ニューミュージックの先駆者『財津和夫』。多才なアーティストはチューリップで開花した。
2016年11月4日 更新

ニューミュージックの先駆者『財津和夫』。多才なアーティストはチューリップで開花した。

財津和夫の音楽の原点は、九州でのバンド活動。そして、ニューミュージシャンとして、アーティストとしてのメジャーの原点は「チューリップ」。多数の歌手に楽曲を提供しつつ、自身もソロとして活躍してきました。

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ソロ活動

この頃から財津はソロ活動を開始します。
自身でも歌を歌いながらほかの歌手に楽曲を提供し、歌のみならず、エッセイ集の出版やテレビ、映画への出演と幅広く活躍していきます。

自身のヒット曲

1979年12月に発売された「Wake Up」は、ソロとしての最大のヒット曲になりました。
2作目である本作はセイコーのCMソングに起用され、大ヒットを記録した。
のちにアサヒ飲料の缶コーヒー「WONDAモーニングショット」のCMにも使われている。

Wake Up # 財津和夫(CD音源)

松田聖子

財津が一番多くの楽曲を提供したのが「松田聖子」。
1980年4月にデビューした松田聖子は、順調にアイドルの階段を登っていました。
そこへ現れたのが財津作曲の「チェリーブラッサム」。
1981年1月に発売されるや大ヒット。
そして、「夏の扉」「白いパラソル」と続けて提供した曲も大ヒット。
松田聖子のトップアイドルの地位を、不動のものにしたのでした。

松田聖子 チェリーブラッサム

松田聖子 夏の扉

松田聖子 白いパラソル

集大成的ヒット曲

1990年6月発売の沢田知可子の「会いたい」。
彼の神髄であるバラード調の曲は、沢ちひろの詩とベストマッチし大ヒット。
1991年の有線大賞グランプリを獲得し、いまだに歌い継がれる名曲です。
表題曲は、4枚目のアルバム『I miss you』に収録された曲だった。最終的にはミリオンヒットを記録し、沢田の最高のヒット曲となった。翌1991年の『第24回全日本有線放送大賞』(読売テレビ)でグランプリを受賞し、その年の『NHK紅白歌合戦』にも出場した。
作曲を財津和夫が担当。財津所属のチューリップや財津のソロよりも多く売り上げている。

会いたい - 沢田知可子

チューリップ時代の数度にわたるメンバー交代等々、紆余曲折ありながらもミュージシャンとしての道を歩んできた財津和夫。
数々の名曲を世に送り出し、人々を感動の世界にいざなってきました。
そんな財津ももうすぐ69歳。
でも、まだまだ現役でがんばっていただきたいですね。
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