【空手家】八巻建志(前編) ~それはふざけた兄が入れたソリコミから始まった~
2018年3月5日 更新

【空手家】八巻建志(前編) ~それはふざけた兄が入れたソリコミから始まった~

その肉体、その身体能力、その空手は圧倒的。極真空手の全日本大会と世界大会で優勝。100人組手という荒行も達成した。しかしその格闘技を始めたきっかけは、兄がふざけて入れた剃り込み、そしてイジメに対する報復だった。

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八巻建志は野球部をやめて柔道部に入った。
空手の代わりという安易な発想だった。
「奴らを見返す!」
その一念で稽古に励んだ。
しかし漫画のようにすぐに強くなれるわけがなかった。
柔道を始めても彼らに歯向かう勇気は持てずいじめは続いた。
しかし柔道のおかげで針金のようだった体に少しずつ筋肉がついていった。
得意技は巴投げ。
相手を後ろに投げる感覚がたまらなかった。
中学2年生になり身長は170cmになった。
イジメられているときも
「いつかぶちのめしてやる」
と思うようになった。
中学3年生になった八巻建志は、格闘技は足腰が基本-という梶原一騎漫画で得た知識をもとにスクワットを日課にした。
最初は50回からスタート。
1日毎に5回プラスしていった。
「いつかあの不良どもをこの手で・・・」
しかし結局、復讐の機会は無く彼らは卒業してしまった。
 (1980943)

『ケンカ十段芦原英幸』 空手バカ一代 karatebakaichidai

「強い男になりたい」
八巻建志は空手バカ一代の熱狂的なファンになっていた。
特にケンカ十段、芦原英幸が大好きだった。
彼がケンカを売るときのセリフ
「ねえ、ケンカ買わない?」
にシビれた。
「いつかオレもこの台詞を決めてやる」
そうかたく決めた。
庭に立てた巻き藁を叩き、鉄下駄を履いて蹴りの練習・・・
多少柔道にも自信があり
「そろそろケンカしなくては・・・」
と奇妙な義務感があった。
その思いは日増しに強くなった。

暴走族ヤンキーの単車がゲーセン前に止めてる様子!

ある日の放課後、1人隣町に出掛け繁華街のゲームセンターへ入った。
憧れの芦原英幸になりきり実行に移す時が来た。
薄暗い店内、ズボンに両手を突っ込み目を細め恐い視線をつくり相手を物色した。
インベーダーゲームをピコピコしているリーゼント頭の高校生2人。
おもむろに近づいてトントンと肩を叩いた。
不機嫌そうに振り向いたそいつに言ってやった。
「ねえ、ケンカ買わない?」
相手はみるみる眉間にしわを寄せ凶暴な顔になり立ち上がるや言った。
「なめてんのか、コラ」
凄む相手を涼しい顔で倒す芦原英幸が脳裏に浮かんだ。
股間を蹴り上げ大外刈りで・・・
次の瞬間、突然後頭部が・・・
その場に倒れこんだ。
「上等じゃねえか」
「ぶっ殺すぞ」
怒声が響き、背中を蹴りまくられた。
1人は丸椅子を持っていた。
丸椅子が振り下ろされた。
「グシャ」
顔面にきな臭い香りが広がり、スーッと意識が遠くなり目の前が真っ白に・・・
ボロ雑巾のように地面を引きずるように帰りながら決心した。
「柔道じゃ駄目だ・・
空手をやろう」
鼻血が顔を朱に染め、顔面はドッジボールのようにパンパンに腫れていた。
鼻骨が折れていた。
このケガは後の空手人生に暗い影を投げかけることになる。
 (1970306)

自分から仕掛けたストリートファイトに惨めに負け、ますます強い男への憧れは強くなった。
相手を掴まないと攻撃できない柔道に見切りをつけ、瞬時に相手を倒す一撃必殺の技を身につけるべく近所の空手道場に入門した。
本来、中学生は少年の部だったが、早く強くなりたい一心で年齢を偽り一般部に参加した。
稽古初日、
「誰か組み手をやりたい者はいるか?」
指導員に問われ八巻建志は勇んで挙手した。
175cm、60kg。
背が高く目つきが鋭く生意気に見えたのかもしれない。
指導員は初心者全員を壁に向かい正座させ見えないようにし、八巻建志は茶帯、黒帯に殴られ蹴られ何度も何度も倒された。
その度に
「立てよ。
組手したいんだろ」
容赦なく引きずり起こされ殴られた。
腹にタコだらけの拳がうなりをあげてめり込み吐き気が込み上げた。
その後も道場に行くたび組手という名のシゴキは続いた。
「これはイジメと同じじゃないか」
1ヵ月後、八巻は道場通いを辞めた。
強くなるためならいくらでも我慢するし努力できるが、空手のイロハを知らない者に対し空手の専門家が面白半分で仕掛ける組手はどう考えても納得できなかった。

