イベンダー・ホリフィールド  戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇  そしてヒーローに
2024年2月18日 更新

イベンダー・ホリフィールド 戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇 そしてヒーローに

幼き日の聖書的体験。アメリカンフットボールとボクシングに熱中した少年時代。マイク・タイソンとの出会い。そしてオリンピックでの悲劇。

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相変わらず毎朝、走って、高校に行き、ゴリアテに勝つためにボクシングの練習をするという生活が続いたが、徐々に強がりが消え、熱くも賢明で謙虚な姿勢でボクシングができるようになった。
セシル・コリンズとの3戦目は、またもや打ち合いになった。
「心が『2度の敗北で被った痛手を思い出せ』とささやいたが耳を貸さなかった。
心の中の不安には耳を貸さず、理性を失うこともなかったし、今しなければならないこと以外に気を散らすこともなかった。
精神力、魂が導くがままに任せた」
というイベンダー・ホリフィールドは強気で勝負。
連打と強打の応酬となって互角の展開のまま終わったが、イベンダー・ホリフィールドが判定で勝った。
「肌の色で人を判断してはいけない。
外見をみただけでは、その人がどれほどタフなのかわからない。
外見で決めつけると痛い目にあうことになる。
私の腕はセシルより太い。
ヤツの肌は白い。
目はちょっと寄り目だ。
こんなのチョロい。
そんな私の思いとは裏腹に彼は私を2度も負かした。
本当にタフそうなヤツが大したことなくて問題にならないと思ったヤツがすごい勝負をするのを、私は何度も経験している。
人は外見で判断してはいけない。
外見や肌の色に関係なく、人は誰でも尊敬に値し、いつか親友や同僚になるかもしれないのだから」
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16歳のイベンダー・ホリフィールドは、リージョナル(地域)ディビジョンを制し、ステート(州)ディビジョンが次の目標となった。
が、直後、カーター・モーガンが肺気腫によって入院。
息子で助手だったテッド・モーガンが代役を務めた。
やがてカーター・モーガンはジムに戻ってきて数回、イベンダー・ホリフィールドの指導を行ったが、その後、亡くなってしまった。
8年間、人生の半分の間、ボクシングを教えてくれたカーター・モーガンの死にイベンダー・ホリフィールドは激しく動揺した。
「モーガンさんがいなくなってどうして続けていったらいい?
モーガンさんなしにボクシングなんてできない。
もう終わりだ」
自暴自棄になり、一時は闘志を失ったが、
「明日はない」
という口癖を何度も思い出すうちにボクシングをやめることはカーター・モーガンを侮辱することになるように思え、気持ちを改めた。
「トレーニングしなきゃ。
今やめたら、これまでの自分の8年間学んだことが無駄になるし、ここで頑張らないとモーガンさんの努力も無になってしまう」
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高校卒業後、アトランタのエップス空港に就職した。
朝4時に起きて仕事前にジョギングし、実家から空港に通勤し、自家用飛行機の給油の仕事を行い、夜はボクシングとトレーニング、休むのは日曜日だけという生活を続けた。
リージョナル(地域)ディビジョンとステート(州)ディビジョンの試合を確実勝ち続け、それを観に来た同僚、デビッドの
「すごい!」
という口コミが職場に広がって
「チャンプ」
と呼ばれるようになり、会社から支給される制服にも「チャンプ」と刺繍されるようになった。
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ある日、仕事が終わって家に帰ったイベンダー・ホリフィールドが着替えるために押入れを開けるとワイシャツとスラックスがなくなっていた。
犯人は、すぐにわかった。
1人暮らしをしている長兄のジェームズが実家に帰ってくるといつも衣類を持って帰っていたからである。
怒ったイベンダー・ホリフィールドが母親に訴えると、
「兄弟なら分け合わないと・・・」
といわれ、
「分け合う?
アイツは勝手に欲しいものを持っていくんだ。
そんなの分け合うとは・・・」
とさらに声を荒立てたが、途中で口を閉じた。
母親に盾つくのはホリフィールド家では絶対に御法度だったからである。
おまけにホウキで叩こうとする母親を反射的にボクシングの動きでかわしてしまった。
さらに怒った母親は、再度、息子に向かってホウキを振り
、イベンダー・ホリフィールドは、それを受けた。
「この家のやり方に従えないなら、お前は家を出るときが来たのだろう」
母親にいわれ、イベンダー・ホリフィールドは、すぐに部屋に戻って荷物をまとめ、友人の部屋に転がり込んだ。
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ある日、イベンダー・ホリフィールドは、50歳を過ぎた空港の先輩社員の給料を知って、驚いた。
その先輩社員の勤続年数、経験、資格と見合っているとは思えなかったのである。
「もっと頑張らないと・・」
ボクシングをするのにお金がかかるイベンダー・ホリフィールドは、以前、ボーイズクラブで取得した人命救助の資格を使って、週末だけトマスビルコミュニティープールで監視員の仕事をした。
プール監視員は、監視用の高い椅子に座って、プールの中と周辺の危険を少しも見落とせない緊張感のある職務だったが、普段、ボクシングしているイベンダー・ホリフィールドにとっては平穏な仕事だった。
そんな平和な雰囲気の中、女友達と一緒に遊びにきている。カラメル色の肌をした美人を発見。
イベンダー・ホリフィールドは、そばを通って、目が合えば微笑み、ナンパ男が群がり、彼女がそれを楽しんでいるのをヤキモキしながら見守った。
やがてイベンダー・ホリフィールドとポートレット・ガーデンは言葉を交わすようになり、その夏のうちに交際を始めた。
イベンダー・ホリフィールドにとって初めての彼女で、孤独な鍛錬の日々に現れたオアシスにように心が満たされた。
