2020年3月11日 更新
1984年の邦楽ヒット曲 ランキング。売上枚数「年間ベスト10」はこの曲だ!
1984年にはどのような曲が流行っていたのか?売上枚数で見るリアルな年間ベスト10です。この年、日本の音楽史に必ずや残るであろうアイドルが2組颯爽と登場したんですよ!
「Rock'n Rouge(ロックン・ルージュ)」は、松田聖子の16枚目となるシングルです。チェッカーズが売野雅勇なら、松田聖子は松本隆。更に曲は呉田軽穂という最強ともいえる強力コンビ。呉田軽穂はご存じの通り、ユーミンのペンネームですね。
タイトルからも伺えるように、この曲はカネボウ化粧品「レディ80BIO リップスティック」「84年春のバザール」で使われたCMタイアップ曲でした。
ユーミンは、この曲をABBAのようなヨーロピアン・ディスコ調にしたいと最初から考えていたのだそうです。ABBAといえば70年代に「ダンシング・クイーン」など多くの曲が日本でも大ヒットしたスウェーデンのグループです。
何故だか分かりませんが、フランク・ザッパ、アリス・クーパー、リッチー・ブラックモアにレッド・ツェッペリン。更にはセックス・ピストルズ、エルヴィス・コステロからオアシスとゴリゴリのいかついミュージシャンにABBAのファンが多いんですよね。
第2位 ワインレッドの心
アイドルとはちょっと違いはしますが、80年代にアイドル並みの人気を誇った安全地帯がブレイクするきっかけとなった曲「ワインレッドの心」。この曲は彼らの4枚目のシングルです。
デビューは1982年ですが、バンド結成は1973年といいますから結構な苦労人ですね。しかし、その苦節10年は無駄ではなかった!そのことを「ワインレッドの心」が証明しています。
売れなかった頃に安全地帯が井上陽水のバックバンドをしていたのは有名な話です。その縁もあってでしょう「ワインレッドの心」の作詞は井上陽水です。玉置浩二、井上陽水のコンビは後に稀代の名曲「夏の終りのハーモニー」を生むことになります。
「ワインレッドの心」は、サントリー「赤玉パンチ」のCMソングでした。当時は玉置浩二は勿論のこと安全地帯は無名に近い状態だったからでしょうか、この曲は歌詞の素晴らしさばかりが評価されていた印象があります。が、聴けばわかる通り曲も素晴らしい。
しかし、このようなタイプの曲は玉置浩二にとっては不本意だったようで、売れる曲を作る必要に迫られて渋々作ったのだとか。運命とは皮肉なものですね。このことで日本の音楽界は大きな才能を手に入れることになったのです。
第1位 もしも明日が…。
さぁ、いよいよ1984年度の第1位。それは明菜でもチェッカーズでも安全地帯でもなく「わらべ」です。わらべの「もしも明日が…。」が栄冠に輝きました。
前年の「めだかの兄妹」に続いて、それはもう爆発的に売れに売れました。
高部知子の脱退によって2人になったわらべでしたが、その不安を吹き飛ばしましたね。「めだかの兄妹」を上回る大ヒットです。
親しみやすい楽曲の良さもさることながら、これはもう萩本欽一というか、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」の出演者、スタッフによる総力戦の勝利というべきでしょう。
わらべは1984年12月に3枚目となるシングル「時計をとめて」を発売し、1985年3月の番組リニューアルを機に解散してしまします。
ベスト10のうち、中森明菜とチェッカーズでなんと6曲も占めるという非常に偏った1984年の音楽界でしたが、さてさて1985年はどうなるのでしょうか?この2組の活躍は続くのか?新たな新人が飛び出してくるのか?楽しみですね。が、それはまたの機会に。
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発売日:1984年2月
作詞:松本隆
作曲:呉田軽穂
売上枚数:67.4万枚