バス・ルッテン  Jumping Splits
2016年11月25日 更新

バス・ルッテン Jumping Splits

パンクラスでは打撃による「秒殺」を量産。また「打・投・極」の総合格闘技3要素の中でほぼ投げを省き「打・極」という新しいスタイルを確立させた。常に笑顔で明るくノリノリな一面と妙に礼儀正しい一面、そして戦いの中でみせるコワい一面。いろいろ興味深い人だけれど、心が大きくて強いのは間違いないと思う。

7,638 view

バス・ルッテン Bas Rutten

 (1740426)

184cm93kg
極真空手2段、
テコンドー2段
キックボクシング、16勝(11KO)1敗1分
パンクラス、キング・オブ・パンクラシスト(18勝(2分以内の勝利14)2敗)
UFCヘビー級チャンピオン
今までの人生の最良のこと:
「赤ちゃんが未熟児で生まれたばかりのときガールフレンドと共にとても重い病気にかかったが命をとりとめたこと」
今までの人生の最悪のこと:
「ガールフレンドと赤ちゃんが瀕死の状態にありオランダの病院で付き添っていたため日本のリングに立てずパンクラスでタイトルを失ったこと」
尊敬する人:
「病気なのに健康な人でも達成できないような目標に到達できた人」
モットー:
「すべてはうまくいく」

すべてはうまくいく?

 (1739819)

バス・ルッテンはオランダ南部の町ティルバーフで生まれた。
父は会計士、母はオランダ自然財団で公共関係の仕事をしていた。
兄は全国的に有名な弁護士である。
自身も現在ではファイターとして名声を得ているが、少年時代は重い喘息と全身の湿疹(皮膚病)に苦しんだ。
常に吸入器を持ち、夜は2度起こされて、ひび割れや出血を抑えるために皮膚に薬を塗り、手足に包帯を巻かなければならなかった。
その上、近視で分厚いレンズのメガネをかけなければならなかった。
重度の喘息のため、階段を歩くことや走ること、自転車に乗ることなど呼吸を困難にするようなことは何もできなかった。
たとえ静かに体を動かさないようにしていても、4週間のうち2週間はベッドで休み、1回の呼吸のために闘わなければならなかった。
6歳から14歳まで毎日24錠の薬を飲まなければならなかった。
レジェンド オランダ格闘家列伝 (1739832)

via レジェンド オランダ格闘家列伝
「薬のために完全にボーっと麻痺したようになっていた日がありました
私は先生が私にいったことを思い出せませんでした
学校にいるときも家にいるときと同じくらい病気だったのです
休みが多かったので1学年を2回繰り返さなくてはなりませんでした
両親や兄は私をできる限り助けてくれようとしましたが十分ではなかったのです
悲しかったです
ほとんどの時間をとても不幸せで失敗をしでかしたような気持ちで過ごしました
喘息で苦しみ、とても痩せていました
このような多くも問題にもかかわらず私はとても元気でした
しかしほとんどの場合、私が体を動かそうとすると病気が邪魔したのです」
via レジェンド オランダ格闘家列伝

スパイダーマン

.
 (1739843)

病気と孤独の中、彼は漫画のスパイダーマンに夢中になった。
家の近くに小さな森があって、よくそこへ篭った。
何年かするうちに、木登りの達人になり、地に足をつけることなく、木から木に何百mも移動することができるようになった。
レジェンド オランダ格闘家列伝 (1739833)

via レジェンド オランダ格闘家列伝

ブルース・リー

 (1739839)

またバス・ルッテンはブルース・リーの映画を観てマーシャルアーツの魅力にとりつかれた。
ヌンチャクを自分でつくり、そして映画でみた技を練習した。

ずっと憧れていた「普通」の青年

 (1740366)

92 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

第2次UWF崩壊 弾け散ったパワー・オブ・ドリーム

第2次UWF崩壊 弾け散ったパワー・オブ・ドリーム

1984年4月11日に旗揚げした第1次UWFは、様々な事件と前田日明と佐山聡のケンカマッチを経て1年半で崩壊。屈辱の新日本プロレス出戻り生活も前田日明が暴れまくったため2年半で終了。再旗揚げした第2次UWFは、社会現象といわれるほど若者を熱狂させながら、2年7ヵ月の活動にピリオドを打った。
RAOH | 1,862 view
わが青春の第2次UWF   古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

わが青春の第2次UWF 古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

第1次UWFは1年半で倒産。新日本プロレスに吸収され、2年半、屈辱の出戻り生活を送るも、数々に事件を引き起こし、最後は解雇され、志高きロクデナシどもは再び立ち上がったのである。
RAOH | 2,910 view
格闘道イベント「敬天愛人」とは?鹿児島で産声を上げる格闘道の発起人、菊野克紀選手に伺った。

格闘道イベント「敬天愛人」とは?鹿児島で産声を上げる格闘道の発起人、菊野克紀選手に伺った。

数多くの格闘技が共存共栄する日本。ときにブームに沸き、ときに存続の危機に立たされる世界で、格闘家は黙々と 己との闘いを刻み続けている。そんな格闘技を通じて体得出来ることを「格闘道」として広く発信しようと取り組む 菊野克紀選手。格闘家としての頂点をみた男の大いなる挑戦に耳を傾けていただきたい。
船木誠勝 船木さんが「明日また生きろ」といってくれたからボクは今日も生きています。

船木誠勝 船木さんが「明日また生きろ」といってくれたからボクは今日も生きています。

中学卒業後、新日本プロレス入り。その後、UWF、藤原組を経て、自らの団体「ハイブリッドレスリング パンクラス」を立ち上げた。「秒殺」という言葉が流行り「肉体改造法」はヒットした。ヒクソン・グレーシー戦では落ちても(失神しても)ギブアップしなかった(あきらめなかった)。
RAOH | 28,011 view
時代を創るプロレスラー、“世界一性格の悪い男”鈴木みのる

時代を創るプロレスラー、“世界一性格の悪い男”鈴木みのる

現在、プロレスリング・ノアのヘビー級王者としてノアのリングで大暴れをしている鈴木軍大将鈴木みのる。 たくさんのリングで創ってきた道(戦い)をまとめてみました。
hinata | 5,041 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト