90'sガールポップの中心的存在、井上昌己がミドルエッジに登場♪
2018年6月1日にミニアルバム『MELODIESⅢ』をリリースする。
ミドルエッジ編集部は5月4日(祝)に行なわれたラジオ公開収録&ライブを訪問。
イベント終了後の彼女にインタビューを敢行し、音楽との出会いや、デビューのきっかけ、GirlPOPブーム時代のエピソードなどをたっぷり教えて頂きました。
ミドルエッジ独占インタビュー
編集部
昌己さんは小学生の頃から作曲を行なっていたそうですが、曲を作るようになった切っ掛けは何だったのでしょうか?
何か切っ掛けがあったわけでもなく、すごく自然に作曲するようになってました。
子供って歩きながら口ずさんで曲を作ったりするじゃないですか?そんな気持ちで、習っていたピアノでなんとなく作り始めていました。
実は、ゴム跳びや、だるまさんがころんだとかをやるような感覚で、周りのみんなも家に帰ったら作曲していると思ってたんですよ。
編集部
いやいや、普通の小学生は家に帰ってから曲を作ってませんよ(笑)。
ですよね…。すごく変な子供だったんです(笑)。
編集部
その頃に作っていたのはどんな曲だったのですか?
習っていたピアノの影響で、最初は歌が無いインストゥルメンタルの曲を小学2年生の時にピアノで作りました。
あとは小学3年生の時は遠足に行きながら、子供らしい童謡みたいな曲を作ったのを今も覚えています。
編集部
遠足に行きながら作曲する小学3年生…。想像するのが難しい光景ですね。
そして、中学生になるとさらに本格的な音楽活動になっていったそうですが、その頃に憧れていたアーティストの方はいらっしゃいましたか?
女性だとユーミンさん、竹内まりやさんとか曲を作って自分で歌う方が憧れでした。
男性だとオフコースさん、佐野元春さん、杉真理さんが好きでしたね。
編集部
なるほど。アーティストとしての源流がなんとなくわかった気がします。
その頃の中高生はテレビ大好きっ子が多かったですが、昌己さんもハマった番組とかありましたか?
その頃は音楽にしか興味が無かったんですよ…。
愛媛県出身なのですが当時は民放が2局しか映らなくて(笑)。
でも音楽番組は必ずチェックしてました。
学校から帰ったら、どんなに部活で疲れていても毎日ピアノを弾いて1日1時間以上は歌ってました。
中学校の時は部活がブラスバンド部でしたし音楽まみれでしたね。
編集部
色んな事に興味を持ちやすい年頃なのに…。
凄まじい音楽への情熱ですね。
その頃からプロになるのを意識していたのですか?
中学校3年生の時に読んでいた雑誌「中三時代」にある時、作曲や作詞など部門が分かれた全国コンテスト『全国中学生テープ大賞』の案内が載っていたんです。
その当時はカセットテープだったので時代がわかりますよね(笑)。
私は作曲部門に応募しようと思って、課題詞に作曲してピアノでの弾き語りを録音したカセットテープを送ったんです。
そうしたら、「全国で1番になったよ」と学校側から連絡がきて、授賞式には地元のテレビ局やら取材がいっぱい来て…。
それまでは自分で歌わずに人に提供する作曲者になりたいと考えていたのですが、そのニュースなどで私の歌が流れているのを他の人が聴いて、「歌が上手いね」「声が可愛いね」とか曲よりも歌の方が褒められて「あれ?そうなのかな?」って調子に乗って勘違いしちゃったのかな(笑)。自分でも歌ってみようかなと思ったんです。
そして、高校生の時にもう一回チャレンジしてみようかなと大会(全国高校生作曲コンクール)に申し込んだら、何千という応募の中からグランプリを頂いて「私はこれだ~!」とプロに挑戦したいと思いました。
編集部
そこからデビューするまではどのような道のりでしたか?
今はSNSでデビューの切っ掛けができたり東京にいなくても活動できますが、当時はそういう手段も無く、とにかく東京に出て自分の足でオーディションに参加しないといけなかったんです。
また、プロデビューというのが狭き門だったので、東京の大学に進学してオーディションを受けに行ける環境に身を置きました。
そして、『第1回トーラスレコードスーパーボーカリスト新人オーディション』で優勝でき、デビューが実現しました。
編集部
デビューされた1989年はいわゆるバブル時代でしたが、当時を振り返ってみて「バブルだったなぁ」と思うことはありますか?
今考えると新人なのに全国ツアーをさせてもらったり、レコーディングで海外に行かせてもらったり、現在では考えられないほど恵まれてました。
レコード会社のおかげでタイアップも取れて、割とすぐにテレビにも出演できてバブルの香りがプンプン残ってました。
なんて贅沢だったんだろうと思います。
中高生時代から作曲コンクールで各種の賞を受賞。
1989年、「メリーローランの島」でデビュー。
自らが作り上げるメロディーラインと、澄みきった歌声で1990年代初頭のガールポップムーブメントの中心的存在として活躍。
代表曲として「純心」、「恋は Liberty」、「恋が素敵な理由」、「えにし~春夏秋冬」、「つながりたい」など多数。
同世代の女性アーティストが結婚、引退をしていく中、自らのレーベルを立ち上げ、独自の表現を貫きながら、誰もが経験した暖かくも切ない恋愛風景を詞と曲に込める。
時代や季節にとらわれない音楽を発表し続ける数少ないシンガーソングライター。