往年のUWFインターナショナル、全日本プロレス、新日本プロレスとメジャー団体を渡り歩いた「Uの戦士」垣原賢人。
プロレスを引退後、森とクワガタを愛する「ミヤマ☆仮面」となって”クワレス”を主催し続ける垣原賢人。
悪性リンパ腫という大病と闘いながら、2017年8月14日には後楽園ホールにてプロレス復帰戦を飾ろうとしている垣原賢人。
ミドルエッジ読者の皆さまには、どの時代の垣原賢人が印象として強いでしょうか。
いま、大きな病と闘いながらもリングにあがることを決断し、観る人々に勇気をもたらそうと取組んでいらっしゃる垣原選手。
そんなメッセージを届けよう!と意気込みながら垣原選手へのインタビュー機会に臨んだミドルエッジ編集部(ミド編)。
ところが、垣原選手との時間と空間はそんな想いすら超越するかのような、少年時代に魅せられたモノに真っ直ぐ過ぎる人生を歩む男の魅力に触れる機会となりました。
”直情一直線、安全策ナシの人生”と銘打たせていただいた、垣原選手の半生をぜひご覧下さい。
プロレスを引退後、森とクワガタを愛する「ミヤマ☆仮面」となって”クワレス”を主催し続ける垣原賢人。
悪性リンパ腫という大病と闘いながら、2017年8月14日には後楽園ホールにてプロレス復帰戦を飾ろうとしている垣原賢人。
ミドルエッジ読者の皆さまには、どの時代の垣原賢人が印象として強いでしょうか。
いま、大きな病と闘いながらもリングにあがることを決断し、観る人々に勇気をもたらそうと取組んでいらっしゃる垣原選手。
そんなメッセージを届けよう!と意気込みながら垣原選手へのインタビュー機会に臨んだミドルエッジ編集部(ミド編)。
ところが、垣原選手との時間と空間はそんな想いすら超越するかのような、少年時代に魅せられたモノに真っ直ぐ過ぎる人生を歩む男の魅力に触れる機会となりました。
”直情一直線、安全策ナシの人生”と銘打たせていただいた、垣原選手の半生をぜひご覧下さい。
ヘラクレスに出会いたくてアマゾンの「ジャングルファイト」に出場
タイトルを見て「えっ?」と思う方が大半でしょう。
一つには「えっ、何のこと?」という文脈が分からない「えっ?」。
もう一つには何となく意味が分かったうえで「えっ、ホント?」という「えっ?」。
このエピソードには、垣原選手の魅力が凝縮されています。
冒頭には、文脈を無視してでもこの言葉を並べておきたかった。。。
そんなわけで、改めて垣原選手のインタビューをご覧ください!
一つには「えっ、何のこと?」という文脈が分からない「えっ?」。
もう一つには何となく意味が分かったうえで「えっ、ホント?」という「えっ?」。
このエピソードには、垣原選手の魅力が凝縮されています。
冒頭には、文脈を無視してでもこの言葉を並べておきたかった。。。
そんなわけで、改めて垣原選手のインタビューをご覧ください!
虫捕りに明け暮れた少年時代
ミド編)現在45歳の垣原選手は、ミドルエッジの読者層ととても近い年代でいらっしゃいます。垣原選手は幼いころをどのようにして過ごされていましたか?
僕は小さい頃、昆虫採集に夢中でした。僕らが子供の頃ってみんな昆虫採集をやりましたよね?
「夏休みの自由研究」といえば、昆虫の標本が定番でした。その時に役に立つのが「昆虫採集キット」で、注射器に虫眼鏡、ピンセット、虫ピン、防腐剤や殺虫剤が入っていて便利でしたけど、今はそんなキット無いですよね。それどころか今の子供達は“虫捕り”自体をやらないという・・・ビックリですよね。
僕は虫が大好きで。ツクツクボウシなんて動きがすごく素早いんですけど、それも僕は手掴みで捕まえてましたよ。
ニイニイゼミは(捕まえるのが)簡単なんです!アブラゼミとかも簡単なんです!!けれど、ツクツクボウシは難しいんですよ!!!
