歌姫「山口百恵」というカリスマ
2016年11月21日 更新

歌姫「山口百恵」というカリスマ

結婚を理由に潔く芸能界を引退した歌手「山口百恵」。そのカリスマ性を今も感じることがあります。今でも熱狂的ファンがいるアイドル山口百恵の思い出に浸りましょう。

17,845 view
映画「伊豆の踊子」での演技が高評価をされ次々と映画やドラマの仕事が増えていきます。その中でも山口百恵の相手役といえば三浦友和、父親役といえば宇津井健と直結するように共演者が固定されていくようになります。
映画では13本中12本が三浦友和との共演、ドラマ赤いシリーズでは宇津井健と親子役で共演と山口百恵の代表作には三浦友和と宇津井健がいたと言ってもいいでしょう。
赤いシリーズ「赤い迷路」

赤いシリーズ「赤い迷路」

赤いシリーズでは主演は宇津井健というスタンスで続けていくということだったらしいのですが・・・。
赤いシリーズ「赤い迷路」

赤いシリーズ「赤い迷路」

この作品では松田優作と共演しています。
ドラマや映画での人気も不動のものとする山口百恵は歌手として新境地を開きます。
今ではかなわないトリプルショット

今ではかなわないトリプルショット

宇津井健のことを芸能界のお父さんと呼び、三浦友和とは永遠の愛を誓う・・・うらやましい。

歌手「山口百恵」

純粋そうな少女がきわどい歌詞の歌を歌うというコンセプトで売り出していた山口百恵がシフトチェンジしたかのように曲調が変わります。
1976年に発売された「横須賀ストーリー」はそれまでの山口百恵とは思えないような大人びた印象へと変化しました。
阿木燿子・宇崎竜童夫妻の楽曲を好んで歌いそれが山口百恵の代表曲とされるまでとなります。
その変化ぶりは純朴な少女が大人の女性へと変化したという感じでした。大人の言うがままといった少女から酸いも甘いも知った大人の世界観を見事の歌い上げたという印象でしたね。

山口百恵 横須賀ストーリー 夜のヒットスタジオ - YouTube

山口百恵 横須賀ストーリー 夜のヒットスタジオ
山口百恵自らが阿木燿子・宇崎竜童夫妻を指名していたということでなにか感じるものがあったのでしょう。それから阿木、宇崎の2人が山口百恵の世界観を作っていったという感じです。
オリコンチャートで1位を取ったのが15歳の時に歌った7枚目のシングル「冬の色」。作詞は千家和也、作曲は都倉俊一のデビュー曲コンビ。山口百恵として初のバラード曲でカップリングとして映画「伊豆の踊子」の主題歌の「伊豆の踊子」が収録されている。
そのあとに1位を獲得したのがこの曲「横須賀ストーリー」でした。そこからはオリコンチャートで上位にいつもいるほどの人気曲ばかりとなります。
山口百恵の名曲「秋桜」

山口百恵の名曲「秋桜」

19枚目のシングルとして発売されたこの曲はさだまさしが山口百恵の印象を変えたくて提供した楽曲ということもありツッパリ路線の山口百恵の印象を優しい面もある女性というイメージに変化させた曲です。
山口百恵の名曲「いい日旅立ち」

山口百恵の名曲「いい日旅立ち」

24曲目のシングルとしてリリースされた曲は代表曲のひとつとして誰しもが知っている「いい日旅立ち」です。この曲は「昴」などで知られている谷村新司が提供し当時の国鉄のCMでも使われ有名になりました。

山口百恵 - プレイバック Part 2 - YouTube

この曲がツッパリ路線を決定づけたと言ってもいい曲です。
この動画を見ると当時の生放送がいかに演者も視聴者も楽しめる番組なのかとわかると思います。
歌唱力も兼ね備えてきた歌手「山口百恵」としてこれからという時にファンとしては寂しく、歌手としては潔く女性としては幸せな選択をすることとなります。

伝説となる「山口百恵」

「私が好きな人は、三浦友和さんです」
1979年に大阪厚生年金会館のリサイタルで恋人宣言した山口百恵。
21歳の女性が恋をしそれを周囲に告白したということであれば年齢を考えても当たり前のこととなります
が、当時の芸能界といえば恋愛御法度が当たり前でトップ歌手ともなる山口百恵が交際宣言したことがどれほどのセンセーショナルなことだったことか。
1980年に婚約となるのですがこの時に引退を宣言しています。引退前には自叙伝「蒼い時」を発売。着々と引退への道を歩んでいるという感じでした。
今でも残るあの有名なシーンは歌手としての活動に未練はないと言わんばかりでファンならずとも感動を覚えたシーンとなりました。
感動のシーン

感動のシーン

57 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

山口百恵の最大ヒット曲『いい日旅立ち』のタイトルは、国鉄キャンペーンのスポンサーが由来?

山口百恵の最大ヒット曲『いい日旅立ち』のタイトルは、国鉄キャンペーンのスポンサーが由来?

山口百恵の最大ヒット曲となった『いい日旅立ち』は、国鉄のキャンペーンソングでした。タイトルの由来には、ある意外なエピソードがありました。その真相とは!?
モンステラ | 13,930 view
キャスケットはエンジェルハット?秋田出身の花の中3トリオ「桜田淳子」

キャスケットはエンジェルハット?秋田出身の花の中3トリオ「桜田淳子」

有名オーディション番組を経て芸能界入りした桜田淳子は番組史上最高得点をたたき出していた!そのビジュアルと歌声を心してみよ!キャスケット
はんまのまま | 7,099 view
「花の中三トリオ」では誰が好きでしたか?

「花の中三トリオ」では誰が好きでしたか?

森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人のを称して「花の中三トリオ」と呼んでいましたね。あなたは誰推しでしたか?
70年代のアイドルといえば、森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人。花の中三トリオと高三トリオを比べてみました。

70年代のアイドルといえば、森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人。花の中三トリオと高三トリオを比べてみました。

花の中三トリオとして華々しい活躍をした森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人。その後も高1トリオ、高2トリオと続き、高校卒業時に花の高3トリオをもってトリオとしての活動を解消してしまいますが、3人の活躍は日本の音楽史に大きな足跡を残しました。
obladioblada | 7,194 view
1978年の山口百恵と桜田淳子が歌うピンク・レディーの動画が人気に!

1978年の山口百恵と桜田淳子が歌うピンク・レディーの動画が人気に!

山口百恵と桜田淳子がピンク・レディーの『渚のシンドバッド』を歌う映像が話題だ。1978年4月の音楽番組『夜のヒットスタジオ』の出来事で、リハーサルに間に合わなかったピンク・レディーの代役を急きょ山口百恵と桜田淳子が務めたワンシーンだ。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト