第1回プロ野球ドラフト会議(1965年)で1位指名を受けた選手のその後【セ・リーグ】
2020年5月12日 更新

第1回プロ野球ドラフト会議(1965年)で1位指名を受けた選手のその後【セ・リーグ】

日本のプロ野球において新人を獲得する制度としてドラフト会議が1965年から開始されました。ドラフト以降で1位指名を受けた選手はセパ両リーグ合わせて毎年12名。野球のスーパーエリートでもあるこのドラフト1位指名の選手がどうだったかを追ってみました。

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<現役生活>
1966年~1969年

<成績>
162試合 341打席 59安打 3本塁打 打率.193

<主なタイトル>
なし

<表彰>
なし

プロ1年目の1966年から主に三塁手として起用され、57試合に出場。2年目の1967年には三塁手として50試合に先発出場し。しかしその後は怪我もあって出場機会が減少、1969年オフに実働わずか4年で現役を引退。

引退後

引退後は、長年にわたり浜松市内でシニアリーグを指導し、1982年には全国優勝。1984年からは浜松南リトルシニアの監督を務めていた。
1991年のドラフト会議で、息子の佐野心が中日ドラゴンズから6位指名され、史上初めて親子でドラフト指名された。

サンケイスワローズ:河本和昭(投手・広陵高)

1965年の1位指名でをしたのは、森安敏明選手(関西高)だった。森安選手は東映フライヤーズとサンケイスワローズが抽選を行い東映が交渉権を獲得したため、河本選手はいわゆる外れ1位だった。

抽選を外したサンケイは、河本選手を指名したが、入団を拒否されてしまった。河本選手は亜細亜大学に進学したが、プロ入りすることはありませんでした。

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甲子園や大学野球で華々しく活躍し、大きな期待を背にプロの道に進んだ選手たち。しかし誰もが思い通りの成績を残せるわけではない。ケガに苦しみ、伸び悩み、挫折感を抱きながらユニフォームを脱ぐ……。けれども人生はまだゲームセットを迎えてはいない。新たな挑戦を続ける元ドラフト1位選手たちの軌跡を追う!
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