僕が住んでいた四国には南方系のセミのクマゼミがいて、これがデカいくせに動きが早くて、このクマゼミを手で掴むというのが僕の中の修行の一つでした。もちろん虫取り網も使いましたけど、木に付いている状態を素早く手で捕まえると自慢できるというか、自分の中で“やった感”があって。
最終的にものすごい動きの早いツクツクボウシの手掴みを目指してましたね。ツクツクボウシは夏が終わる頃に現れるので、季節的にも集大成といいますか。宿題の事も心配になってくる時期でしたけど(笑)
四国は愛媛県の新居浜市に育った垣原選手。
とにかく虫が大好きだった垣原少年は、なかでも「クワガタ」に魅せられました。
とにかく虫が大好きだった垣原少年は、なかでも「クワガタ」に魅せられました。
僕は愛媛県の新居浜市出身なんですけど、あそこは工業地帯で少し離れないと山が無いんですよ。山に行くには自転車で一時間ぐらいかけて、クワガタムシのいるポイントまで行くんですよね。
ギアも何もついてない只のママチャリで一時間~一時間半ぐらい。結構な運動量ですよ。山ですからアップダウンもありますし。今思えばそれがプロレスラーになるための強い足腰を作ったんじゃないかとも思いますけど(笑)
夏になると毎日毎日行ってましたからね。
友達と一緒に3人ぐらいで捕りに行くんですけど、絶対僕がぶっちぎってました。クワガタムシのいるポイントに早く着いた人が沢山捕れるじゃないですか!? だから、途中までは仲良く並走して走ってるんですけど、段々ポイントが近付いてくると競走になってきてスピードをどんどん上げるんですよね。それこそ競輪選手並みのスピードで(笑)
そのおかげか走るのも速くなって、短距離走も得意でした。
同世代の男子であれば幼いころの夏休みの光景が蘇ってくるようです。
チャリンコ立ち漕ぎで競走して…なんだかセミの声まで聞こえてきそうです。
チャリンコ立ち漕ぎで競走して…なんだかセミの声まで聞こえてきそうです。
「実はこの“虫好き”が45歳の今現在もず~っと続いているんです」
普通はみんな小学校卒業と同時ぐらいに虫捕りなんて卒業して、男性の場合は興味の対象が“虫”から“女性”へと成長とともに変わっていきますけど、僕はずっと“女性”よりも“虫”です。女性よりもクワガタムシのメスの方に興味が湧くんですよね。それぐらい“クワガタムシ”オンリーで。
プロレスラーになってからもです。道場のロッカーには普通トレーニング道具を入れるんですけど、僕は虫を積み上げてました。UWF時代は月に1回ぐらいしか試合が無くほとんどが道場で練習だったので、ロッカーで虫を飼えたんですよ。
ここではひとまず垣原選手がなぜプロレスラーを志したのかはさておき、そのクワガタ愛溢れるエピソードを、もう少し垣原選手ご自身の言葉で書き綴らせていただきます。
UWFが無くなった後、全日本プロレスに参戦して三沢(光晴)さんや丸藤(正道)君とチームを組んでたんですけど、全日本プロレスになると巡業で全国へ出かける機会が増えまして。
試合後はみなさん夜のネオン街に消えて行くんですけど、僕はネオン街ではなく真っ暗闇の山に行くわけですよ。全国にネットワークがありまして、北は北海道から南は九州まで虫名人がいて、その方たちが待っててくれてるんですよ。で、試合が終わって夜10時とか11時ぐらいから夜通し虫を捕りに行くんです。
オフの時はオフの時で、離島まで行くんですよ。沖縄の石垣島とか。そこに特化した、そこにしかいない珍種がいるんですよ。変わった外国みたいなクワガタムシがいたりして、虫は本当に面白いんですよ。
国内のみならず、インドネシアにまで行ったこともあります。ジャワ島とかスラウェシ島とか。その時は現地の方とチームを組んで行きましたね。素人の日本人が観光がてら捕りに行っても捕れるものでもないですし、危険ですから。
泊まるのはホテルじゃなく現地の方の家に泊まって。ウルルン滞在記みたいなものですよ。現地のモノを食べ、お風呂はもちろんも無く、トイレも無かったです。そんな生活しながらクワガタを捕りに行くわけです。そうまでして行く目的はというと、そこには黄金色に輝くオウゴンオニクワガタというのがいまして、それを見たいがためなんですけどね。
もうすでに、垣原選手の溢れる「クワガタ愛」は多くの読者の皆様に伝わっているのではないでしょうか。少年期からプロレスラーへ…といったお話の前に。
そしてすっかり話に惹き込まれるミド編。
ミド編)そのオウゴンオニクワガタは出会えたんですか?
そしてすっかり話に惹き込まれるミド編。
ミド編)そのオウゴンオニクワガタは出会えたんですか?
はい、出会えました。
ジャングルの中、一時間ぐらい山頂まで登って行って、そこでライトをつけると、それに集まるという習性がありまして。「ライトトラップ」という手法なんですけど。
コーカサスオオカブトという3本角のカブトムシも飛んできたり、スゴいテンションですよ。図鑑でしか見たことがないような虫が、目の前を飛んでいるんですから。
その当時、僕は新日本プロレスに在籍中で、憧れていたIWGPジュニアヘビー級王座のタイトルマッチが両国国技館であるというのにその直前に行ってしまって・・・1週間~10日間ぐらい行ってたんですが、やっぱり現地の水とかは不衛生というか・・・帰国したらお腹を壊してしまい、タイトルマッチ直前にゲッソリ体重が落ちてしまって・・・もちろんベルトは取れなかったです(笑)
まあ、シルバーに輝いたIWGPジュニアのベルトは獲れませんでしたけど、黄金に輝くオウゴンオニクワガタは捕れたっていう(笑)
どこまで“クワガタバカ”なんだ!?って話ですよ。
すでにお気づきの通り、このエピソードは垣原選手が志したプロレスラーの世界に飛び込み、凌ぎを削って闘いに明け暮れていた時代のモノ。
垣原選手はリング上での全力ファイトの一方、クワガタを追い求める冒険の日々だったのです。
このお話の先に、冒頭で唐突にタイトルとさせていただいたエピソードが!
垣原選手はリング上での全力ファイトの一方、クワガタを追い求める冒険の日々だったのです。
このお話の先に、冒頭で唐突にタイトルとさせていただいたエピソードが!
2014年に悪性リンパ腫であることを公表し、病と闘いながらも2017年8月14日の後楽園ホールにて復帰戦を開催!