藤原敏男(日本人初のムエタイ王者)とスパーリング

 (1980946)

Kyokushin vs Muay Thai - 1964. Rawee Dechachai vs Kenji Kurosaki

中学3年生の秋、八巻建志は本物の強さを求め黒崎道場に入門した。
少年マガジンの人気漫画「四角いジャングル」の影響だった。
黒崎建時は、大山倍達の右腕として極真空手の創生期を支え道場では鬼と恐れられた。
タイに渡りムエタイに挑戦し敗れ極真を脱会。
キックボクシングの指導者として打倒ムエタイを目指した。
そして藤原敏男を日本人初のムエタイ王者に育てた。
周囲は受験勉強一色。
しかし八巻建志は、
早朝:新聞配達
昼:学校
夜:受験勉強せず道場
という生活。
「何を考えているの?」
親にいわれて
「世界一強い男になりたい」
とはいえないまま道場に通った。
進学より将来の仕事より強い男になることがずっと大事に思えた。

 (1970311)

しかし苦労して通う黒崎道場も簡単には期待にも応えてはくれなかった。
キックボクシングの日本のトップクラス選手が指導員をしていたが、ひたすらワン・ツーの練習。
それ以外教えてくれなかった。
「ワン・ツー以外を教えてくれませんか?」
「ワン・ツーが1番大事なんだ。
黙ってやっていろ!」
プロキックボクサー育成が主な道場で中学生は幼すぎたのかもしれない。
藤原敏男のタイトルマッチを控えたある日、報道陣を前にして公開スパーリングが行われた。
そこで八巻に白羽の矢が立った。
「君、リングに上がって・・・」
大きな相手との写真が欲しかったのだろう。
藤原敏男は試合前で気合が入っていた。
実戦さながらのスパーリングだった。
ある程度力を抜いてくれているのにパンチやキックは恐ろしいほど強くヘッドギアと16オンスのグローブでがっちりガードしても、鋼鉄の棒で思い切り殴られるように身体の芯まで衝撃がきた。
本気なら内臓破裂で即死だと思った。
パンチも蹴りも速すぎてみえず
「シュッ、シュッ」
と空気を切り裂く音しか聞こえずいいように打ち込まれ、最後は息絶え絶えになってへたり込んだ。
スパーとはいえ藤原敏男の強さを体感し、強い男への道程は限りなく遠く険しいと思い知らされた。
結局、黒崎道場は半年で辞めたが、中学校卒業時には日課のスクワットは1000回のノルマに軽くこなせるようになった。
高校には進学したが両親は大反対する中、1ヶ月で中退した。
「机の前にいる時間があるならスクワットやっていたほうがいい。
とにかく時間を無駄にしたくなかった。
物事はやるかやらないか、白か黒か、2つに1つしかない。
親兄弟を含め周囲には大変な迷惑だったが、私は強くなれば人生は開けると信じていた。
イジメられバカにされ続けた人生におさらばするには勉強では役不足。
やはり空手以外に道はなかった」

鉄下駄修行

 (1970308)

ある日、精神力も伴わなければ武道家ではない-と考え、精神修行のため両足に鉄下駄をつけて渋谷の街に出た。
電車ではクスクス笑とヒソヒソ話が起きた。
「これしきで惑わされては駄目だ」
自分を励まし、何食わぬ顔で窓の外をみた。
電車の中はまだ良かった。
駅に降りて道を歩き出すと音が出る。
ガランゴロン。
ガランゴロン。
凄まじい音を立て渋谷の雑踏をまわると注目の的となった。
八巻建志は、人々の目に負けて百貨店に逃げ込んだ。
しかし密閉された空間は音響効果が良かった。
グヮランッ、ゴゴン、グヮランッ。
グヮランッ、ゴゴン、グヮランッ。
雷のような音が鳴った。
店員や客が集まってくた。
「限界だ」
恥も外聞も捨て裸足でその場を離れた。
こうして鉄下駄修行は終わった。

極真空手城南支部入門

 (1974690)

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