1983年に開園した東京ディズニーランド
当時10才の私は田舎のドライブインで父と夕食を食べながら、父が広げていた新聞に東京ディズニーランドの記事をみつけ
「連れて行ってんね」と約束したことを思い出します。
田舎に住んでいたので『東京』は遠い場所としか思ってなかったかな。
新幹線は上野までしか通ってなくて、東京ディズニーランドは【東京】にあると信じていたのさ(笑)
「連れて行ってんね」と約束したことを思い出します。
田舎に住んでいたので『東京』は遠い場所としか思ってなかったかな。
新幹線は上野までしか通ってなくて、東京ディズニーランドは【東京】にあると信じていたのさ(笑)
東京ディズニーランド(とうきょうディズニーランド、英称:Tokyo Disneyland、略称:TDL)は、千葉県浦安市にある東京ディズニーシー (TDS)などと共に東京ディズニーリゾート (TDR)を形成するディズニーパークである。主役はネズミをモチーフにしたミッキーマウスである。
世界のテーマパーク・アミューズメントパークの中でも、マジック・キングダムに次ぐ世界2位の来場者数を誇る。[2]
他のディズニーパークと違い、誘致当時の経緯から東京ディズニーシーと共にディズニーグループによる直営ではなく、オリエンタルランド (OLC) がディズニーからライセンスをとって運営する。なお、東京ディズニーリゾートで販売されているキャラクターの著作権や版権ビジネスは、ウォルト・ディズニー・ジャパンが担当している。
今では普通のディズニーのパスポート
こんな感じのパスポートで、ネット購入して自宅のプリンターでプリントアウト!って時代にもなりましたね。
でも当初はなんだか色々種類があったような・・・
でも当初はなんだか色々種類があったような・・・
以前はどうだったのでしょうか。読者の中には覚えている方もいるかもしれません。昔はパスポートのほかに「ビッグ10」や「アトラクション券」「入園券」と呼ばれるチケットがあったことを…。
しかも、アトラクション券はAからEまで種類があり、アトラクションによって利用できる券種は決まっていました。東京ディズニーランドのアトラクションの中で、開園当初からあるアトラクションでは入り口の真ん中にキャストが立てるスペースがあります。開園当初はもちろん、今のようにファストパスなどありませんでした。このスペースはパスポートの日付確認やアトラクション券を受け取るために、キャストが立っていたのです。
入園のみだった「入園券」アトラクションには数回しか乗らないし、ショーやパレードは見る、というゲストが利用した。
その後、ビッグ10の廃止や価格改定が行われ、入園券・アトラクション券の廃止とパスポートへの一本化が行われたのが2001年4月のこと。
そうチケットは縦長だった そして皆が着けていたのがチケットホルダー
via blogs.c.yimg.jp
行くたびに買ってしまうチケットホルダー。
今では行くたびにポップコーンのバケツを買ってしまう・・・(笑)
今では行くたびにポップコーンのバケツを買ってしまう・・・(笑)
via blogs.c.yimg.jp
元スタッフが語る東京ディズニーランド開園初年度のエピソードとは?
■開園初年度は“ゴミ、自然との戦い”だった
―今年は東京ディズニーランドが開園30周年という節目の年に当たります。鎌田さんはスタッフとしてオープンを迎えましたが、当時のことを覚えていますか?
「覚えていますね。まず、オープンした初日は小雨が降っていて、天気があまり良くなかったんですよ。だから、いっぱいお客さん来ると思って期待していたんだけど、期待ほどあまり来なくて(笑)、拍子抜けしましたね。
でも、よく考えたら当時はまだディズニーがそこまで定着していなかったんですよね。どんなに楽しく素晴らしいものか、みんな知らなかったんだと思います。だから、落ち着いた入りではあったんだけど、今思えばセキュリティ面から見れば、あれくらいで良かったのかも知れません」
―開園日前夜は、鎌田さんはどう過ごされていたのですか?
「ナイトカストーディアルのスーパービジョンですよ。あとは、テープカットの準備なんかもしていました。ワールドバザールの真ん中でやったんだよね。本当は別のところでやる予定だったんですけど、天気が悪いという予報が出ていましたから。当時の様子はビデオに残されていますよ」
―「明日、ついにここが開くんだ!」というワクワク感はありましたか?
「ありましたね。ワクワクしていました。だからでしょうね、初日の『あれ?』という感覚は。ただ、今と違って当時はゲストの入りが土日集中型だったんですよ。それで平日はガラガラなことが多かった(苦笑)」
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