1998年の横浜ベイスターズ日本一に貢献した三浦大輔が引退!
横浜DeNAベイスターズの背番号「18」が引退を決め、20日に会見を開いた。
1998年には自己最多タイのシーズン12勝を挙げ、エースとして活躍。チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した三浦大輔投手(42)。
現役最年長選手でもある三浦が今季限りでの引退をファンに報告した。
1998年には自己最多タイのシーズン12勝を挙げ、エースとして活躍。チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した三浦大輔投手(42)。
現役最年長選手でもある三浦が今季限りでの引退をファンに報告した。
会見の冒頭で「私、三浦大輔は、今シーズン限りで引退します」と現役引退を表明。「25年間横浜の街で育てられて、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってくることができました。いろんな思いがありますけど、感謝の気持ちでいっぱいです」と心境を語った。
引退を決断した理由について聞かれると「勝てなくなったからです。勝てなくなったらやめると決めていました」と「ハマの番長」らしくきっぱりと答えた。
また、空き番号となる三浦が背負った背番号「18」は、ここまでの功績を評してチームの象徴となる「横浜ナンバー」とし、番号にふさわしい選手が現れるまで使用しないことも発表された。
引退を決断した理由について聞かれると「勝てなくなったからです。勝てなくなったらやめると決めていました」と「ハマの番長」らしくきっぱりと答えた。
また、空き番号となる三浦が背負った背番号「18」は、ここまでの功績を評してチームの象徴となる「横浜ナンバー」とし、番号にふさわしい選手が現れるまで使用しないことも発表された。
via amd.c.yimg.jp
三浦は1991年ドラフト6位で大洋(現DeNA)に入団。
「ハマの番長」の愛称で親しまれ、大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと四半世紀もの間横浜一筋を貫いた。
25年間で532試合に登板し、通算172勝を挙げた。97年には最高勝率、2005年には最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得した。
プロ初勝利は1993年9月4日。広島戦。2度目の先発で7回を2安打にまとめる。8回2死に金本知憲選手に本塁打を浴びるが、広島の4番江藤智選手から三振を奪うなど好投した。
同僚から愛され、ファンからも愛され続けてきた。プロ2年目から継続する23年連続勝利はプロ野球タイ記録。
今季7月11日の中日戦で達成した24年連続安打の「世界記録」はギネス記録にも刻まれた。
14年からは投手コーチを兼任。日本プロ野球での現役最年長選手となった今季は、2試合に先発するも勝ち星を挙げることができていなかった。
「ハマの番長」の愛称で親しまれ、大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと四半世紀もの間横浜一筋を貫いた。
25年間で532試合に登板し、通算172勝を挙げた。97年には最高勝率、2005年には最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得した。
プロ初勝利は1993年9月4日。広島戦。2度目の先発で7回を2安打にまとめる。8回2死に金本知憲選手に本塁打を浴びるが、広島の4番江藤智選手から三振を奪うなど好投した。
同僚から愛され、ファンからも愛され続けてきた。プロ2年目から継続する23年連続勝利はプロ野球タイ記録。
今季7月11日の中日戦で達成した24年連続安打の「世界記録」はギネス記録にも刻まれた。
14年からは投手コーチを兼任。日本プロ野球での現役最年長選手となった今季は、2試合に先発するも勝ち星を挙げることができていなかった。
via i.huffpost.com
会見で三浦は「まだまだ投げたいし、ずっとユニフォームを着続けたいという思いもあります」と率直な心境も吐露。
だが「いつかは現役を引退しないといけない。誰もが通る道」と語り、「違うステージでも三浦大輔は頑張っていきますので、そこでも応援していただければと思います」とファンへメッセージを送った。
だが「いつかは現役を引退しないといけない。誰もが通る道」と語り、「違うステージでも三浦大輔は頑張っていきますので、そこでも応援していただければと思います」とファンへメッセージを送った。
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12 件
バーボン 2021/7/9 15:35
沖縄キャンプで焦らして焦らして
背中の背番号18を報道陣にパァっと披露した姿が懐かしい。
お疲れ様❗️