1975年8月 一家でアメリカへ・・・そして1978年 解散
「フィンガー5」75年『フィンガー5ファーストライブ』2枚組アルバム「ポリドール」1枚目が75年8月9日「中野サンプラザホール」でのコンサートより収録。2枚目は企画物。長男「玉元一夫」さんが脱退し長女の息子「具志堅実」さんが加入したが78年解散 #レコード食堂 https://t.co/IvAMSYIV36 pic.twitter.com/3tIULVvc4g
— レコード食堂 杉戸町 (@A813tea) March 15, 2021
■デビューして1年半、人気絶頂なのに…
フィンガー5が突然解散!
アメリカへ留学
先ず考えられるのは、「晃(13歳)の声帯の変化」 少年だった晃も声変わりの時期を迎え「フィンガー5」の人気を支える晃のハイトーンボイスが出なくなってきたので、イメージチェンジの為に渡米する。
他には、契約が切れる所属事務所からの独立問題や金銭問題。又、兄妹が大きくなり「それぞれが自分のやりたいことを考えはじめた」のも理由の一つと言われています。
2年で1億3000万円を稼いだといわれた「フィンガー5」永住も視野に入れ「世界のフィンガー5」になる為の日本脱出とも噂されましたが、渡米直前のコンサートでは帰ってくる事を約束しています。
2000人余のファンが熱狂し泣きじゃくった。
「ほんとに、アメリカに行ってしまうの」
「はい」
「日本に帰ってくるんでしょうね」
「ええ、もちろんです。来年2月に帰る予定です」
ファンが一番気になることを司会者が聞き、一夫がはっきりと答えています。
又、終盤には、
「どうぞ、ぼくたちが帰ってくるまで、みなさん待っていてください。アメリカでもっといい音楽をつくるため、ぼくらは精一杯勉強してきます」と、一夫が語っています。
仕事があればアメリカで活動する予定だったようですが、思ったように活動できませんでした。
これまでマネージャーも兼任していた一夫がマネージャーに専念するため脱退し、単身帰国。
中野サンプラザでのコンサートでデビューしていた甥の”具志堅実”(当時8歳)が加入。
アメリカ滞在中の1975年11月に「帰ってくるよ」をリリースしたものの、目立った活躍がないまま一家は翌76年2月9日に帰国。
帰国第1弾の新曲「ジェット・マシーン」はブラックミュージック路線を意識したものでしたが、晃のハイトーンボイスが以前のように出ない事、ファンの求めるものとのギャップ、そして何より日本を留守にしていた空白期間を埋められず、人気が低迷してしまいます。
Jet Machine Finger 5
という事です。
活動期間は短かった「フィンガー5」ですが、沖縄出身・沖縄アクターズスクール出身のアーティストが音楽シーンを席巻していた90年代よりずいぶん前に、沖縄から人気グループが出ていた事になります。
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沖縄に惹かれ「沖縄アクターズスクール」を立ち上げた" 牧野正幸"さんによると、「沖縄の子は眼が面白い。眼が違う。」そうです。
そして、もうお一方 沖縄からのアイドルと言えば・・・
誰もいない海~♪ 17才は南沙織の名曲!シンシアと呼ばれたアイドル時代から現在は? - Middle Edge(ミドルエッジ)

フィンガー5 人気絶頂期のあれこれ・・・今だから語れる
■沖縄→東京→アメリカ 一族総出の大移動
都心で当時 家賃30万円の物件に住んでいたそうですが、5人の兄妹で皆を養っていたのでしょうか?
アメリカへも15人総出で飛び立っていて、「2年間の稼ぎは全てアメリカ行きで消えた。」と噂されていました。
■小6の晃に「俺はビッグになるから」と予告していた矢沢永吉(当時 キャロル)
ちょっと想像できませんが、お互いにお互いの前座をやってコンサートも一緒にやる仲だったという事です。
ファン層は全然違うでしょうね~方やバリバリのリーゼントでハーレーに乗って、もう片方は子供(笑)
何だかピリピリした雰囲気かと思いきや、みんな優しかったそうです。
中でも予想通り(笑)”矢沢永吉”さんの個性は強烈だったと。
楽屋でウリ型のベースを持って、「晃、ちょっといいか。これでひともうけして、俺はビッグになるから」と、まだ子供の晃に真面目な顔で語られたそうです。
まさに有言実行の”矢沢永吉”さんですね。
やっぱり、カッコイイです。