レコ大から紅白への瞬間移動とは
日本レコード大賞(レコ大)からNHK紅白歌合戦(紅白)への瞬間移動とは何でしょうか?昭和の両番組を視聴していた方にとっては、おなじみの仰天技です。当時の様子を振り返ります。
瞬間移動が始まったのは1969年
日本レコード大賞が大晦日の生中継になったのは、1969年(第11回)のこと。会場も帝国劇場に変わり、司会もあのおなじみの高橋圭三が務めるようになりました。
驚くのはその放送時間で、なんとNHK紅白歌合戦の直前、19時から21時に割り当てられました。これにより、両番組の出演者は、レコ大のエンディングから紅白のオープニングの数分の間に会場を移動するという、手品のような瞬間移動が行われるようになったのです。
ちなみに、このTBSの試みは大成功し、レコ大の視聴率は、前年の10.3%から30.9%に大幅上昇。紅白と並ぶ大晦日の恒例行事となりました。
驚くのはその放送時間で、なんとNHK紅白歌合戦の直前、19時から21時に割り当てられました。これにより、両番組の出演者は、レコ大のエンディングから紅白のオープニングの数分の間に会場を移動するという、手品のような瞬間移動が行われるようになったのです。
ちなみに、このTBSの試みは大成功し、レコ大の視聴率は、前年の10.3%から30.9%に大幅上昇。紅白と並ぶ大晦日の恒例行事となりました。
帝国劇場からNHKホールへの瞬間移動
瞬間移動と言っても、1972年まではNHK紅白歌合戦の会場は東京宝塚劇場(千代田区有楽町)で、帝国劇場(千代田区丸の内)とは目と鼻の先。600メートル程度しか離れていなかったため、瞬間移動も十分可能でした。
ところが、1973年より、紅白の会場はNHKホール(渋谷区神南)に変わります。レコ大の会場である帝国劇場(千代田区丸の内)からの距離は、一般道で7km以上!(Googleマップ調べ)
レコ大は21時少し前に放送を終了するので、若干の空き時間があるのですが、その時間、わずか9分!
この年から驚くべき瞬間移動が始まります。
当時の瞬間移動について、紅白の常連歌手らは次のように話しています。
ところが、1973年より、紅白の会場はNHKホール(渋谷区神南)に変わります。レコ大の会場である帝国劇場(千代田区丸の内)からの距離は、一般道で7km以上!(Googleマップ調べ)
レコ大は21時少し前に放送を終了するので、若干の空き時間があるのですが、その時間、わずか9分!
この年から驚くべき瞬間移動が始まります。
当時の瞬間移動について、紅白の常連歌手らは次のように話しています。
この“9分間の瞬間移動”について、石川さゆり(63)ら紅白常連の歌手が明かした話によると、レコ大受賞歌手は感激に浸る間もなく、車に乗り込み、猛スピードで渋谷へ向かったが、その際、警視庁のパトカーや白バイが先導したり、信号を全部青にして移動したという逸話があった。2番組ともにそれほどの国民的行事だった。お茶の間もレコ大受賞者が紅白のオープニングに間に合うかハラハラしながら見守った。
八代亜紀『雨の慕情』 - 1980年(第22回)日本レコード大賞受賞曲
八代亜紀 / 雨の慕情
via www.youtube.com
レコ大のラジオ放送はさらに厳しかった
日本レコード大賞は、テレビ放送だけではありません。ラジオ放送もあります。
ラジオ放送は、テレビ放送よりさらに厳しかったようです。かつては、テレビよりラジオの方が放送時間が長く、テレビ放送が終了しても、ラジオではレコード大賞受賞者をつかまえてインタビューする役割があったようです。ただでさえ、NHKホールへの瞬間移動のため、慌ただしい舞台裏。当時の様子を、元TBSのプロデューサーは次のように語っています。
ラジオ放送は、テレビ放送よりさらに厳しかったようです。かつては、テレビよりラジオの方が放送時間が長く、テレビ放送が終了しても、ラジオではレコード大賞受賞者をつかまえてインタビューする役割があったようです。ただでさえ、NHKホールへの瞬間移動のため、慌ただしい舞台裏。当時の様子を、元TBSのプロデューサーは次のように語っています。
