2016年5月21日 更新
私たちの記憶に残る名司会者、逸見政孝さん。真面目さと一生懸命さで1980~90年代のお茶の間から愛されたアナウンサーでした。
逸見政孝さんといえば、フジテレビのアナウンサー時代とフリーアナウンサー時代で2つの顔がありました。ニュース番組やキャスターとして見せた報道現場の堅い顔、その真面目さや一生懸命さがバラエティ受けしたフリーアナウンサー時代。とくに「いっつみい」で人気だったフリーアナウンサー時代、お茶の間にはいつも逸見政孝さんの真面目な笑顔が映っていました。そんな逸見政孝さんの早すぎる死は多くの方に悼まれました。1980年~90年代にかけて、お茶の間でもっともお馴染みの顔だったといっても過言ではない、そんな逸見さんについて振り返ってみましょう。
夜も一生けんめい。
夜も一生けんめい('90)デーモン小暮,佐野量子 - YouTube
たけし・逸見の平成教育委員会
平成教育委員会(逸見政孝篇)1 - YouTube
こちらも逸見さんの名司会ぶりが際立った「BIG3 世紀のゴルフマッチ」
ビートたけし・タモリ・明石家さんまというお笑いBIG3が一堂に会した「BIG3 世紀のゴルフマッチ」は、逸見さんの仕切りでなければ成立しないとまで評されていました。
たけし&さんま&タモリ BIG3 世紀のゴルフマッチ 1991 OPトーク - YouTube
また、ビートたけし・タモリ・明石家さんまのお笑いBIG3が一堂に会した「BIG3 世紀のゴルフマッチ」「テレビ夢列島(現:27時間テレビ)」(フジテレビ)においてもアクの強い3人を見事に捌きながら番組の盛り上げたことでファンからは『逸見あってのBIG3(または逸見含めてBIG4)である』と言う評価をする人も多い。本人もBIG3を上手く仕切れることを自負していた面もある。
逸見さんのガン発見から死去まで
フリーアナウンサーとして絶頂期だった逸見さんをガンが襲いました
1993年1月の検査で胃ガンを発見。翌月に1ヶ月仕事を休業し、胃の3/4と周囲のリンパ節、腹膜の転移病巣を切除する。この時には病名を偽って公表、2月末に仕事復帰するが、5月頃から再発が始まる。
同年9月6日に記者会見を行い、自身がガンであることを公表。当時週5本のレギュラー番組を抱える人気司会者であった逸見のガンは芸能界や世間に大きな衝撃を与えた。再び仕事すべて休業し、臓器摘出や皮膚移植など13時間に及ぶ大手術を行った。一時は回復したものの、10月頃から体調を崩し、切除したはずのガン細胞が再び発見された。もはや手の施しようが無かった。
同年12月25日、ガン性悪液質のため48歳の若さで死去。ガン告白からわずか3ヶ月強という早すぎる死に芸能関係者のみならず世間にも彼の死を悼んだ。死化粧は当時専属スタイリストだったIKKOが担当。
故 逸見政孝さんを偲ぶ - YouTube
愛されていた逸見さんの訃報、芸能関係者も悲嘆に暮れました
逸見さんの告別式で涙ぐむビートたけしの姿
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