2017年3月29日 更新
ラスボス【小林幸子】ニコニコ動画などで新たに若年層のファンをゲットした昭和のスター!彼女のガッツとノリのよさは見習ったほうがよいです!!
これまで『紅白歌合戦』に計34回出場し、ポケットモンスターの主題歌も歌うラスボス『小林幸子』第二の美空ひばりと呼ばれ華々しく9歳でデビューするも、長く不遇の時代がありました。最近の大活躍ぶりも見ながら、これまでの歴史をふりかえってみました。
小林 幸子と紅白歌合戦
1979年に有線放送から徐々に火がついた『おもいで酒』が、ついに200万枚の大ヒットを成し遂げます。この年の暮れには『第30回NHK紅白歌合戦』に出場、念願の紅白初出場を果たします。
1978年の大晦日は熱海で興行をしており、マネージャーやスタッフと一緒に紅白を見ながら「来年こそは絶対にヒット曲を出して紅白へ出たいな!」と話したところ、スタッフ達に「幸っちゃん、絶対無理だよ!!」と笑われてしまったそうです。しかし翌年に本当にヒット曲を出し、紅白初出場できたのが夢のようだったと小林は語っています。
ここからの小林幸子の活躍はめまぐるしく、1980年にはシングル『とまり木』も大ヒット。その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』、『雪椿』などの大ヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たします。なかでも1992年 - 2009年まで紅白での美川憲一との派手な衣装対決は紅白恒例の話題作りとなっていました。(美川は2010年以降は出場していない)
小林 幸子と紅白歌合戦その2、VS 和田アキ子
和田アキ子が「出場歌手が発表されていないにも関わらず、どうして衣装制作ができるのか?」「もし、出場できなかったら、あの衣装はどうするのか?」「あれは衣装じゃなくて舞台装置」などと、豪華衣装があるが故に事実上小林の紅白出場が確約状態にあることに不満を示し批判していました。
それに対して小林幸子は「紅白の衣装は、見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「紅白に出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならば直にはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと当時のワイドショーなどで反論していました。
小林 幸子と紅白歌合戦その3、豪華な衣装
第30回(1979年)に初出場を果たしてから、正規の歌手としての出場は連続で33回しました。しかし2010年の紅白歌合戦では、両軍ともにトリにポップスのグループ歌手を起用するなどの改革がNHKで行われ「豪華な衣装対決」は否定される形になりました。これにより美川憲一とも出場内定枠から漏れましたが、美川はそのまま落選、小林は出場枠になんとかくい込めました。
新潟県中越沖地震(2007年7月16日)発生時、小林は豪華衣装の封印を考えていたが、新潟の被災者からは「自粛しないで欲しい」との依頼が多数有った事も有り、従来通り豪華衣装を披露しました。
2012年~2014年の3年間、紅白歌合戦に不選出となりましたが、2015年に4年ぶり特別出演としての紅白出場を果たしました。
小林 幸子とポケットモンスター
1997年、にはテレビ東京系アニメ『ポケットモンスター』のエンディングテーマ『ポケットにファンタジー』を歌います。これをきっかけに、以後何度かポケモン関連の活動を行っています。『ポケットにファンタジー』がテレビ初放映されたのはあのポケモンショックの回でした。
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