綾小路きみまろ
芸風は立川談志、上岡龍太郎、ビートたけし、毒蝮三太夫等によって確立された毒舌漫談というジャンルであるが、中高年世代が持つ人生の悲哀をユーモラスに語るのが特徴で、とりわけ中高年(メインは1940年代後半以降の所謂団塊世代。尚、きみまろ自身も1950年生まれの為、団塊世代にあたる)に人気が高いため「中高年のアイドル」とも言われる。
大爆笑のきみまろライブ!!
綾小路きみまろ 爆笑! スーパーミニライブ - YouTube
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綾小路きみまろの数々の名言
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「ようこそおいで下さいました。目を閉じたくなるような美しい方ばかりです。まだまだ老け込むには、早すぎます。でも、連れ込むには、遅すぎます。」
「豊かな教養、こぼれる美貌、あふれる脂肪。」
「何が食べたいの。」と聞くだけ聞いて、いつものおかず。
「何にもいらない。あなたがいれば。あれから40年。なんでもほしい。あんたは、いらねえ。」
「中高年、夢はある暇もあるけど気力がない。」
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きみまろの漫談スタイル・傾向について
ステージ上のファッションはカツラと扇子、背広に燕尾服
入場の挨拶では「ようこそいらっしゃいました、御元気でしょうか」。
又、「気力の無い拍手を頂き、誠に有難うございます」と挨拶する事も。
(出典 綾小路きみまろ - Wikipedia)
又、「気力の無い拍手を頂き、誠に有難うございます」と挨拶する事も。
(出典 綾小路きみまろ - Wikipedia)
「潜伏30年」という言葉どおり、綾小路きみまろさんが売れるまでには長い下積み生活があった。1969年に鹿児島から18歳のときに上京し、新聞販売店で働きながら拓殖大学に入学。四ッ谷のマッサージ師養成学校で資格も取得した。その後、歌舞伎町のキャバレーで、殿様キングス、ツービート、ケーシー高峰、淡谷のり子、ディックミネ、春日八郎と出会う。のちに、たけしの番組で再会した二人には、感動の対面があった。
『たけしの誰でもピカソ』に出演した際、ビートたけしもきみまろも全く売れない苦しい時期に同じ舞台に出演していた縁があり、楽屋では懐かしい感激の対面を果たした。「きみまろさんってあの時のきみまろさん…」とたけしが語りかけ、お互い先の見えない苦しい時期を思い出したのか感極まって涙を流し合い肩を抱き合うほどだった。その後のネタを収録する時にも感情が高まり途中声が出なくなる場面があった。
1979年漫談家としてデビューしたきみまろさんは、自作の漫談をカセットテープにダビングして、高速道路のサービスエリアでバスガイドさんや運転手さんに毎日配り歩いた。次第に、なんだか、面白いテープがあると口コミで広がっていった。
注目を浴びたのは、2002年に発売したCD「爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛をこめて…」だった。本人曰く「見た事も無い税金を払った」との事。2008年初頭に発売された第3集のCDでは、第1集のCDが予想以上に売れたことを公表したフレーズが収録されている。また、2007年頃に海外進出を果たしているが、ニューヨークで自身のライブを開いていた事のフレーズが収録されている。
【綾小路きみまろ】爆笑!エキサイトライブビデオ第3集
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きみまろさんの漫談には、「あれから40年」というフレーズがある。お客様のほとんどが、50代以上の中高年で、70歳以上の高齢者が来ている事も珍しくない。情け容赦の無いフレーズを掛ける事も少なくない。だが、お客様は、どこか他人事のように聴ける楽しさで笑の渦となる。身近な夫婦の話題であったり、加齢によるものであったり、聴いていても「あるある」「そうそう」と思わず納得しながらも聞ける。そこには、きみまろさんのお客様へのそれ以上の「愛」があるのが人気の秘密。そして、「潜伏30年」の諦めない心が中高年が「私も頑張ろう」と思わせるのかもしれない。
綾小路きみまろ 爆笑 笑点
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(出典 綾小路きみまろ - Wikipedia)