阪神タイガース1位:石床幹雄(投手・土庄高)
via matome.naver.jp
プロ入りまで
1963年に高松商業高校に入学するが、土庄高校に転校する。
1965年の夏は甲子園県予選を勝ち抜き、準決勝でエース西本明和を擁する松山商に敗退。春夏とも甲子園には出場できなかった。
ドラフト指名時、石床は社会人野球の四国電力に進むことが決定していた。
1965年の夏は甲子園県予選を勝ち抜き、準決勝でエース西本明和を擁する松山商に敗退。春夏とも甲子園には出場できなかった。
ドラフト指名時、石床は社会人野球の四国電力に進むことが決定していた。
プロ野球での実績
<現役生活>
1966年~1970年
<成績>
21登板 1勝1敗
<主なタイトル>
なし
<表彰>
なし
1969年のシーズンオフに慢性腎不全に侵されていることが判明。翌1970年8月に肺炎のため、わずか5年で引退した。
1966年~1970年
<成績>
21登板 1勝1敗
<主なタイトル>
なし
<表彰>
なし
1969年のシーズンオフに慢性腎不全に侵されていることが判明。翌1970年8月に肺炎のため、わずか5年で引退した。
引退後
引退後は地元で療養をしながら実家の旅館を手伝い、1976年より活魚料理店「石床」を経営した。
2004年11月23日に自宅で倒れ、亡くなった。57歳没。
2004年11月23日に自宅で倒れ、亡くなった。57歳没。
大洋ホエールズ1位:岡正光(投手・保原高校)
プロ入りまで
福島県立保原高等学校ではエース、四番打者として活躍。
1965年夏の甲子園に出場し、2回戦(初戦)で高鍋高に完封負け。
1965年夏の甲子園に出場し、2回戦(初戦)で高鍋高に完封負け。
プロ野球での実績
<現役生活>
1966年~1968年
<成績>
一軍公式戦出場なし
<主なタイトル>
なし
<表彰>
なし
入団前に左肘を故障しており、回復に努めたものの球威は戻らなかった。一軍での登板機会が無いまま1968年に引退した。
1966年~1968年
<成績>
一軍公式戦出場なし
<主なタイトル>
なし
<表彰>
なし
入団前に左肘を故障しており、回復に努めたものの球威は戻らなかった。一軍での登板機会が無いまま1968年に引退した。
引退後
引退後については、情報がありませんでした。
広島カープ1位:佐野真樹夫(内野手・専修大学)
プロ入りまで
浜松商業高校3年生時の1961年に主将、三塁手として夏の甲子園に出場する。
卒業後は専修大学に進学。東都大学野球リーグでは1965年、4年生時に主将をつとめ、春秋の連続優勝を達成した。
卒業後は専修大学に進学。東都大学野球リーグでは1965年、4年生時に主将をつとめ、春秋の連続優勝を達成した。