世良公則(せら まさのり)の生い立ちとデビューまで
via pds.exblog.jp
1977年「あんたのバラード」で鮮烈なプロデビュー
1977年「あんたのバラード」で第14回ポプコングランプリと第8回世界歌謡祭グランプリを獲得。
ハスキーな声でシャウトし、今までのロックシーンに変革をもたらす存在として注目される。
それまでフォーク/ニューミュージック系シンガーが多かったポプコンでロックバンドがグランプリを獲るのも初めての事だった。
世良と神本宗幸以外のメンバーが卒業後、プロになることを拒んだため、大学のバンド仲間で別のバンドにいたふとがね金太や鮫島秀樹ら、プロ志向の新メンバーで同月“世良公則&ツイスト”を結成した。
“世良公則&ツイスト”のバンド名について、大学時代のバンド"ツイスト"と差別化するために、敢えて"世良公則&ツイスト"としてデビューしたと世良は話している。
ハスキーな声でシャウトし、今までのロックシーンに変革をもたらす存在として注目される。
それまでフォーク/ニューミュージック系シンガーが多かったポプコンでロックバンドがグランプリを獲るのも初めての事だった。
世良と神本宗幸以外のメンバーが卒業後、プロになることを拒んだため、大学のバンド仲間で別のバンドにいたふとがね金太や鮫島秀樹ら、プロ志向の新メンバーで同月“世良公則&ツイスト”を結成した。
“世良公則&ツイスト”のバンド名について、大学時代のバンド"ツイスト"と差別化するために、敢えて"世良公則&ツイスト"としてデビューしたと世良は話している。
『あんたのバラード』世良公則&ツイスト
1977年11月25日発売
作詞・作曲:世良公則
ポプコン、世界歌謡祭でグランプリを獲得した『あんたのバラード』。
オリコン最高は6位だったが異例のロングセラーとなった。
作詞・作曲:世良公則
ポプコン、世界歌謡祭でグランプリを獲得した『あんたのバラード』。
オリコン最高は6位だったが異例のロングセラーとなった。
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次々とヒットを放ち『銃爪(ひきがね)』でオリコンシングル年間1位を獲得。
世良公則&ツイストはデビュー曲の「あんたのバラード」以降も「宿無し」(オリコン最高3位)、「銃爪 (ひきがね)」(オリコン最高1位)、「性」(オリコン最高5位)、「燃えろいい女」(オリコン最高3位)と、立て続けに大ヒットを飛ばし一世を風靡した。
『宿無し』世良公則&ツイスト
1978年4月10日発売の2ndシングル
作詞・作曲:世良公則
50万枚を超す大ヒットとなり、世良公則&ツイストの人気を定着させた。
作詞・作曲:世良公則
50万枚を超す大ヒットとなり、世良公則&ツイストの人気を定着させた。
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『銃爪』世良公則&ツイスト
1978年8月10日発売
作詞・作曲:世良公則
ツイスト最大のヒット曲、オリコンシングル年間1位を獲得。
「銃爪」と書いて「ひきがね」と読ませるセンスは秀逸
1978年の9月から11月までベストテンで10週連続1位と、3ヶ月の間1位に居座り、レコード売上げも94万枚に達した。『ザ・ベストテン』10週連続の1位は、「ルビーの指環」(寺尾聰)12週連続に次ぐ歴代でも2位となる。
作詞・作曲:世良公則
ツイスト最大のヒット曲、オリコンシングル年間1位を獲得。
「銃爪」と書いて「ひきがね」と読ませるセンスは秀逸
1978年の9月から11月までベストテンで10週連続1位と、3ヶ月の間1位に居座り、レコード売上げも94万枚に達した。『ザ・ベストテン』10週連続の1位は、「ルビーの指環」(寺尾聰)12週連続に次ぐ歴代でも2位となる。
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『燃えろいい女』世良公則&ツイスト
1979年4月5日発売
作詞・作曲:世良公則
資生堂 '79サマーキャンペーン・ナツコの夏(モデル・小野みゆき)キャンペーン・ソングに採用された。
