【1985年から27年間バッピを続けた職人】広島カープ・井上卓也さん
2017年12月5日 更新

【1985年から27年間バッピを続けた職人】広島カープ・井上卓也さん

プロ野球の世界では、公式戦で投げるピッチャーではなく、練習で打者のために投げるピッチャー(打撃投手)がいます。裏方さんではありますが、むしろ一軍のピッチャーより難しいその打撃投手の仕事を27年間続けた人をご紹介します。

2,119 view

今回は、こちらの書籍を参考にさせていただきました。

Amazon | 打撃投手 天才バッターの恋人と呼ばれた男たち | 澤宮 優 | スポーツ

1,512円(2017年12月1日現在)。
Amazon配送商品なら打撃投手 天才バッターの恋人と呼ばれた男たちが通常配送無料。更にAmazonならポイント還元本が多数。澤宮 優作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。

「バッピ=バッティングピッチャー」の難しさ

バッティングピッチャー、略して「バッピ」と呼ばれる仕事。
日本語では打撃投手と言われています。

一般では、プロ野球で大成しなかった投手がおさがりでやる仕事、というイメージがありますが、決して普通の人に務まる職業ではありません。
むしろ、一軍で活躍している投手より「ある部分で」優秀でないと務まらない職業なのです。

「打者の要求する球を」「毎日」提供する「職人技」。

公式戦に出る投手は、言ってしまえば、「バッターに打たれずに、アウトを取れれば何でもアリ」のようなところがあります。
コントロールに難のある投手でも、裏を返せば、「球種を絞らせない」というメリットになり、「荒れ球」として、「コースはボールに聞いてくれ」というような感じで成功した投手も数多くいます。

しかし、バッピは、そういうわけにはいきません。
打撃の練習に臨む打者に投げるわけで、ストレートが欲しいと言われればストレートを、カーブが欲しいと言われればカーブを、必ずストライクゾーンに投げなければその職務を達成できません。
公式戦の投手は、「打たれないボール」を投げるのが務めですが、バッピは、「必ず打てるボール」を投げなければいけないのです。
荒れ球なんて、とんでもないことなのです。
イチローに尊敬される天才打者・前田智徳さん。

イチローに尊敬される天才打者・前田智徳さん。

天才職人に対しては職人技を持つサポーターがいることが必要。

詳しくは上の記事をご覧いただきたいと思いますが、広島の大打者・前田智徳さんは同時に、「野球道」どころか、「武士道」のようなものを持った、非常に「こだわりの強い」方です。
今回ご紹介する広島のバッピ・井上卓也さんは、この前田智徳さんの「恋人」とも言える、信頼された打撃投手です。

井上卓也さんのプロフィール。

井上卓也さんは、昭和32年、愛媛県に生まれました。同じ年に、彼の職場となる広島市民球場が完成しています。
社会人野球を経て、昭和54年にドラフト外で広島に入団。この年のドラフト1位は片岡光宏さん。そしてチャンスにめっぽう強い長嶋清幸さんがいます。

[広島東洋カープ]#0長嶋清幸 応援歌

youtubeコメント欄より引用。
応援の掛け声は、
「ミラクルパワーでホームラン
チャンスに強い男」
井上さんが入団した昭和54年は、広島が2年続けて日本一になった年でした。北別府さん、大野さん、池谷さんなど、錚々たる投手陣で、井上さんの出る幕はありませんでした。
入団3年目の9月の下旬、チームの順位も決まり、残り10試合という消化試合の中、井上さんは一軍のマウンドに立ちます。
打者11人、3イニングを投げ2本のヒットを打たれますが、無失点に抑えます。
これが、井上さんの「公式記録」のすべてです。

特にケガもしなかったのですが、昭和59年、プロ5年目で戦力外通告を受けます。

「打撃投手」としてのはじまり。

この時、球団から打撃投手をやってみないかと打診されたのが、その後27年間投げ続けるきっかけになりました。
背番号は「68」になりましたが、打者からは、現役時代に着けていた53番をもじって、「ゴーさん」と呼ばれるようになります。

常勝軍団の打撃投手の難しさ。

常勝赤ヘル軍団のスター達の練習のために投げる。

常勝赤ヘル軍団のスター達の練習のために投げる。

井上さんが打撃投手を始めた頃の広島は、まさに黄金期であり、山本浩二さん、衣笠祥雄さん、高橋慶彦さんなど、スター選手が勢ぞろいしていました。
その中でも難しかったのが衣笠さんだったと言います。

連続出場記録。

31 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【セ・リーグ3連覇、そして日本一は?】大野豊・野村謙二郎著【広島カープ最強伝説の幕開け】

【セ・リーグ3連覇、そして日本一は?】大野豊・野村謙二郎著【広島カープ最強伝説の幕開け】

一昨年(2016年)昨年(2017年)と、セ・リーグを制覇したのは見事ですが、1984年以来日本一になっていないという厳然たる事実がある広島カープ。1984年って何年前?と数えるのも大変な状況に変わりはありません。今年こそは!、というカープファンも多いと思います。カープのレジェンド・大野豊さんと野村謙二郎さんが「広島カープ最強伝説の幕開け」という本を著しています。
【ワンポイントリリーフで1点も与えない美学】広島カープ【清川栄治投手】

【ワンポイントリリーフで1点も与えない美学】広島カープ【清川栄治投手】

80年代、広島カープには、左サイドから変則的な投球をし、左打者を手玉に取った投手がいました。彼の名は清川栄治。ピンチの時に打者1人だけのために登板する試合も多く、438試合連続救援登板の記録も持っています。
ジバニャンLOVE | 2,930 view
【真弓明信】恐怖の1番打者!猛虎打線の切り込み隊長!1985年の成績を振り返る

【真弓明信】恐怖の1番打者!猛虎打線の切り込み隊長!1985年の成績を振り返る

恐怖の1番打者と聞いて、真っ先に思い浮かべる選手は誰でしょうか?共通するのは、単にヒットをよく打つだけでなく、クリーンナップ並みにホームラン・長打もよく打つ強打者ということでしょうか。その筆頭の一人が阪神の真弓明信。1985年、猛虎打線の切り込み隊長として、21年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。当時の成績を振り返ります。
izaiza347 | 376 view
骨折した翌日に出席に入る、誰もが驚く鉄人衣笠の根性と人柄

骨折した翌日に出席に入る、誰もが驚く鉄人衣笠の根性と人柄

衣笠祥雄(きぬがさ さちお)は、昭和22年(1947年)1月18日生まれで、京都市東山区出身のプロ野球選手です。鉄人の愛称で親しまれ、国民栄誉賞受賞者出もあります。プロ野球選手衣笠祥雄としての記録は、連続試合出場記録が、世界第2位で日本記録では第1位と、まさに鉄人と呼ばれる由縁です。更には、連続フルイニング出場では歴代第4位となり、通算安打数歴代第5位・通算本塁打数歴代第7位タイと輝かしい成績を納めました。赤ヘル打線の中心打者として、広島カープ黄金時代の原動力となった選手の一人です。
五百井飛鳥 | 1,333 view
猛虎旋風、広岡西武、KKドラフト…85年のプロ野球を特集した「よみがえる1980年代のプロ野球Part.1」が発売!

猛虎旋風、広岡西武、KKドラフト…85年のプロ野球を特集した「よみがえる1980年代のプロ野球Part.1」が発売!

ベースボール・マガジン社より、80年代のプロ野球を特集した書籍「よみがえる1980年代のプロ野球」の第一弾となる「Part.1 [1985年編] (週刊ベースボール別冊空風号)」が現在好評発売中です。
隣人速報 | 1,575 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト