イベンダー・ホリフィールド  戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇  そしてヒーローに
2024年2月18日 更新

イベンダー・ホリフィールド 戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇 そしてヒーローに

幼き日の聖書的体験。アメリカンフットボールとボクシングに熱中した少年時代。マイク・タイソンとの出会い。そしてオリンピックでの悲劇。

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その後、我慢できずに祖母の目を盗んで外に遊びに出たとき、見つかり、すぐに呼び戻され、居間のソファーに座らされた。
祖母は、表紙がボロボロになって、ページの余白に書込みやあちこちにアンダーラインが引いた愛用の聖書を持ち出し、孫が犯した過ちを探した。
「旧約聖書のでエジプト記の第20章、第12節にこう書いてある。
あなたの父と母を敬え。
これはあなたの神、主が賜る地であなたが長く生きるためである」
と話し始め、徐々に調子を上げていき
「これら恥ずべきことのうち、最悪のものが親の命令に従わないことだ」
と祖父母を含む親を敬うことの重要性を説明した。
この間、イベンダー・ホリフィールドは、説教を聞きながら、早く終わるように秘かに祈った。
祖母は、何がダメだったのか頭で理解させた後、体に罰を与えるため、イベンダー・ホリフィールドが差し出した腕を木の枝で打った。
「世の中にはよいことも悪いこともあるものだよ。
神様はお前たちが耐えられないような苦しみをお与えにならない。
物事はいつもうまくいくとは限らない。
でも神様を信じ、どんな苦しいことでも耐えて頑張れば、必要な強さを与えてくださる。
神様が苦しみをお与えになるのは、それだけの理由があるのさ。
お前たちに宿っている神様は、ほかの人たちの中に宿っている神様より優れている方だからね」
イベンダー・ホリフィールドは、そういわれても神の贈り物が何なのか理解できなかったが、やがて
「ハットンばあちゃんの厳しい指導に耐える力を与えてくれたのだろう」
と思うようになった。
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イベンダー・ホリフィールドが6歳のとき、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が白人男性に撃たれ、39歳で死亡。
墓標には
「ついに自由を得た」
と刻まれた。
そしてメキシコシティオリンピック、ボクシング競技ヘビー級で、アメリカ代表のジョージ・フォアマンが金メダルを獲得した。、
決勝戦の相手は、ソ連代表のイチオス・チェピュリスで冷戦の真っただ中、米ソ対決を制したジョージ・フォアマンは、勝利したあと、四方に向け礼をするとき小さなアメリカ国旗を振った。
テキサス州ヒューストンの5番区、通称「血の5番区」で生まれ、父と母、4人の兄姉と2人の弟がいたが、自分だけが母親と浮気相手の間に生まれた子供で父親が違った。
朝、学校へ朝いくフリをして親が仕事に出た後、窓から家に入ってベッドで寝て、授業が終わる頃に学校にいき、友達と帰るという生活を繰り返し、単位が取れず留年し、年下の同級生と小学校を卒業。
中学ではアメリカンフットボールと出会い、高い理想を持つ指導者の下、186㎝84㎏の巨体で厳しい練習に耐え、レギュラーになったが、ある日、タバコをくわえているところを指導者にみつかってしまい、
「信頼を裏切ってしまった」
と自己嫌悪に陥って、その後、練習にも学校にも行かなくなってしまい、中学校を卒業できないまま義務教育を終えた。
その後、いくつか仕事に就いたが、飲酒が原因による無断欠勤などで長続きせず、13~15歳まで公園を1人で歩く男にタックルをして押さえつけ、仲間が財布を盗んで後で山分けにするということを続け、ケンカも絶対に負けず、気に入らない者がいればすぐさま殴り、自分をナメるとどうなるか教えた。
16歳で初めてヒューストンを出て、ジョンソン大統領の「Great Society(偉大な社会)」計画の一環である「職業部隊(Job Corps)」に入隊。
オレゴン州郊外にあるトレーニングセンターでボクシングに出会い、数週間後に行われた試合で海軍に所属する相手を、1RでKO。
勝ったとき、これまでこんなに誇らしく嬉しかったことは1度もなく、大声でわめき、リングを跳びはね、その後も試合で勝ち続けた。
2年間の職業部隊の期間を終えると実家へ戻り、身につけた技術を活かせそうな会社に書類を送った。
後は返事を待つだけだと2年間飲めなかった酒を飲み、女の子を口説いていると女の子のボーイフレンドと兄がやってきて、
「俺の彼女だぞ」
というので兄弟まとめて殴った。
そして告訴された。
母親は示談金を支払い、
「ジョージ、道は1つしかないわ」
といって職業部隊のボクシングコーチに電話。
ジョージ・フォアマンは職業部隊のトレーニングセンターに住み込みで働きながら、コーチにビシビシしごかれ、小学生から続けてきたタバコと酒を19歳で断つことに成功し、オリンピック、ボクシング競技のヘビー級のアメリカ代表となったのである。
(そして41歳のときにWBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級チャンピオンとなった28歳のイベンダー・ホリフィールドに挑戦する)
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一方、6歳のイベンダー・ホリフィールドは、朝、アトランタのE・P・ジョンソン小学校に行き、放課後は教会で開かれる子供のための美術と手芸の教室で過ごすのが日課だった。
チャーチ・アット・ハート(心の教会)は、小さく貧しい教会で、信者が座るのはベンチではなくパイプ椅子。
ギャストン牧師の指揮と、その娘婿のひくピアノに合わせて手をたたき、足を踏み鳴らしながら「オー・ハッピデー」を歌い、
熱心なお祈りのために跳び上がって
「ハレルヤ!
