清原のバットが飛ぶ!大乱闘を演じた【平沼定晴投手】第二の職業人生
2018年1月17日 更新

清原のバットが飛ぶ!大乱闘を演じた【平沼定晴投手】第二の職業人生

1989年9月23日、プロ野球西武対ロッテ戦で、大乱闘事件が起きました。左ひじに直撃の投球を受けた清原和博氏が、怒ってまずバットを投げつけて、そして跳び蹴りを食らわすという激しい乱闘。その投手、平沼定晴さんのその後について書かれている本がありましたので、ご紹介します。

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立浪和義さんとの出会い。

打撃投手は、一筋縄ではいかない職業です。打たれないようにするのが現役の投手ならば、いかに打者を育て、打ってもらうための投球をするかが、打撃投手の役目です。平沼さんはメンタルも強く、そうはならなかったそうですが、中には打者の注文に応えるような投球ができず、イップスで辞めていく打撃投手が出てくると、自分もいつかそうなるのではという不安はあったようです。

その中で、平沼さんの支えになったのは、「ミスタードラゴンズ」立浪和義さんでした。
立浪和義さんカード。

立浪和義さんカード。

立浪和義さん著作。

立浪和義さん著作。

立浪さんは、打撃投手としての平沼さんをとても重宝し、よく平沼さんを指名して練習していました。
立浪さんくらいのスーパースターになると、打撃投手に求める技術も並のものではなく、要求を満たせる打撃投手を探すと、平沼さんが一番だったのでしょう。
立浪さんの練習量に付き合うのは体力的にも半端ではなく、きつかったそうですが、自分を凄く買ってくれたのは、うれしかったし、立浪さんに逆に成長させてもらった、と述べています。

厳しい要求。

立浪さんが要求したボールは、このようなものでした。
緩いスローボールを投げた後に、今度は速い球を要求したり、内角へ速い球、スライダーはもっと大きく腕を振って投げて欲しい、スローボールは山なりのゆっくりしたもの、高めの速い球、これらを次々と要求してきて、平沼さんも肩の感覚がおかしくなってしまうほどだったそうです。
平沼さんとて人間ですから、要求された球を投げられない時もある。しかし立浪さんは顔に出さずに、文句ひとつも言わずに平沼さんの球を打ってくれたそうです。
すごく感謝をしている、と平沼さんは述べています。

「打撃投手」とは、投手なら誰でもなれるものではない。

平沼さんはこう述べています。
「コントロールがよかろうが悪かろうが、気が大きかろうが、小さかろうが誰にでもいつ何が起こるかわからん。」
「言えるのは、やった人にしかわからないということ。」という言葉も述べています。

打撃投手を伸ばすか潰すかは打者次第。

例えば、打撃投手を軽く見る打者が、ストライクが入らないと、「給料もらってるんだから、きちんと投げんか!」と言われれば、すぐに潰れてしまうし、逆に打者が励まし、感謝、賞賛によって打撃投手が育つのも真実だということです。
あの井端選手も、三割を打った時に、「先輩がいつも投げてくれるから、三割打てました。」と平沼さんにお礼を言ったそうです。

野球は決して1人のスーパースターがチームを引っ張って優勝するわけではありません。「団体競技」なのです。9人の選手の裏側には、膨大な数の人々が仕事をしています。
その1人に、打撃投手もいます。
打撃投手の良し悪しが、そのチームの行方を左右することもあるのでしょう。
清原氏との乱闘がよく取り上げられる平沼さんですが・・・。

清原氏との乱闘がよく取り上げられる平沼さんですが・・・。

現在は打撃投手を引退し、用具係として野球に携わり続けている平沼さん。
用具係一つにしても、おそらく現役で長期間プレーしてきた経験、打撃投手として数々の名選手に感謝されるほど活躍した経験、それらの経験で、確かな用具を選んでいる姿が想像できます。
「野球は団体競技(これは著者の澤宮優さんの言葉と思われます。)」「言えるのはやった人にしかわからないということ」という言葉が、この記事を書いていて心に残りました。
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