NTT、KDDI、ソフトバンクの通信キャリア3社の歴史を知る。PHSやガラケーからスマホへ、その歩みがこれで分かります。
2020年9月29日 更新

NTT、KDDI、ソフトバンクの通信キャリア3社の歴史を知る。PHSやガラケーからスマホへ、その歩みがこれで分かります。

1990年代以降、日常生活に大きく入り込んできた「ケータイ」。すでに20年以上も慣れ親しんでケータイには、通信キャリア大手3社をはじめとする大きな動きが常にありました。今やスマホが当たり前の世の中ですが、そこに至るまでのケータイやPHSの歴史をまとめてみました。

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1999.8 日本テレコムによるデジタルツーカー買収

日産の経営悪化で携帯電話事業などから撤退することになり、日産が保有していたデジタルツーカー6社の株式を、デジタルホン3社を有する日本テレコムに譲渡しました。
ほぼ同時期、同様に日産が保有していたツーカー3社についてはDDIが買収して「au」ブランドに。

1999.10 J-フォンブランドが誕生

デジタルホン3社、デジタルツーカー6社が「J-フォン」ブランドに統合されました。
J-PHONEブランドは1997年に誕生

J-PHONEブランドは1997年に誕生

1997年2月、東京デジタルホンがコミュニケーションネーム「J-PHONE」を使用開始。
イメージキャラクターに永瀬正敏とキャシー・チャウを起用したCMや広告を展開。
1998年3月、イメージキャラクターに藤原紀香(当初は旧J-フォン東京地区のみ、後に東海地区を除く全国)や優香(東海地区のみ)やフェイ・ウォン(関西地区のみ)を起用したCMや広告が流れ、OLなど女性を中心にブーム。
後にデジタルツーカー各社が「J-フォン」を冠した商号に変更。

当時「J-PHONE」というと藤原紀香のイメージが強かったですね

J-PHONE Skywalker 藤原紀香 CM - YouTube

90年代 J-PHONE

ブランド統合のCM「デジタルツーカーはJ-PHONEへ」

_「デジタルツーカーはJ-PHONEへ」 J-PHONE CM 30"|15"×2 Ver. ※東名阪 未公開作品 ©moritaeiiti - YouTube

「デジタルツーカーはJ-PHONEへ」|
2000年10月には、合計9地域会社のうち8社が東日本・西日本の2社へ統合。東海のみそのまま存続し、全国3社体制となりました。

J-フォン以降の大きな流れに進む前に、その他ソフトバンクグループについて確認しましょう。

1986.7 日本国際通信(ITJ)

国際電話の新電電だったITJ

国際電話の新電電だったITJ

KDDや国際デジタル通信(IDC)との競争に脱落、1997年10月1日に日本テレコムが吸収合併。
合併当初は「国内電話は0088。国際電話は0041。」というキャッチフレーズを展開、国内電話と国際電話を一社で扱う最初の新電電となり事業規模を拡大。

1986.11 国際デジタル通信(IDC)

伊藤忠商事・トヨタ自動車・英ケーブル・アンド・ワイヤレ...

伊藤忠商事・トヨタ自動車・英ケーブル・アンド・ワイヤレスなどの出資で設立

1999年6月、ケーブル・アンド・ワイヤレスにより買収。社名をケーブル・アンド・ワイヤレスIDC株式会社に変更。CWグループのアジアハブとして事業運営。
IDCを巡り、国際電話事業への新規参入を目指すNTTグループとCWで買収戦が起こるが、その後NTTはNTTコミュニケーションズにより自力参入。
後の2005年2月、同社はソフトバンクによって買収されることとなります。

再び日本テレコム、J-フォンを取り巻く大きな動きに戻ります。

2001.10 ボーダーフォンによる日本テレコム買収

旧国鉄系から外資系に

始まりは1999年、通信世界大手のブリティッシュ・テレ...

始まりは1999年、通信世界大手のブリティッシュ・テレコムとAT&Tが日本テレコムに出資(ブリティッシュ・テレコム20%、AT&T10%)

2000年9月、日本テレコム子会社のJ-フォン買収を狙う英ボーダフォンがJR西日本、JR東海から日本テレコム持株を取得して第3位株主に。
2001年に入り、AT&Tおよびブリティッシュ・テレコムが相次いでボーダフォンへ日本テレコム持株を売却し、資本提携を解消。これによりボーダフォンの出資比率は子会社目前の45%に。
2001年9月に英ボーダフォン、日本テレコム、JR東日本は共同会見を開き、ボーダフォンの100%子会社であるオランダのボーダフォンインターナショナル・ホールディングスが日本テレコムの普通株式を株式公開買い付け(TOB)すると発表。
大株主に留まり続けたJR東日本も賛同し、ボーダフォンの日本テレコムへの出資比率は66.73%となり、経営権を掌握することに。
ボーダフォンによる日本テレコムの出資比率は69.7%となり、同社役員が代表取締役に就任。当時の日本企業に対するM&Aとしては史上最大となる1兆4千億円を投じ、固定通信事業と移動体通信事業両方を傘下におさめることとなった。
なお、ボーダフォンは当初からジェイフォンしか興味が無いと評されており、同社は「売却の可能性は非常に高いが、収益を改善することが最優先であり、現時点では固定電話事業を売却することはない」とコメントした。また、株式を売却したJR東日本社長の大塚陸毅(当時)も「ボーダフォンの持ち株比率が上がったことで15%のJT株式を持つ意義が薄くなった。」とコメントし、「日本テレコムは、JRの鉄道システムの基幹インフラを担っている重要なパートナー。株式売却後も日本テレコムとの連携は継続する」と発表をおこなった。
当時、日本企業としては史上最大のM&Aだったんですね。
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  • つあ 2021/9/21 12:48

    懐かしい。
    元を辿れば、皆親戚みたいなものなんですね。
    なんか、系譜が徳川幕府を見るようです。

    青春の握り拳 2017/11/19 13:29

    DDIやJ-phone、端末が登場する度に驚きがあった時代でした^^

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