イエス様、ありがとうございます」
と叫ぶ者もいた。
ある日、学校が終わった後、クラスメイトに
「ボーイズクラブに行ってみないか ?」
と誘われた。
「ウォーレン・メモリアル・ボーイズクラブ」に入るためには、会員になって毎月50セントを払う必要があり、イベンダー・ホリフィールドは母親の頼んだ。
母親は最初、乗り気ではなかったが、クラスメイトから
「スポーツだけでなく毎週土曜日の朝に聖書を学習するクラスもあるんです」
と聞くと気前よく1年間分6ドルを出した。
こうしてイベンダー・ホリフィールドは学校が終わるとクラブの名前が書かれた車の乗って通うようになった。
ウォーレン・メモリアル・ボーイズクラブは、2階建ての巨大な施設で、オリンピック規格サイズの室内プール、NBA規格のバスケットボールコート、ボクシングのリング、、ビリヤード、ピンボール、図書室、木彫り教室、絵画教室、屋外には野球場とサッカーとアメリカンフットボールを行うグラウンドもあり、2人の白人女性がいる入り口の受け付けで、自分が参加する種目を申し込むシステムだった。
どちらかといえば争いを避け、物静かで攻撃性のない少年だったイベンダー・ホリフィールドは、あるときあり余るエネルギーをボーイズクラブで発散させた。
はじめはいろいろなものを試したが、やがて心をとらえたのはフットボールだった。
アレックス・ストーンコーチが指導するチームに入り、オフェンスではフルバック、ディフェンスではミドルラインバックでプレー。
クォーターバックから即興的な動きと並外れたスピードで相手ディフェンスに穴をこじ開けて、すり抜けるのが得意だった。
熱心に練習し、毎年、クラブの最優秀選手に選ばれた。
アトランタファルコンズのファンで、憧れの43番、デーブ・ハミルトンと一緒にプレーすることが夢だった。
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施設の中でいろいろなスポーツに参加したが、バスケットボールコートの裏側に普通の会員が入れないようにフェンスで覆われたエリアがあった。
そこにはウォーレン・メモリアル・ボクシングチームのパスを持っているものだけが中に入ることができた。
激しいアメリカンフットボールの練習に耐えた後、フェンスにもたれて休みながらみていると、この一般会員が入れない聖域には、見慣れない用具が並んでいて、選ばれし者たちが全身汗まみれになってパンチを繰り出していて、イベンダー・ホリフィールドは、その速さに驚嘆すると共に強い誘惑を感じた。
8歳のとき、ついに誘惑に耐え切れなくなって用事があるフリをして禁じられたゲートを通過。
中に足を踏み入れ、天井から吊り下がっているスピードバッグに近づいて、エネルギーを込めて右拳を突き出したが、見事に外れた。
「ヘイ、ユー。
何してる!
