【1994年プロ野球】え?これで最下位!?史上最も高い勝率で最下位になったチームとは!
2023年2月26日 更新

【1994年プロ野球】え?これで最下位!?史上最も高い勝率で最下位になったチームとは!

プロ野球の首位争いは、2位に大差をつけて優勝するチームもいれば、2位と僅差、貯金一桁で優勝するチームもいます。一方、最下位争いも同様で、勝率3割そこそこでぶっちぎりの最下位もいれば、Aクラスに手が届きそうな上位と僅差の最下位もいます。今回は、その中から1974年以降最も高い勝率で最下位になった、1994年の横浜ベイスターズについて振り返ります。

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史上最も高い勝率での最下位

まずは、セパ12球団になった1958年以降で、最下位の勝率トップ5を見てみましょう。
順位 球団(年度) 勝率
1 広島(1973年) 60 67 3 .472
2 横浜(1994年) 61 69 0 .469
3 中日(2022年) 66 75 2 .468
4 日本ハム(1975年) 55 63 12 .466
5 ロッテ(1998年) 61 71 3 .462
実は、1973年の広島が勝率.472でトップです。この年は、首位・巨人から最下位・広島までわずか6.5ゲーム差という、史上稀に見る混戦のペナントレースでした。記録が古いため、今回は敢えて1974年以降(過去50年間)を対象とし、比較的記憶に新しい "1994年の横浜" を取り上げます。

高い勝率での最下位というと、最近では、2022年のセ・リーグが正にそうでした。首位ヤクルトが独走する一方で、2位以下は大混戦。最終的に最下位は中日でしたが、勝率は歴代3番目に高い.468で、3位阪神とはわずか3ゲーム差でした。

そして、過去50年間で最も高い勝率の最下位だったのが、1994年の横浜ベイスターズです。

最終的な順位表を見てみましょう。
順位 球団 勝率 ゲーム差
1 巨人 70 60 0 .538 -
2 中日 69 61 0 .531 1.0
3 広島 66 64 0 .508 4.0
4 ヤクルト 62 68 0 .477 8.0
5 阪神 62 68 0 .477 8.0
6 横浜 61 69 0 .469 9.0
1位の巨人から6位の横浜まで、9ゲーム差に収まる大混戦。実際にリーグ優勝は巨人と中日の最終戦までもつれ込み、その試合は「10.8決戦」と呼ばれ、今も "伝説の死闘" として語り継がれています。

そして、最下位・横浜の最終成績は、61勝69敗勝率.469で、借金はわずか8。1978年のパ・リーグなら、Aクラスに入れたほどの戦績です。

次に、チーム別の対戦成績を見てみましょう。
相手球団
巨人戦 15 11 0
中日戦 11 15 0
広島戦 13 13 0
ヤクルト戦 15 11 0
阪神戦 7 19 0
実は、横浜は、優勝した巨人に唯一勝ち越したチームでした。では、なぜ最下位になったのか?勝敗を見れば、その要因は一目瞭然。苦手・阪神に大きく負け越したためです。因みに、阪神戦を除いて勝敗を見ると、54勝50敗の勝ち越しで、なんと優勝した巨人と全く同じ勝敗になります。

では、ペナントレースの行方を見てみましょう。

巨人の独走を止めた立役者

6月途中には、2位に10ゲーム差をつけ、早くも独走態勢に入っていた巨人6月を終わって貯金20で、他チームを圧倒していました。一方、下位3チームの成績は次の通り。

4位 横浜 30勝33敗
5位 阪神 28勝36敗
6位 広島 24勝35敗


なんと、広島が借金11で単独の最下位。巨人とは、すでに15.5ゲーム差でした。しかし、ここから広島は巻き返し、最終的に勝率は5割を超えてAクラス入りを果たします。

一方、ここまで好調だった巨人は、7月以降調子を落とし、徐々に混戦模様に変わっていきます。その混戦の立役者こそ横浜で、巨人相手に7月17日から8月28日まで7連勝!7月以降の横浜-巨人の対戦成績は10勝2敗で、横浜は完全に巨人をカモにしていました。そう、あの「10.8決戦」を実現した影の立役者は、横浜だったのです。

それを象徴する試合が、8月9日の巨人戦。相手投手の槙原、水野、香田をめった打ちにし、18対2で圧勝します。駒田が4安打、ブラッグスが3安打、石井琢が3安打と大暴れでした。

逆にカモにされたのは阪神で、7月以降の横浜-阪神の対戦成績は4勝9敗。その結果、8月終了時点での下位3チームの成績は次の通りでした。

4位 阪神 54勝57敗
5位 ヤク 51勝56敗
6位 横浜 49勝59敗


横浜は、借金10。単独の最下位です。

1994年 横浜ベイスターズ選手名鑑 YOKOHAMA BAYSTARS

10月最終戦で最下位に

9月に入ると横浜は巻き返し、特に、ヤクルトと巨人を圧倒。9月の成績は12勝6敗で、9月終了時点での下位3チームの成績は、次の通りでした。

4位 横浜 61勝65敗(残り4試合)
5位 阪神 61勝66敗(残り3試合)
6位 ヤク 58勝65敗(残り7試合)


Aクラスも狙えそうな4位まで浮上です。

しかし、横浜は運悪く、巨人を猛追する中日と2試合、苦手阪神と1試合が残っていました。いずれも敗北を喫します。

そして、最終試合となった10月9日のヤクルト戦。横浜とヤクルトがともに61勝68敗で、負けた方が最下位という逆頂上決戦でした。正に、巨人-中日の「10.8決戦」ならぬ、ヤクルト-横浜の「10.9決戦」です。

試合は、8回表まで、斎藤隆の好投で、横浜が1対0でリード。勝利目前でしたが、8回裏に追いつかれ、9回裏、斎藤隆をリリーフした盛田幸希が打たれてしまいます。結果は、1対2のサヨナラ負け。「10.9決戦」の結果は、横浜が最下位となりました。

下位3チームの最終成績は、次の通りです。

4位 ヤク 62勝68敗
4位 阪神 62勝68敗 0.0差
6位 横浜 61勝69敗 1.0差


4位のヤクルト、阪神とは、わずか1ゲーム差でした。

GO!GO!横浜ベイスターズ-熱き星たちよ-'94年度版

1998年優勝への足がかり!?

1994年の横浜は最下位でしたが、翌1995年は16年ぶりの貯金を記録します。そして、1998年についにリーグ優勝&日本一!実は、1998年の優勝メンバーのほとんどは、1994年から残る選手でした。野手は、石井琢、駒田、鈴木尚、R.ローズ、谷繁、波留、進藤、佐伯。投手は、野村、三浦、斎藤隆、島田、五十嵐、そして佐々木。実は、1994年の苦い経験が、後の優勝への足がかりとなったのかもしれません。

1998年10月8日 横浜セ・リーグ優勝の瞬間

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