高の豊作と言われた1968年のドラフト会議では、大洋ホエールズから1位指名を受け、プロ入りを果たします。

入団初年は1試合の登板に終わるものの、1970年は主に中継ぎとして28試合に登板。この年唯一の勝利が、ペナントレース最終戦の10月26日ヤクルト戦でした。なんと先発で9回1失点に抑え、プロ入り初勝利初完投勝利を同時に達成します。

1971年7月25日 広島東洋カープ

翌1971年からは先発ローテーションに加わり、登板機会が増えます。最初は2連敗しますが、7月は3連勝。その2勝目が、7月25日広島戦でした。9回を2失点に抑え、見事完投勝利を収めます。

1971年7月29日 阪神タイガース

そして、3連勝の3勝目が、7月29日阪神戦。9回を無失点に抑え、ついにプロ入り初完封勝利を収めます。

結局この年は、4勝3敗防御率2.24の好成績でシーズン終了。チーム全体でも、平松が最多勝を上げ、山下、鬼頭らの活躍もあり、チーム防御率はセ・リーグ1位を記録しました。ところが、シーズンオフにまさかのトレード放出。江藤慎一との交換トレードが成立し、ロッテオリオンズに移籍します。
大洋ホエールズ時代の野村収

大洋ホエールズ時代の野村収

1972年5月20日 西鉄ライオンズ

ロッテに移籍すると、初年にいきなり大活躍。身近に長年手本にしていた大投手・小山正明がいたこともあり、大きな成長を遂げます。パ・リーグ初勝利は、5月20日西鉄戦。先発でエース東尾と投げ合い、見事完封勝利を収めます。

1972年5月23日 阪急ブレーブス

パ・リーグ初勝利の3日後、中2日ながら、5月23日阪急戦に登板。先発・小山正明の後を受け、同点の9回表からリリーフします。10回表まで無失点に抑えると、その裏、味方打線が1点取ってサヨナラ勝ち。勝利投手となりました。

1972年6月6日 近鉄バファローズ

5月31日東映戦は、8回を投げるも惜しくも引き分け。そして、中5日で6月6日近鉄戦に登板します。この日は、先発メンバー9人のみで戦い、野村は2失点完投勝利。この後、6月10日阪急戦、6月21日、28日西鉄戦にも勝利し、引き分けを挟んで6連勝を果たしました。

1972年8月5日 南海ホークス

7月は連敗を喫しますが、8月5日南海戦で勝利。南海の強力打線から8安打打たれるも、相手の拙攻や失策に救われ、2失点完投勝利を収めます。

1972年8月9日 東映フライヤーズ

中3日で登板した8月9日東映戦。味方打線が序盤で大量得点を挙げ、7回終わって7対1と楽勝ムードでした。ところがその矢先の8回、野村が捕まります。まず、8回に2失点。9回も打ち込まれ、結局完投できず、木樽がリリーフします。最後はなんとか逃げ切り、7対6の辛勝。野村は、6失点ながら勝ち投手となり、これで自球団を除く全てのパ・リーグ敵チームから勝ち星を挙げました。

この年の最終成績は14勝10敗。移籍初年で、初の二桁勝利を記録します。
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