出ろ!」
ずんぐりした白人のコーチ、カーター・モーガンにドラ声で怒鳴られたので
「あれを打ってみたいんだ!」
と返した。
モーガンは首を振りながら近づいてきて
「スピードバッグはダメだ」
といって、ついてこいとジェスチャー。
天井からぶら下がるこげ茶色の皮袋を指し
「あの大きいやつを打ってみろ」
イベンダー・ホリフィールドは近づき、全身の力を込めて右拳を打ち込んだ。
ナックルが革のすり減った部分に命中した瞬間、右腕に鋭い痛みが走った。
50歳後半のモーガンは笑った。
イベンダー・ホリフィールドは痛みを隠しながら
「コーチ、ボクシングチームに入りたいです」
「若ぇの。
ボクシングチームに入るなら、本当にタフじゃないといけないんだぜ」
モーガンは、そういってクルリと向きを変えて去っていった。
(よし、俺がどれだけタフか、証明してやろう)
イベンダー・ホリフィールドは自分自身に言い聞かせた。
それから毎日、囲いで仕切られた場所にいき、カーター・モーガンが気付いてくれるのを待ち、
「ボクシングチームに入れてください」
と懇願。
何週間も頼み続け、ついにチームに入ることが許された。
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8歳のイベンダー・ホリフィールドは、アメリカンフットボールとボクシングを併用し、アメリカンフットボール同様、ボクシングでも練習に打ち込んだ。
シャドーボクシング、ミット打ち、サンドバッグ打ち、縄跳び、ボクシングのトレーニングは、毎日毎日、同じことの繰り返しだった。
基本を習うと、すぐにヘッドギアと大きなグローブをつけたスパーリングや試合も行うようになった。
アメリカでは週末に各地でアマチュアのボクシング大会が開かれ、10歳未満の子供から30代の大人まで幅広い年齢層のボクサーが出場。
リングの周りに椅子とマットを並べられ、試合開始前のセレモニーでは国歌が流れ、出番を待つ選手たちの気持ちを高め、勝者にも敗者にも大小のトロフィーが手渡され、健闘を称え合ってリングを降りるとコーチと反省点を話し合い、翌日から練習をした。
イベンダー・ホリフィールドは、同世代の相手を打ち負かしたが、負けた相手が泣き出すのをみると気が滅入ってしまった。
負けるのはイヤだが、相手をケガをさせたり泣かしてしまうのも同じくらいイヤだった。
泣くヤツは顔面にパンチをもらった後、泣いていたので、
「もう顔は叩かない」
と決め、ボディばかり打った。
そんなことを知らない相手は、ポイントを上げた。
2ラウンド終了後、カーター・モーガンは、
「なんで頭にいかないんだ?」
と聞いた。
「顔を叩いたら泣いちゃうんです」
カーター・モーガンは、グローブを振り回しながら説明するイベンダー・ホリフィールドに
「オイッ、顔を叩かれて泣くんじゃないぞ。
負けたから泣くんだ。
みてみろ」
といって相手コーナーを指した。
「笑ってるじゃないか。
勝っているから笑ってるんだ。
さあ、どうする?」
3ラウンドが始めるとイベンダー・ホリフィールドは、その笑顔を連打。
相手は2度ダウンし、レフリーが試合を止めた。
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その後、ある試合で強い相手を倒したとき、カーター・モーガンが
「お前はいつか世界チャンピオンになるよ」
といったので
イベンダー・ホリフィールドは、家に帰ると
「俺は世界チャンピオンになる」
といい、家族が
「なぜ?」
と聞くと
「モーガンさんがそう言ったから!」
と答えた。
いつも
「才能は神様がお与えになった贈り物なのだから、持ち主が才能の上にあぐらをかいたり怠けてはいけない。
神様はお前たちが時間を賢明に使って、神様の好意に報いるために、その才能を伸ばすことをお望みなのだよ。
神様は確かに贈り物をお前たちに下さったが、それを磨くのはお前たち自身なのだ。
お前たちがその才能を1日でも磨かないと、それだけ才能を失ってしまうのだよ」
といっていた祖母は、それを聞いて
「私のちっちゃなプロボクサー」
といって喜んだ。
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その後、39歳の母親が倒れ、グラディメモリアル病院に運ばれた。
それまでに2回、心臓発作を、脳卒中を3回起こしていたが、精密検査の結果、静脈血栓と左心室に小さな穴があることがわかり、医師は直ちに手術が必要と告げた。
手術は、足から静脈の一部を切り取って、血栓でふさがっている場所を迂回するバイパスをつくるというものだったが、術後、母親は集中治療室で生命の戦いを続けた。
その間、心配する家族に祖母は
「死の天使が彼女を枕元に立って、彼女を私たちから奪おうとしている
でも神の選民である私たちが執り成しの祈りを続ける限り、神のご厚意が受けられるだろう
なぜなら正しい者の祈りは力があると聖書に書かれている」
といい、何が起こっているのか完全に理解することができない幼いイベンダーを抱きしめ
「今にすべてが良くなるよ。
ママはもうじき帰ってくるから」
教会では、祖母を先頭に数十名の信者がひざまずいて祈り、祖母が
「主よ、私の娘、アニー・ローラ・ホリフィールドをお治しください」
「主よ、彼女の子供たちが、まだ彼女を必要としています」