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愛の戦士となり、1982年の州南東部地区大会で勝ち続けたイベンダー・ホリフィールドの次の目標は、インディアナポリス(インディアナ州中央部に位置する都市)で行われるアマチュアボクシング・フェデレーション・ナショナル(全米選手権大会)だった。
1戦目、2戦目は楽勝したが、ロニー・ヒューズ戦で判定負け。
「技術では負けていなかった。
敗北の原因は、スタミナ切れだっだ」
イベンダー・ホリフィールドは、トレーニング量を増やして時間を有効利用するためにスケジュール表を作成。
早朝ランニング、仕事、ウエイトトレーニング、ボクシングというこれまでのスケジュールに追加項目を書込み、上に
「実行」
と書いた。
ウエイトトレーニングのパワートレーニングのメニューを取り入れ、ボクシングの練習の後に1日300回の腕立て伏せを行い、生卵、牛乳、ハチミツを混ぜた「ロッキードリンク」を飲み始めた。
フェデレーション・ナショナル(全米選手権大会)と共に権威を持つナショナル・ゴールデングローブ大会(全米オープントーナメント)を目標に、遊ぶのはポートレットとファストフードを食べに行くくらいで、後は仕事かボクシングかジムでバーベルを挙げた。
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ゴールデン グローブは、アメリカ最大のアマチュアボクシング大会で各地でトーナメントによる地方予選を行われ、勝ち上がれば、マジソン・スクエア・ガーデンで行われる全国大会に進出できる。
イベンダー・ホリフィールドは、ウォームアップとして小さな大会に出場した後、ナショナル・ゴールデングローブ大会で、世界ランキング1位のシャーマン・グリフィンと対戦。
ランキングに入っていないイベンダー・ホリフィールドは、第1ラウンド、第2ラウンド、第3ラウンドと各ラウンドで1回ずつダウンを奪った。
レフリーは、うち1つをスリップと判断したが、自分は1度も倒れることなく試合が終了。
イベンダー・ホリフィールドは、勝利を確信していたが、5人のジャッジの判定は割れ、レフリーはシャーマン・グリフィンの手を挙げて勝者とした。
会場はブーイングが起こって大混乱に陥り、翌日の新聞にも取り上げられた。
イベンダー・ホリフィールドは、
「ナショナルタイトルを強奪された!」
と思ったものの、まったく抗議はせず
「ノックダウンが十分でないならノックダウンの仕方を学ばなければならない」
とさらに一撃必殺の拳を磨くことを誓った。
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1983年4月、キューバとの対抗戦に出るのアメリカ代表選手が負傷したため、イベンダーホリフィールドは代役としてコロラド州のオリンピックトレーニングセンターから招聘された。
この全国的に認められるチャンスにキューバ人選手との苛烈な試合を行い、勝ったと思ったが判定負け。
イベンダー・ホリフィールドは、機会を与えられたことに感謝し、潔く受け入れたが、勇猛果敢な戦いぶりが、オリンピックコーチ、ルーズベルト・サンダースの目に止まった。
「オイッ、お前、ファイターだな。
ランカーになれるぜ。
もう1回チャンスをやろう。
パン・アメリカン大会(Pan American Games、4年に1度開催される総合競技大会)だ。
お前をトレーニングキャンプに連れてっいてどれくらいやれるかみてやる。
だが負けたら家に帰る。
わかったな?」
イベンダー・ホリフィールドはうなずいた。
「きっと勝てる。
でももし勝てなかったら家に帰るんだ」
ルーズベルト・サンダースは念を押した。
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ミズーリ州東部、セントルイスで行われたスポーツフェスティバルが、パン・アメリカン大会出場のテストとなった。
イベンダー・ホリフィールドは、以前に負けているシャーマン・グリフィン、ロニー・ヒューズと
「1発見舞ってやる」
と意気込んで対戦し、勝利。
次の相手は、世界ランキング1位のリッキー・ウォマックス。
おまけにトレーナーにエマニュエル・スチュワードがついていた。
自身、10代でボクシングを始め、ナショナルゴールデングローブ、バンタム級トーナメントで優勝。
経済的理由からプロの道は諦め、働きながらクロンク・ボクシングジム(Kronk Boxing Gym)で指導を始め、1980年に初めてヒルマー・ケンティを世界チャンピオンになり、その後も「ヒットマン」トーマス・ハーンズをはじめ複数の世界チャンピオンを輩出しているトレーナーだった。
シャーマン・グリフィンとロニー・ヒューズにリベンジを果たし、少し満足していたイベンダー・ホリフィールドは、あまりに豪華な肩書とセコンドを持つ相手に、
「不公平じゃないか」
と心の中で毒づいた。
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第1戦、リッキー・ウォマックスに負けたイベンダー・ホリフィールドは、第2戦の棄権を真剣に考え、ルーズベルト・サンダースに電話。
「明日、試合できるかどうかわからないんです。
腕を痛めたんで・・・」
とウソを混ぜて報告したが
「ダメだ!
弁解するな!
腕が痛かったらもう一方でやれ!」
と怒鳴られた。
(そう簡単にやめられそうにない)
しかしイベンダー・ホリフィールドは、すでに勝つ自信も勝とうとする気持ちも失っていた。
どうしていいかわからず、ベッドから起き上がり、膝まづいて祈った。
すると迷いは消えた。
「神は自分をボクサーとして創造された。
ここで断念すれば全能の神に唾を吐くことになる」
興奮して立ち上がったとき、イベンダー・ホリフィールドは挑戦者の顔になっていた。
祈りは、この後もイベンダー・ホリフィールドの武器となった。
「すべてのボクサーが懐疑と倦怠に遭遇することから免れない。
それと戦う有力な武器がお祈りだ。
この超自然的な力が勝利と成功には絶対に欠かせない」
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