皆さんは”スパーク三人娘”って、憶えていますか??
2018年9月3日 更新

皆さんは”スパーク三人娘”って、憶えていますか??

以前、私が書いた歌手の雪村いづみは1950年代に活躍した一人で、同時期に活躍が著しかった美空ひばり・江利チエミと共に、”元祖三人娘”と呼ばれていた。私も彼女を調べる過程で、この”三人娘”なるものを再認識したのだが、世の中にはこの”三人娘”があるは!、あるは!、大体一組あたり一編の記事を書いたとしても、十篇は書けそうな勢いで存在する(反響はないかもしれませんが・・・??)

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”スパーク三人娘”とは??

スパーク3人娘(スパークさんにんむすめ)とは、当時渡辺プロダクションに所属していた中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりの3人の総称で、1960年代中頃に名付けられた。「ナベプロ三人娘」や単に「三人娘」と呼ばれることもある。
三人娘(伊東ゆかり・中尾ミエ・園まり)

三人娘(伊東ゆかり・中尾ミエ・園まり)

今でも三人は仲が良く、このように三人で共同運営するフェースブックのアカウントも持っている。

そもそも”三人娘”とは??

本来のグループ歌手(例えばキャンディーズやAKB48など)のように当初からグループ活動を意図して結成されたものではなく、後から所属芸能事務所・レコード会社・マスコミなどにより付けられた「三人をグループ的に扱うためのキャッチコピー」としての意味合いが強かった。

従って、結成時期(命名時期)は比較的はっきりしているが、「解散」、「卒業」などといった概念はグループ歌手と異なって無く、ユニットの解消は自然消滅のように起こる。芸能活動の性質としては、グループ歌手と比べて独立性が強いものから、ソロ活動よりユニットとしての活動が多かったものまで幅広い。また、同世代の同じジャンルの歌手で構成されているので、メンバー同士がお互いにライバルでもあり、世間から何かと比較もされやすい。ユニットが自然消滅した後でもしばしば比較される場合もある。中には、機会があるごとに再集結するユニットも存在する。

”元祖三人娘”の戦略的勝利で「三人娘」を勢いづかす!!

”元祖三人娘(美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ)”が人々の間に浸透し始めていた1953年~54年頃には”初代三人娘(黒柳徹子・横山道代(現・横山通乃)・里見京子)”や”NHK三人娘(馬渕晴子・冨士眞奈美・小林千登勢)が同時発生的に生まれていたが、世の中で広く呼ばれていたものではなかったようだ。さしずめ、NHKや放送界の中だけで通じることばだったのではなかろうか?!。
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『ヤン坊ニン坊トン坊』(やんぼうにんぼうとんぼう)は、1950年代中期にNHKラジオ第1で放送されていたラジオドラマである。また、このラジオドラマで声優として主演し、一躍人気を集め、日本のタレントで初めて「三人娘」と呼ばれたユニットが”初代三人娘(黒柳徹子・横山道代(現・横山通乃)・里見京子)”である。登場当初は単に「三人娘」と呼ばれたが後発組が「~三人娘」と言う名称を使用することが多くなったため、後年に識別上「初代三人娘」と言われることが多くなった。

テレビ放送初期のころ、NHK専属の女優であった馬渕晴子・冨士眞奈美・小林千登勢の3人がドラマ『輪唱』をきっかけに人気を獲得し、”NHK三人娘”と呼ばれた。
映画『ジャンケン娘』のポスター

映画『ジャンケン娘』のポスター

当時、歌手として人気がうなぎ登りだった美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの三人が主演したこの映画で、世の中に”三人娘”という言葉を定着させることになったのだ。
暫くの間、”三人娘”と言えば、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみのことを指したほどであった。
しかし、以降の後発組が「~三人娘」と言う名称を使用することが多くなったため、後年に識別上「元祖三人娘」と言われることが多くなった。

そろそろ”スパーク三人娘に進みますか!?

スパーク3人娘(スパークさんにんむすめ)は、当時渡辺プロダクションに所属していた中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりの3人の総称で、1960年代中頃に名付けられた。「ナベプロ3人娘」や単に「3人娘」と呼ばれることもある。漢字書きの「三人娘」として表記される事が多かった。

”スパーク三人娘”はそれぞれの魅力があった!!

姉御肌で歌はピカ一だった”中尾ミエ”!!

ゴールデン☆ベスト 中尾ミエ

ゴールデン☆ベスト 中尾ミエ

中尾 ミエ(なかお ミエ、1946年6月6日 - )は、歌手、タレント。本名 中尾 美禰子(なかお みねこ)。
6人兄弟。実家は北九州市小倉北区書店を経営していたが、父親が事業に失敗し、1958年に一家で上京。福岡学芸大学附属小倉小学校を経て、精華学園中学校時代に渡辺プロダクションにスカウトされる。当時はアメリカン・スタンダード・ポップスのナンバーを歌っていた。
1961年に渡辺プロと契約。当時人気だったザ・ピーナッツの後継として期待され、クレージーキャッツ主演の『シャボン玉ホリデー』などに出演し、一時代を築く。確かな歌唱力で、人気を博し、アメリカンポップス系を得意とする。16歳にしてリリースした『可愛いベイビー』が大ヒット。一躍スターの座に。三人娘の中では姉御気質であり、伊東や園が毎回2人のケンカの仲裁に入っていたという。

中尾ミエ 可愛いいベビー 1962 / Pretty Little Baby

そうそう、この曲の出だしでエレクトーンの音色が入っているんだけど、懐かしい!!

女性らしい、愛おしさを含んだ声質で人気を博した和製ポップス歌手の”伊東ゆかり”

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