歌舞伎町のど真ん中に昭和レトロな居酒屋、仕切るのはインディーレスラー「KUDO」!
2017年8月7日 更新

歌舞伎町のど真ん中に昭和レトロな居酒屋、仕切るのはインディーレスラー「KUDO」!

東京・新宿歌舞伎町のど真ん中に昭和レトロ風居酒屋「エビスコ酒場」あり。プロレスファンならお馴染みのこの居酒屋を仕切るのは、DDTプロレスリングのトップレスラーKUDO選手。プロレスキャリア16年、今なおレスラーとして第一線で活躍を続ける一方、この土地で8年間飲食業を営むKUDO選手が淡々と語る、インディーレスラーとしての覚悟、そしてプロレス愛。

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「エビスコ酒場」で8年

ミド編)一方、歌舞伎町のど真ん中でお店を8年間も続けていらっしゃいます。
お店は「ドロップキック※」が1号店、エビスコ酒場は2号店なんです。
プロレス好きの人って語りたいじゃないですか、だからそんな人達が溜まり場に使えるようにと。

元々、それまでの飲食店でのバイト経験で料理が出来たんですよ。それでお店を任されました。それからは昼間はトレーニング、夜は居酒屋の日々ですね。

常連さんが多くて、なかには外人客の常連さんもいます。プロレスファンにとっての観光地みたいになってるところもあります(笑
※DDTプロレスがプロデュースするプロレス&スポーツBar。店内に大画面スクリーンを設置し プロレス&格闘技を中心として各種スポーツ中継を放送、場所はエビスコ酒場と同じビルの8F。
実は居抜きだったという昭和レトロ風な店内

実は居抜きだったという昭和レトロ風な店内

プロレスを語りたいファンと選手のコミュニケーションの場としても役立っている。

後進が安心出来るセカンドキャリアを

インディープロレスは歴史が浅いなかで、選手たちは「どうやって老いていくのか」将来像がないんです。
後進のためにも将来像を築いておきたいですね、「ちゃんと老いたい」というか。
インディーレスラーの後進が安心出来るセカンドキャリアを

インディーレスラーの後進が安心出来るセカンドキャリアを

プロレス好きが集まるからこそ安心してプロレスと向き合えるよう、インディーレスラーとして「ちゃんと老いて行きたい」と語るKUDO選手。
KUDO選手は現在、エビスコ酒場を含むDDTプロレスリングの飲食業部門を、株式会社DDTフーズ代表取締役社長として運営する立場でもある。

「家族から愛をもらって、お客様に愛をお届けする」

2015年には「右ヒザ前十字靭帯断裂」という大怪我をして1年近く戦列を離れていたKUDO選手。

レスラーとして40歳を前にしての大怪我、手術からリハビリを経ての実践復帰。
一方で、その間も「エビスコ酒場」は平常運転を続けている。
ちょうど怪我した時期に子供が出来たんです。だから怪我をした一年は子育てなど家庭としっかり向き合って過ごせましたね。

家族や子供との時間はとても大切。そこで愛をもらって、お客様に愛を届けるんです。

「プロレスは誰しも儲かるものではない」

若い人の中には、プロレスに見切りをつけて辞めていく人もいると話すKUDO選手。

株式会社DDTフーズの社長に打診されたことを奥様に話したら「社長は向かないから止めたほうがいい」と率直に伝えられたというKUDO選手。

プロレスの試合で遠征が入れば店舗の人員調整を行い、身体が疲れやすいバス移動にも「地方でもプロレスが出来て楽しい、お店が休めてラッキー」と笑うKUDO選手。


謙虚という言葉よりはリアリスト。それでいて周囲とプロレスへの想いが溢れるKUDO選手。
「インディーレスラーとしての覚悟」そんなKUDO選手の姿をみて、後に続こうとするレスラーは多いに違いない。
「二足の草鞋」と言うは易し、行うは難し

「二足の草鞋」と言うは易し、行うは難し

KUDO選手に会えるエビスコ酒場、そしてDDTプロレスの会場に足を運んでみてはいかがだろう。
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