2019年10月2日 更新
三億円事件で残された120点に及ぶ「遺留品」!!なぜ警察は犯人を特定出来なかったのか?
1968年に発生した、昭和を代表する未解決事件である「三億円事件」。事件現場にはどのような遺留品が残されていたのでしょうか?
メガホン・新聞紙片
白バイの広報用スピーカーに見せかけるためのメガホン、そしてメガホンの塗装に付着していた「新聞紙片」。この新聞紙片は、第一現場で最も注目を集めた遺留品と言っても良いと思います。4mmほどの大きさである紙片は、分析の結果1968年12月6日の産経新聞の一部であることが判明。その後、2年がかりで販売所の特定まで至ったものの、配達先の住所録が処分されていたため犯人逮捕には至りませんでした。
第二現場(現金輸送車が乗り捨てられていた場所)
セドリック
国分寺史跡七重の塔近くの本多家墓地の入口、武蔵国分寺跡のクヌギ林に乗り捨てられていたセドリック。これは3億円を乗せていた現金輸送車でした。この場所では、事件直前に濃紺のカローラ(第2カローラと呼ばれる)が目撃されており、ここで車の乗り換えが行われたと推測されています。
第三現場(偽白バイが停めてあった場所)
レインコート
事件発生直前、偽白バイが停まっていた場所で発見された濃紺のレインコート。メーカーは1958年に既に倒産しており、重要な遺留品と当初は考えられていなかったため粗末に扱われ、有力な情報は得られませんでした。
緑色のカローラ
第三現場から発見された緑色のカローラ(第1カローラと呼ばれる)。盗難車であり、ナンバープレートは「多摩5め3863」でした。
第四現場(第二現場のカローラが乗り捨てられていた場所)
第2カローラ
現金輸送車から乗り換えた濃紺のカローラ(第2カローラと呼ばれる)。ナンバーは「多摩5ろ3519」であり、コードネームとして関係者の間では「多摩五郎」と呼ばれていました。なお、車内から空のジュラルミンケースが発見されています。
ホンダドリーム
第四現場から発見された「ホンダドリーム」。盗難車であり、白バイと同車種であったことから、犯人が当初はこのバイクを白バイに偽装しようとしたのではないかと推測されました。
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