この曲で1979年大晦日の「第30回NHK紅白歌合戦」に2年連続2回目の出場を果たした。
作詞・作曲:世良公則
資生堂 '79サマーキャンペーン・ナツコの夏(モデル・小野みゆき)キャンペーン・ソングに採用された。
この曲で1979年大晦日の「第30回NHK紅白歌合戦」に2年連続2回目の出場を果たした。
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独特な世良公則のステージパフォーマンス
世良独特の「がに股」と「指さし」
"世良足"とも言われた「がに股」など、人差し指を観客に突き立てたり、空手風の派手なアクションで魅せる世良独自のステージングは物真似の格好のネタになる程で、当時のまわりの歌手も一様にオーバーな歌唱法と身ぶり手ぶりをやり始めるなど後の音楽界にも多大な影響を与えた。
日本音楽界における『世良公則&ツイスト』の功績
雑誌やテレビに頻繁に登場。ロックスターの潮流を変えた。
世良公則&ツイスト、Char、原田真二の三組は「ロック御三家」と呼ばれ、それまでの日本のロックミュージシャンと違い、初めて『ザ・ベストテン』などのテレビのランキング番組や歌謡番組、「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌やテレビに頻繁に登場・出演した。
これがロックとは無縁だったファンを獲得することとなり、それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓して、新たな潮流を生み出すきっかけを創り出した。
これがロックとは無縁だったファンを獲得することとなり、それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓して、新たな潮流を生み出すきっかけを創り出した。
via trend-japon.com
日本語でロックできるアーティストがブラウン管に出てきたことは、日本のミュージック・シーンにとって大きな衝撃だった。
ロックをお茶の間に持ち込んだのが彼ら「ロック御三家」だった。「ロック御三家」のコンサートでは観衆の圧倒的多数は少女で占められた。
「ロック御三家」の出現以降、ミーハー向けの雑誌に、かなり専門的な音楽用語が増えた。
歌謡曲とニューミュージックの全盛期に於いて「ロックも売れる」ことを初めて証明したバンドであった。
世良公則&ツイストは、バンドの形態という意味でも大きな功績を残している。基本的に楽器を持たず、ボーカルに徹する強力なボーカリストをフロントに立てるバンドスタイルは、ツイスト以降、甲斐バンド、ゴダイゴ、RCサクセションらが商業的に成功した事で、日本のロックバンドの一形態を作った。これは現在も売れるバンドの常套手段となっている。
互いに認め合うサザン桑田佳祐とはライバル?戦友?
サザンオールスターズ桑田佳祐
桑田佳祐は『ライバルに匹敵する存在って俺の場合はいないんだけど、あえて同世代で同じ職種の人間というなら、世良クンかなぁ。テレビ局で居合わせたときに浮いてる感じが似てたしね。やっぱり世良クンというライバルがいなかったら「テレビでロックだ!」みたいな感覚にならなかったと思う。いまでもたまに会うと、なんか兄弟と久しぶりに会うときのくすがったさを感じる"と話している。』
via ja.wikipedia.org
桑田佳祐に対して、世良公則も雑誌の取材に対して下記のコメントを残している。
「半年遅れてデビューしたサザンオールスターズとは話というか、よく情報交換をしていましたね。ギターの弦はどんなのを使ってるとか、このアンプはどんな音がするのかとか。当時、テレビ番組で生演奏しているロックバンドは、俺らとサザンくらいしかいなかったから。スタジオでも、明らかに浮いていたしね(笑い)。ライバル? というより、戦友のような感じでしたね」
3才からバイオリンを習い、中学時代、ギターに興味を持ち、曲を作り始める。
高校2年の時、“FBI”バンドでベースを担当。
バンドメンバー全員が大阪の学校に進学しFBIを“ツイスト”と改名、大阪芸大在学中に世良がボーカルに交代し、ボーカリストとしてライブハウスや学園祭で活躍する。