第1回プロ野球ドラフト会議(1965年)で1位指名を受けた選手のその後【セ・リーグ】
2020年5月12日 更新

第1回プロ野球ドラフト会議(1965年)で1位指名を受けた選手のその後【セ・リーグ】

日本のプロ野球において新人を獲得する制度としてドラフト会議が1965年から開始されました。ドラフト以降で1位指名を受けた選手はセパ両リーグ合わせて毎年12名。野球のスーパーエリートでもあるこのドラフト1位指名の選手がどうだったかを追ってみました。

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阪神タイガース1位:石床幹雄(投手・土庄高)

石床幹雄

石床幹雄

プロ入りまで

1963年に高松商業高校に入学するが、土庄高校に転校する。
1965年の夏は甲子園県予選を勝ち抜き、準決勝でエース西本明和を擁する松山商に敗退。春夏とも甲子園には出場できなかった。
ドラフト指名時、石床は社会人野球の四国電力に進むことが決定していた。

プロ野球での実績

<現役生活>
1966年~1970年

<成績>
21登板 1勝1敗

<主なタイトル>
なし

<表彰>
なし

1969年のシーズンオフに慢性腎不全に侵されていることが判明。翌1970年8月に肺炎のため、わずか5年で引退した。

引退後

引退後は地元で療養をしながら実家の旅館を手伝い、1976年より活魚料理店「石床」を経営した。
2004年11月23日に自宅で倒れ、亡くなった。57歳没。

大洋ホエールズ1位:岡正光(投手・保原高校)

プロ入りまで

福島県立保原高等学校ではエース、四番打者として活躍。
1965年夏の甲子園に出場し、2回戦(初戦)で高鍋高に完封負け。

プロ野球での実績

<現役生活>
1966年~1968年

<成績>
一軍公式戦出場なし

<主なタイトル>
なし

<表彰>
なし

入団前に左肘を故障しており、回復に努めたものの球威は戻らなかった。一軍での登板機会が無いまま1968年に引退した。

引退後

引退後については、情報がありませんでした。

広島カープ1位:佐野真樹夫(内野手・専修大学)

佐野真樹夫さん

佐野真樹夫さん

プロ入りまで

浜松商業高校3年生時の1961年に主将、三塁手として夏の甲子園に出場する。
卒業後は専修大学に進学。東都大学野球リーグでは1965年、4年生時に主将をつとめ、春秋の連続優勝を達成した。

プロ野球での実績

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