歌姫「山口百恵」というカリスマ
2016年11月21日 更新

歌姫「山口百恵」というカリスマ

結婚を理由に潔く芸能界を引退した歌手「山口百恵」。そのカリスマ性を今も感じることがあります。今でも熱狂的ファンがいるアイドル山口百恵の思い出に浸りましょう。

17,855 view

「山口百恵」が誕生した日

山口百恵が誕生した日はモンスター番組だった「スター誕生!」での公開オーディション。
あの日、すでに活躍していた森昌子のようになりたいと意を決し1972年に番組出演する。牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝となった。20社から指名を受け芸能人山口百恵が誕生する。

山口百恵 - 回転木馬 (再建) フルバージョン - YouTube

山口百恵 - 回転木馬
この「スター誕生!」という番組からはたくさんの歌手や俳優が排出させれています。
伝説のオーディション番組「スター誕生!」

伝説のオーディション番組「スター誕生!」

たくさんの歌手、俳優を世に出してきた番組は一般素人がトップアイドルになれるチャンスをくれる番組です。
視聴者参加型番組のスター誕生!は1971年10月3日 から1983年9月25日まで12年間にわたって放送されていました。このマンモス番組のスタ誕歴代司会者は1971年10月3日から1980年4月6日まで萩本欽一、 1980年4月13日から1981年4月5日まで谷隼人とタモリの2人。 1981年4月12日から1982年1月3日まで坂本九と石野真子。 1982年1月10日からラストの1983年9月25日までは横山やすし、西川きよしでした。
スタ誕初代司会者の萩本欽一さん

スタ誕初代司会者の萩本欽一さん

「合格者が出なかったり、プロダクションのプラカードが上がらなかったときに、どうやって慰めたらいいか悩んだ。わざとらしいのもダメだし、“残念ね”とひと言じゃ冷たいし、いい言葉が浮かばなくて毎日、心苦しかった」
合否がはっきりとわかってしまうということはハッピーだけではないということ。考えただけでも落ち込んでしまいそう。
審査員もそうそうたるメンバーで阿久悠や中村泰士、都倉俊一や三木たかしなど今でも有名な作詞家や作曲家が審査をするのでオーディションを受ける人も緊張のあまり、いつもの調子が出ないまま不本意の成果で敗退していった人も多くいます。
そんな中、本当にたくさんの芸能人をデビューさせたスタ誕のオーディションを受け有名人となった人を少し紹介してみたいと思いますが、歌手としてデビューしてから俳優へと転身した人などや、えっ?んな人も?!なんて人もいるので見てみましょう。
中三トリオの山口百恵、森昌子、桜田淳子

中三トリオの山口百恵、森昌子、桜田淳子

山口百恵が憧れを抱いた森昌子もスタ誕出身者なのは既に知っている通り。中三トリオの桜田淳子もここから出てきた1人。
「イルカにのった少年」で有名になった城みちるや「ひまわり娘」の伊藤咲子、2時間ドラマの女王にと呼ばれている片平なぎさ、メガヒットをただき出しまくったピンク・レディー、後の司会者としてこの番組に関わる石野真子、80年代のアイドル史を作る柏原芳恵や小泉今日子、中森明菜、岡田有希子など他にもバラエティーアイドルとなった松本明子などもこの番組の出身者です。他にもたくさんの人たちがこの番組に出てアイドルとなったりしています。
また、オーディションでは指名されなかったためこの番組がきっかけにならなかったけどのちにデビューしている有名人もいます。
マンガ家の内田春菊、声優の佐久間レイ、闘病の末この世を去った本田美奈子、カバーのキング徳永英明、俳優としての活躍中の柳葉敏郎などもいます。
山口百恵デビュー曲「としごろ」

山口百恵デビュー曲「としごろ」

審査員の阿久悠に「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」と言われるほどの歌唱力と審査されたがデビューとなった。

作詞千家和也、作曲都倉俊一というコンビで作られたこの曲はセールスがあまり良くなかった。
こうしてスタ誕のオーディションを受け20社からの指名を受けた横須賀在住の少女は1973年に映画「としごろ」で女優としてスクリーンデビューし同名のレコードを発売して歌手「山口百恵」として誕生しました。

アイドル「山口百恵」

2枚目のシングル「青い果実」

2枚目のシングル「青い果実」

デビュー曲の「としごろ」があまりいい成績ではなかったため2枚目はイメージチェンジに挑んだ。

作詞千家和也、作曲都倉俊一のデビュー曲コンビで作られています。
イメージチェンジをした結果、トップアイドルとして不動の地位を築く山口百恵。清純で純朴そうな少女が大人も驚くような歌詞の歌を歌うというこの聞いていていいのかすら戸惑ってしまうようなイメージが大当たりしました。
山口百恵の人気は瞬く間に大きくなりドラマや映画でもさらに活躍します。
1974年に公開された映画「伊豆の踊子」は初主演となる記念すべき映画で後の夫となる俳優の三浦友和と共演した映画です。夫の三浦友和との初共演はグリコプリッツのCMでした。当時はすがすがしい三浦友和と初々しい山口百恵が楽し気にデートをしている感じが素敵だと思ったものです。

Glico Pretz CM 三浦友和.山口百恵 - YouTube

三浦友和と初共演のこのCMでの山口百恵はイメージ通りの笑顔で可愛らしいという言葉がぴったりでした。
57 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

山口百恵の最大ヒット曲『いい日旅立ち』のタイトルは、国鉄キャンペーンのスポンサーが由来?

山口百恵の最大ヒット曲『いい日旅立ち』のタイトルは、国鉄キャンペーンのスポンサーが由来?

山口百恵の最大ヒット曲となった『いい日旅立ち』は、国鉄のキャンペーンソングでした。タイトルの由来には、ある意外なエピソードがありました。その真相とは!?
モンステラ | 13,951 view
キャスケットはエンジェルハット?秋田出身の花の中3トリオ「桜田淳子」

キャスケットはエンジェルハット?秋田出身の花の中3トリオ「桜田淳子」

有名オーディション番組を経て芸能界入りした桜田淳子は番組史上最高得点をたたき出していた!そのビジュアルと歌声を心してみよ!キャスケット
はんまのまま | 7,123 view
「花の中三トリオ」では誰が好きでしたか?

「花の中三トリオ」では誰が好きでしたか?

森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人のを称して「花の中三トリオ」と呼んでいましたね。あなたは誰推しでしたか?
70年代のアイドルといえば、森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人。花の中三トリオと高三トリオを比べてみました。

70年代のアイドルといえば、森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人。花の中三トリオと高三トリオを比べてみました。

花の中三トリオとして華々しい活躍をした森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人。その後も高1トリオ、高2トリオと続き、高校卒業時に花の高3トリオをもってトリオとしての活動を解消してしまいますが、3人の活躍は日本の音楽史に大きな足跡を残しました。
obladioblada | 7,215 view
1978年の山口百恵と桜田淳子が歌うピンク・レディーの動画が人気に!

1978年の山口百恵と桜田淳子が歌うピンク・レディーの動画が人気に!

山口百恵と桜田淳子がピンク・レディーの『渚のシンドバッド』を歌う映像が話題だ。1978年4月の音楽番組『夜のヒットスタジオ』の出来事で、リハーサルに間に合わなかったピンク・レディーの代役を急きょ山口百恵と桜田淳子が務めたワンシーンだ。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト