1996年 日本シリーズ優勝決定
ニール選手の感動スピーチは40分辺りからです。
via youtu.be
外国人助っ人あるある」なのですが、日本語で聞いたインタビュアーの言葉を通訳さんが話し、それを受けた選手がコメントを出して、それを通訳さんが・・・という様に「間」が空くものです。
何年も日本にいる外国人選手の中にはまれに、日本語でインタビューを受ける選手もいますが、来日2年目のニール選手では、インタビューで間が空いてしまうのも仕方が無い話。
その「間」を球場にいるファンも楽しんでいたのですが・・・インタビューの最後に、「がんばろう、神戸!」とニール選手が絶叫。震災後この言葉をユニフォームに縫いこんだオリックスの選手達の活躍に励まされ続けてきたファンは「外国人助っ人」であるニール選手からもこの言葉が出た事に感動したのです。
何年も日本にいる外国人選手の中にはまれに、日本語でインタビューを受ける選手もいますが、来日2年目のニール選手では、インタビューで間が空いてしまうのも仕方が無い話。
その「間」を球場にいるファンも楽しんでいたのですが・・・インタビューの最後に、「がんばろう、神戸!」とニール選手が絶叫。震災後この言葉をユニフォームに縫いこんだオリックスの選手達の活躍に励まされ続けてきたファンは「外国人助っ人」であるニール選手からもこの言葉が出た事に感動したのです。
via blogs.c.yimg.jp
再び主砲へ
2連覇を果たし、西武の様な黄金時代を築くかと思われたオリックスですが、96年以降、急速にチーム成績を落としていきます。その原因として若返りの為に経験あるベテランを放出した事などが挙げられています。そんな中、勝負強い打撃を見せていたニール選手もその三振の多さなどが問題になり、1997年オフに一度解雇されるものの、代わりに獲得した外国人助っ人の不振により1998年シーズン途中に復帰(背番号は99番)。2000年までチームに所属しました。