その① 「不幸中の幸い」
打球が直撃し頭を抑えて倒れ込んだ宇野であったが、幸い軽い程度で済み、大事には至らなかった。
その② 「幸い中の不幸」
この事件によって日本で初めて「珍プレー好プレー」というジャンルのテレビ番組が誕生し、彼は一躍時の人となった。
しかし同時に、彼にとって最大の不幸が訪れてしまう。
そう、「面白い守備をする人」という本人にとっては最悪以外の何物でもないイメージが定着してしまったのである。
ヘディング事件ばかりがクローズアップされ、珍プレーは彼のエラーを中心に構成されるようになってしまった時点で、彼の運命は決まってしまった。守備力は不当極まりなく低く評価され、「簡単なフライをヘディングするぐらいヘタクソなショート」というレッテルを貼られてしまった。当たり前の事だが、宇野の守備力は当時のショートの中でも屈指の上手さである。打球に対してアグレッシブに突っ込んでいったり、無理な体勢からでも地肩の強さで送球したり、そういうプレーを心がけているからこそ、時としてエラーが生まれてしまうのである。それに「珍プレーを連発する=守備が下手」という構図は全くの事実誤認である。そういう面白いミスやエラーをした場面だけを抜き出しているからそう見えるだけなのだ。しかし宇野の場合、いくら好プレーを連発したとしても、テレビ局はエラーばかりしか放送してくれない。最初のうちは人気者として面白がられたりインタビューでおどけたりしていた彼も、何度も何度も何度も何度も毎年毎年毎年毎年ヘディングの場面だけを放送されたりネタにされ続けたら……ヘディング事件から20年近く経ってスタジオに呼ばれた時には、「ハイハイ、またヘディングね」とでも言いたげな顔で、もうニコリとも笑わなかった。
ヘディングだけじゃあない・・・宇野勝
徹底して珍プレーをマークされることになってしまった宇野選手
82年4月24日の対大洋ホエールズ(現:横浜ベイスターズ)戦では、ユニフォームを忘れたため、コーチから背番号77のユニフォームを借りて試合に出場した。
1984年5月5日の対大洋ホエールズ戦では、右翼手のエラーで出塁するも、1塁走者の大島康徳を追い越したため、アウトになった。
1993年の対日本ハムファイターズ戦では、先発投手が怪我の手当てを受けている間に、マウンドで投球練習をしていると、打席に入った相手チームのバッターにライトオーバーのヒットを打たれた(正規のピッチャー交代はしておらず、試合も中断中のため、ノーカウント)。
通算78盗塁に対し、通算96盗塁死で、盗塁成功率は約45%。
リーグ最多エラー7回。
通算270エラー。
宇野勝、頼りになる男でした!
80年代中日打線を支えたのはこの人
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