ひみつのアッコちゃん1998_op - YouTube
via www.youtube.com
平成天才バカボン - YouTube
via www.youtube.com
晩年
2002年(平成14年)4月10日、検査入院中にトイレで立とうとしたところ、身体が硬直し動けなくなる。脳内出血と診断され、5時間に及ぶ手術。
2年後の2008年(平成20年)8月2日午後4時55分、肺炎のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去した。72歳没。
赤塚不二夫の訃報はスポーツ新聞各紙が一面で大きく取り上げた他、一般紙も一面で大きく掲載した。また民放各局ばかりでなくNHKでもトップニュースで取り上げるなど、一連の報道は彼が一時代を築いた漫画家であったことを改めて世間大衆に印象付ける形となった。
また赤塚が才能を見出し、芸能界へデビューさせたタモリは「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉を寄せた。
タモリは本名の“森田一義”として弔辞を読んだが、この時手にしていた巻紙が白紙であった事が報じられ話題となった。弔辞は「私もあなたの数多くの作品の一つです。」と結ばれている。
2年後の2008年(平成20年)8月2日午後4時55分、肺炎のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去した。72歳没。
赤塚不二夫の訃報はスポーツ新聞各紙が一面で大きく取り上げた他、一般紙も一面で大きく掲載した。また民放各局ばかりでなくNHKでもトップニュースで取り上げるなど、一連の報道は彼が一時代を築いた漫画家であったことを改めて世間大衆に印象付ける形となった。
また赤塚が才能を見出し、芸能界へデビューさせたタモリは「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉を寄せた。
タモリは本名の“森田一義”として弔辞を読んだが、この時手にしていた巻紙が白紙であった事が報じられ話題となった。弔辞は「私もあなたの数多くの作品の一つです。」と結ばれている。
赤塚不二夫の人柄
via 150.60.2.37
映画通でありハタ坊のコミカルな動きはバスター・キートンを範としていること、自分でパロディ映画を作ったことがあることなどを明かしている。
自宅のライブラリーには(当時としては高価で珍しい)大画面モニターと、数千本の映画のビデオがあったという。また、少年時代の夢は喜劇王チャーリー・チャップリンの弟子になることだったという。
バカボンのパパが一番気に入っているキャラクターで、その理由は「どんなに酔っ払っていてもバカボンのパパの顔だけは、ちゃんと描けるから」とのこと。またバカボンのパパが赤塚の実父をモデルにしている事もあり、晩年は赤塚本人がパパのコスプレをする事が多かった。
『ひみつのアッコちゃん』の主人公加賀美アツコと『おそ松くん』のトト子が似ていることについて1989年に発行されたコミック本のあとがきで、そのことを指摘された際は赤塚自身が「そんなわけないだろ」などと逆ギレ気味に反論している。
ただし一方では、赤塚が生前「トト子イコールアッコ」という趣旨の発言を残していたらしい、とも伝えられている。
山下洋輔らジャズメンとの交流からジャズ好きかと思われがちだが、赤塚はジャズは一切聴かず、歌謡曲好き・美空ひばり好きだった。