「青い目の侍」「ミスターK-1」と敬愛されたアンディ・フグ、短かくも太かった格闘家人生について。
2016年11月25日 更新

「青い目の侍」「ミスターK-1」と敬愛されたアンディ・フグ、短かくも太かった格闘家人生について。

「K-1」「PRIDE」の格闘技が華々しい人気を誇った90年代から2000年前後。なかでも立ち技のK-1では、テレビの前で凄絶なKO劇が繰り広げられました。そんなK-1の創世紀、アンディ・フグはピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルドと並び四天王と称されました。かかと落しなどの激しい技で観る者を魅了したアンディ・フグ。35歳で生涯を閉じた「青い目の侍」の生涯を振り返ります。

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スイス代表に選ばれるほどのサッカー少年だったアンディ・フグ

スイス代表に選ばれるほどのサッカー少年だったアンディ・フグ

幼少期のアンディはサッカー少年であったが、ブルース・リーに憧れて10歳より極真空手を始める(乱暴者であまりにも素行が悪かったために祖母が空手をやらせたという話もある)。

その後、ヨーロッパ最強の男ミッシェル・ウェーデル、松井章圭、増田章のライバルとして活躍するなど若くして頭角を現した。

サッカーではスイス代表に選ばれるなど活躍していたが、プロ契約の話が出てきたときに空手かどちらか選ばざるを得ず、自分には団体競技よりも個人競技の方が合っていると空手を選んだ。 不良グループのリーダー格で、喧嘩などに明け暮れていた時期もあったという。
極真会館→正道会館へ

極真会館→正道会館へ

1985年に極真ヨーロッパ選手権で優勝。1987年の第4回世界大会では、決勝戦で松井章圭に敗れ準優勝。1989年に極真ヨーロッパ選手権で同大会2度目の優勝。1991年の極真ヨーロッパ選手権にて、決勝戦で黒豹の異名を持つマイケル・トンプソンに敗れ準優勝(後にラスタとんねるず'94の最終回企画「ジャイアント将棋インテグラル」で、対決はなかったものの再会している)。

同年11月の第5回世界大会の4回戦では、フランシスコ・フィリォに一本負け(止めがかかってからの上段回しによる失神。大山倍達総裁の「止めがかかったとはいえ、その不意をつかれる者は勝者ではない」という判断により一本負けとなった)。

その後、極真会館を退館。アンディはプロに新天地を求めて正道会館に移籍。グローブ空手を経て1993年からK-1に参戦する。

K-1旗揚げ戦から参戦していたが、1993年の一年間はK-1ルールでは戦わず、ワンマッチにてスピリットカラテルールで戦っていた。同ルールで村上竜司と対戦し、踵落としで勝利した姿は、空手ファンだけでなくキックボクシングファンにフグの名前が広まるきっかけとなった。

●k 1 アンディ・フグ vs 村上竜司 - YouTube

K-1創世記の人気確立に大きく貢献

K-1創世記の人気確立に大きく貢献

1993年11月15日、ANDY'S GLOVEのメインイベントで村上竜司と対戦し、1ラウンドに3度のダウンを奪いTKO勝ちを収めた。大会タイトル通り、初めてグローブを着用し、K-1グランプリルール初挑戦となった。

1994年3月4日、グローブマッチ3戦目となったK-1 CHALLENGEで前年度K-1GP王者ブランコ・シカティックと対戦。フグはダウンを奪われながらも、不屈の闘志で凄まじい猛反撃を繰り返し、3-0の判定勝利を収める番狂わせを起こした。

優勝候補として臨んだ同年4月30日のK-1GPトーナメントでは1回戦でUFC出身の喧嘩ファイターパトリック・スミスに1R19秒でKO負け。同年9月18日にスミスとリベンジマッチを行い、1R56秒KO勝ちでリベンジに成功する。

1995年のK-1GPではまたも1回戦で当時無名のマイク・ベルナルドにダウンを奪いながらも逆転KO負けを喫してしまい、さらに6か月後のリベンジマッチでも返り討ちに遭ってしまう。

Andy Hug vs Patrick Smith 1994 04 30 - YouTube

Former UFC Fighter Patrick Smith Making Short Work OF K1 Legend Andy Hug In The K1 Grand Prix 1994. R.I.P. Andy Hug
「青い目の侍」「ミスターK-1」として

「青い目の侍」「ミスターK-1」として

1996年のK-1GPでは3月10日のGP開幕戦でバート・ベイルに1RKO勝ちして1回戦を突破すると、5月6日のK-1GP決勝大会では、準々決勝でバンダー・マーブに1RKO勝ち、準決勝でアーネスト・ホーストと再延長戦までもつれる激闘の末勝利、そして決勝戦では宿敵マイク・ベルナルドにフグトルネードで2RKO勝利し、悲願のK-1GP初優勝(空手の選手としても初優勝)を果たす。見事、1994年・1995年の借り全てを返す形となった。

1997年7月20日のワンマッチでは、極真時代のライバルにして、K-1初参戦の因縁の相手フランシスコ・フィリォを迎え撃つ形となったが、王者アンディはフィリォに右フック一発で1R失神KO負けを喫した。

その後、1997年のK-1GPトーナメントではピーター・アーツらに勝利して決勝まで勝ち進むも、アーネスト・ホーストに判定負けで準優勝。

1998年のK-1GP決勝トーナメントも同様に決勝まで勝ち進んだが、当時圧倒的な強さでトーナメントを勝ち上がってきたピーター・アーツにKO負け。敗れはしたものの、3年連続でファイナリストとなった記録は、2007年にセーム・シュルトがグランプリ3連覇を果たすまでは破られていなかった(MAXではブアカーオ・ポー.プラムックがタイ記録を持っている)。

Andy Hug vs. Peter Aerts - K-1 GP '98 FINAL - YouTube

K-1 GRAND PRIX '98 FINAL (December,13 1998 / Tokyo Dome, JAPAN / Attendance : 63,800) [ Tournament - Final ] Andy Hug (Switzerland) vs. Peter Aerts (Holland)...

35歳の若さで病死したアンディ・フグ

2000年10月9日のK-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAでのトーナメントに出場する予定だったが、大会の2か月前の8月24日午後2時に正道会館で記者会見が行われ、アンディが急性前骨髄球性白血病(APL)によって危篤状態であることが発表された。病気のことは周囲に心配を掛けることを嫌い、家族にすら内緒にしていたという。

死の床でアンディは、日本での活躍の場、K-1での活躍の場を提供するきっかけを作った正道会館の石井和義館長(当時)に、「I Love You. 館長。」と語りかけ、石井は「I Know. わかっているよ。」と答えたという。2000年8月24日午後6時21分死去。葬儀は本人の希望により日本式の仏式葬儀で行うことになり、2000年8月27日の告別式はテレビで生中継された。

最初の報道ではアンディが急病(病名は明らかにされていた)で緊急入院したことだけが発表され、自身による復帰を約束するメッセージが伝えられた。さして間もなく、彼が実は危篤状態にあるとの情報が世間に伝えられ、翌日にはその死が国民の知る所となった。結果的に、彼の闘病生活の存在自体が死の直前まで伏せられていた形となった。

アンディ・フグ選手の急死を伝える当日のニュース (平成12年) - YouTube

2000年8月24日当日のニュースです。 急性前骨髄球性白血病のため35歳の若さで生涯を閉じられました。
勝つも負けるもKOの激しいファイトで、K-1創世記を支えた「青い目の侍」アンディ・フグ。
いつまでも私たちの記憶に残り続ける、名ファイターでした。
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