2021年6月22日 更新
『ガンプラり歩き旅』その71 ~吹き荒れろ! ガザの嵐だ、ネオジオンのガザD参上!~
ガンプラ! あの熱きガンダムブーム。あの時代を生きた男子であれば、誰もが胸高鳴り、玩具屋や文房具屋を探し求め走ったガンプラを、メカ単位での紹介をする大好評連載。
新展開では『機動戦士Zガンダム』(1985年)『機動戦士ガンダムZZ』(1986年)『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)まで、旧キットから最新のHGUCまで、商品の発売順に、再現画像と共に網羅紹介していこうという趣向になっております!
その流れの中で、ほぼ同時のガンプラ発売展開とはいえ、『ZZガンダム』商品化第1号にガザDを選び、2号にガルスJを回したバンダイの判断は正しかった。
市場的には、前作の『Zガンダム』ガンプラのリリースラインを引き継ぐ上では、やはりまず前作のデザイン概念の延長上にあるガザDを、その後のZZデザインライン商品とのジョイントに用いるべく、先にナンバリングしておくというのは手堅いビジネスである。
その上で、これはこのガンプラキットそのものに対する言及にもなるのだが、アクシズの呪われたジオンの怨念の象徴として『Zガンダム』後半、大挙して登場して印象を刻み込んだ異形のモビル・スーツ、ガザCは、人気も高かったが、当時はなぜかキット化されなかった。
それは『Zガンダム』後半のモビル・スーツが、殆どがキット化されなかったからでもあるが、その理由はむしろ「続編(『ガンダムZZ』)の制作が決まり、商品展開も新作へ移行するから」であったわけでもあり、そしてその「移行した新作の第1号」がガザDであったことまで含めて考えると、やはり本来はガザCキット化は視野に入っていたのだと思われる。
しかし、小林誠氏がデザインしたガザCの変形機構とシステムは(当時としては)複雑で、2006年のHGUCで初めてバンダイ製ガンプラでは実現できたほどであったのだ。
既にこれまでに書いてきたように、『Zガンダム』の可変モビル・スーツの変形機構は複雑化の一途をたどっており、ガザCも、仮に当時キット化されていたとしても、無変形仕様で立体化されることが精一杯であっただろう。
それを踏まえてガザDの今回のキットを見直すと、この時期出渕氏に何が求められていたのかが分かってくる。
ガザCとガザDは、一見するとただの色替えかと思うほどにデザインが似通っている。
メカに詳しくない人がみれば、前作のアクシズ量産機がそのまま色替えだけで継続登場しているかと見間違うほどであるし、実際に出渕氏とガンプラは、それを狙ったのだろうと思える。
よくみれば、ナックルバスターの形状やバインダーの腕部への付け方など、ほぼ全ての部位のデザインは変更されているのだが、やはりパッと見はガザCに見える。
これは何を意味するのか。
要するにバンダイと出渕氏は「実際のガンプラで変形できる(しかも耐久性とコスト的にハードルが低い)ガザC」を推しだすことを、ZZガンプラ初動でビジネスの任務に置いたのだ。
だからこそ、ガンプラのナンバリングはガザDが1でガルスJが2であるのだが、実際の出番はガルスJが第1話からであるのに対し、ガザDはガンプラでは後発商品メカのズサよりさらに後の、第7話が初登場なのである。
また、「出渕氏ほどの人」が、仮に監督や制作サイドから単純に「ガザCの後継モビル・スーツを」とオーダーされて、ここまで酷似した(実は細かくは全く似ていないというオチまでついた)ガザDを提出するだろうか? むしろ、それを良しとして監督やバンダイが受け取るだろうか?(その証拠に、出渕氏は「ガザシリーズの発展形」としては、しっかりガザCとはシルエットの違うガ・ゾウムを直後にデザインしている)
実際、劇中でガザDは、まさにガザCと同じようなモビル・アーマー形態に変形して、そこもやはり「だったらガザCのままでよかったじゃないか」と素人には思わせるのだが、実はその変形機構は、この当時品ガンプラを作ってみると分かるのだが、複雑怪奇な変形を行ったガザCと比較して、驚くほどシンプルで、しかも劇的にシルエットが変化する可変システムを持っているのだ。
ガンプラとしても、無可変機のガンプラとの違いを見ても、腕部の肩基部取り付けに、若干のトリッキーさがあるだけで、このキットはポリキャップの使用数もパーツの数も、平均的なガンプラの範囲で構成されている。
その上、ガザCとやはりそっくりなMA形態に変形できるのだから、ガザCの変形とは一体なんであったのかレベルで、さすが出渕氏の、「アニメとクリエイターとデザイナーと商品化」というバランスの中では一日の長があった風格を、ガザDは体現してみせているのである。
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