進行役のアナウンサーは、会場一番奥のブースでしゃべっている。特にラジオが大変なのは、テレビより放送時間が5分ほど長いこと。テレビでは大賞受賞者の歌の間にエンドロールが流れて終了するが、ラジオはそこから約5分、大賞受賞者のインタビューを行う。
(中略)
この時代はNHKの紅白が直後スタートとあって、たいていの場合は、大賞受賞歌手はすぐにNHKに向かわなくてはならない。NHKの担当者も迎えに来て、今にも連れ出そうとしている。その大混乱の中、3回とも無事大賞歌手をインタビューすることができた。今思えばまさに戦場だった。
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レコ大の会場は日本武道館に
1985年、ついに日本レコード大賞の会場が、おなじみの帝国劇場(千代田区丸の内)から日本武道館(千代田区北の丸公園)に変わります。しかし、紅白の会場であるNHKホール(渋谷区神南)までの距離はほとんど変わらず、一般道で7km以上!(Googleマップ調べ)
瞬間移動の状況も変わらずです。
しかし、程なくして、両会場の大移動がさらに激化することとなります。
瞬間移動の状況も変わらずです。
しかし、程なくして、両会場の大移動がさらに激化することとなります。
香西かおり『無言坂』 - 1993年(第35回)日本レコード大賞受賞曲
香西かおり - 「無言坂」
via www.youtube.com
紅白が2部制に・・・大移動の激化
1989年(第40回)のNHK紅白歌合戦より、番組が2部構成に変わります。それまで21時放送開始でしたが、この年から次のような構成になりました。
1部 19:20 - 20:55
2部 21:00 - 23:45
これにより、レコ大の放送時間と紅白1部の放送時間がバッティング。瞬間移動よりも、出演歌手の争奪戦や掛け持ち、両会場間を行ったり来たりする大移動が問題となります。すでに衰退期を迎えていたレコ大は、さらに視聴率を低下させていくことになります。
当時の凄まじい状況について、元TBSのプロデューサーは、小野正利のエピソードで次のように語っています。
1部 19:20 - 20:55
2部 21:00 - 23:45
これにより、レコ大の放送時間と紅白1部の放送時間がバッティング。瞬間移動よりも、出演歌手の争奪戦や掛け持ち、両会場間を行ったり来たりする大移動が問題となります。すでに衰退期を迎えていたレコ大は、さらに視聴率を低下させていくことになります。
当時の凄まじい状況について、元TBSのプロデューサーは、小野正利のエピソードで次のように語っています。
戦場と言えば、1992年の第34回。この時代は紅白が2部制になって7時20分スタートとなり、レコード大賞とは、ほぼ2時間表裏のどちらも生放送。すなわち、同じ歌手が “レコ大” の武道館と紅白のNHKホール(渋谷)を行ったり来たり。渋谷が終わったら武道館へ、武道館から渋谷へ行ってまた武道館に戻るとか、まさに綱渡りの複雑なパズルだった。
(中略)
特にしびれたのがレコ大新人賞の小野正利。NHKの出番が終わって12分後にレコ大の出番。すなわち渋谷のNHKからレコ大の武道館まで10分以内で運ばなくてはならない。小野正利をすぐキャッチしてNHKホールの廊下を本人と一緒に全力疾走。車のルートは事前に試走しているので大丈夫、信号も少なく高速の入口、出口共に近いので法定速度も守りながら、渋谷から武道館まで8分で到着。無事彼を送り届けることができ、レコ大のステージにも十分間に合うことができた。これもまた忘れられない思い出である。
上沼恵美子 - 1994年(第45回)〜 1995年(第46回) NHK紅白歌合戦 紅組司会
上沼恵美子が紅白歌合戦で紅組司会を務めた際の舞台裏を語ります。
via www.youtube.com