1999.8 日本テレコムによるデジタルツーカー買収
ほぼ同時期、同様に日産が保有していたツーカー3社についてはDDIが買収して「au」ブランドに。
1999.10 J-フォンブランドが誕生
当時「J-PHONE」というと藤原紀香のイメージが強かったですね
J-PHONE Skywalker 藤原紀香 CM - YouTube
ブランド統合のCM「デジタルツーカーはJ-PHONEへ」
_「デジタルツーカーはJ-PHONEへ」 J-PHONE CM 30"|15"×2 Ver. ※東名阪 未公開作品 ©moritaeiiti - YouTube
J-フォン以降の大きな流れに進む前に、その他ソフトバンクグループについて確認しましょう。
1986.7 日本国際通信(ITJ)
国際電話の新電電だったITJ
合併当初は「国内電話は0088。国際電話は0041。」というキャッチフレーズを展開、国内電話と国際電話を一社で扱う最初の新電電となり事業規模を拡大。
1986.11 国際デジタル通信(IDC)
伊藤忠商事・トヨタ自動車・英ケーブル・アンド・ワイヤレスなどの出資で設立
IDCを巡り、国際電話事業への新規参入を目指すNTTグループとCWで買収戦が起こるが、その後NTTはNTTコミュニケーションズにより自力参入。
再び日本テレコム、J-フォンを取り巻く大きな動きに戻ります。
2001.10 ボーダーフォンによる日本テレコム買収
旧国鉄系から外資系に
始まりは1999年、通信世界大手のブリティッシュ・テレコムとAT&Tが日本テレコムに出資(ブリティッシュ・テレコム20%、AT&T10%)
2001年に入り、AT&Tおよびブリティッシュ・テレコムが相次いでボーダフォンへ日本テレコム持株を売却し、資本提携を解消。これによりボーダフォンの出資比率は子会社目前の45%に。
2001年9月に英ボーダフォン、日本テレコム、JR東日本は共同会見を開き、ボーダフォンの100%子会社であるオランダのボーダフォンインターナショナル・ホールディングスが日本テレコムの普通株式を株式公開買い付け(TOB)すると発表。
大株主に留まり続けたJR東日本も賛同し、ボーダフォンの日本テレコムへの出資比率は66.73%となり、経営権を掌握することに。
ボーダフォンによる日本テレコムの出資比率は69.7%となり、同社役員が代表取締役に就任。当時の日本企業に対するM&Aとしては史上最大となる1兆4千億円を投じ、固定通信事業と移動体通信事業両方を傘下におさめることとなった。
なお、ボーダフォンは当初からジェイフォンしか興味が無いと評されており、同社は「売却の可能性は非常に高いが、収益を改善することが最優先であり、現時点では固定電話事業を売却することはない」とコメントした。また、株式を売却したJR東日本社長の大塚陸毅(当時)も「ボーダフォンの持ち株比率が上がったことで15%のJT株式を持つ意義が薄くなった。」とコメントし、「日本テレコムは、JRの鉄道システムの基幹インフラを担っている重要なパートナー。株式売却後も日本テレコムとの連携は継続する」と発表をおこなった。
イメージキャラクターに永瀬正敏とキャシー・チャウを起用したCMや広告を展開。
1998年3月、イメージキャラクターに藤原紀香(当初は旧J-フォン東京地区のみ、後に東海地区を除く全国)や優香(東海地区のみ)やフェイ・ウォン(関西地区のみ)を起用したCMや広告が流れ、OLなど女性を中心にブーム。
後にデジタルツーカー各社が「J-フォン」を冠した商号に変更。