「主よ、死の天使を追い払って彼女を私たちにお返し下さい」
というと、続いて多くの
「アーメン」
がこだました。
ある夜、イベンダー・ホリフィールドは、トイレにいったとき、自室で祈りを捧げる祖母の声を聞いた。
「ハットンばあちゃんは、自分でつくり出した孤独の中で、周囲でささやかれる否定的な雑音を退け、彼女の内部にある強さにのみ精神を集中させていた。
世間から身を隠して神のみを求めていたのだ。
それは私が試合前に控室で行う精神集中と同じだ」
入院して3ヵ月後、祖母の予言通り、母親は退院し家に戻ってきた。
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医師は、心臓発作の再発を危惧して母親が元の仕事に戻ることを禁止した。
家族会議が行われ、今までよりも多く働いて家計を助けることが決定。
イベンダー・ホリフィールドもポケットにあった2セントを提出し、空き瓶集めを開始した。
アスファルトの道路を歩いて道端に捨てられている空き瓶を探し、酒屋で1本5セントで交換してもらい、月に4~5ドルを家に入れた。
廃品回収を始めて間もなく、ホリフィールド一家は、ジョー・アンの家を出て、車で5分ほど離れた一軒家に引っ越し。
4つの寝室があるアンの家よりは狭かったが、人数が減ったせいで1つの部屋に4人ではなく3人で寝れるようになった。
イベンダーは自分たちの家をみて
「人生は予測のできない始まりと終わりの連続だ」
と思った。
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引っ越し先の学区にある学校に転校すると、それまで聞いたことがなかった、
「人種差別」
とか
「オレたち」
「ヤツら」
などの新しい言葉に出会った
転校先のW・F・スレートン小学校は、公民権法(人種差別撤廃法)を施行されたことで人種共学の学校になったが、中には肌の色が異なる人間を嫌う人間もいた。
「みんないいたがらないけど、人種差別があるのは確かなんだ。
兄弟のように愛せよというイエス様の教えをみんなが守らないうちは、人種差別は決してなくならない。
でも人種差別に勝つ1番いい方法は、よく勉強して、どんなことでも、自分がこれと決めたことで1番になることなんだ。
そうすればいくら人種差別しても優秀な者には、そのうち頭を下げるようになる」
イベンダー・ホリフィールドは母親にそういわれたが、問題にぶつかることはなく、人種差別というものが何のことかわからなかった。
「隣のティモシーは白人だとか、通りの先の奴らはヒスパニックだとか、そいうことは考えたことがなかった。
みんな普通の友達だった。
私と同じように野球とアメリカンフットボールが好きな同じ年ごろの子供だった。
その面倒なことが何であれ、それは大人の問題であって、子供に関係ないことだけはハッキリしていた。
誰も肌の色の障壁など意識したことさえなかった」
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イベンダー・ホリフィールドは、8歳からボクシングを始め、小学、中学の数年間を教科書と楕円形のボール、そしてグローブを巧みにやり繰り。
そして11歳までボクシングでは無敗、アメリカンフットボールでもタッチダウンとディフェンスでタックルを決めまくって最優秀選手に選ばれ、家にはたくさんのメダルやトロフィーがあった。
12歳のとき、WBA・WBC世界統一ヘビー級チャンピオン、ジョージ・フォアマンは、元世界ヘビー級チャンピオン:モハメド・アリと3度目の防衛戦を行った。
場所は、アフリカ、ザイール(現:コンゴ)の首都:キンシャサ。
その市外のジャングルを切り開き建てられたスタジアムで行われた。
ジョージ・フォアマンは25歳。
メキシコオリンピック、ヘビー級で金メダルを獲得し、プロ転向後、「象をも倒す」といわれるハードパンチで40戦40勝37KO無敗。
対するモハメド・アリは32歳。
ローマオリンピック、ライトヘビー級で金メダルを獲得し、プロ転向後、22歳で世界ヘビー級チャンピオンとなるも、ベトナム戦争への徴兵を拒否したことで王座を剥奪され、3年7カ月のブランクを余儀なくされた。
復帰後、プロ初ダウンと初黒星を喫し、46戦44勝31KO 2敗。
全盛期は過ぎたと思われるが、ファンはアリを「悲劇のヒーロー」「信念の人」と称賛し、不当に奪われたチャンピオンベルトの奪還を期待した。
ジョージ・フォアマンは、1Rから圧倒的に攻め続け、モハメド・アリを追い込んで強いパンチを打ち込んだ。
モハメド・アリは、ロープによりかかったり、弾力を利用して対応。
後に「ロープ・ア・ドープ(ロープ際のまぬけ)」作戦と呼ばれたが、ジョージ・フォアマンの突進力は弱まってくるとくとモハメド・アリは、ロープ際を離れて攻め始め、8R、コンビネーションパンチで大きくよろめかせ、とどめのパンチを放つとジョージ・フォアマンの巨体が、ゆっくり倒れていった。
この逆転KO劇は「キンシャサの奇跡」と呼ばれ、ジョージ・フォアマンが41戦目にして初めて敗れ、モハメド・アリが2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった。
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