「雨あがりの夜空に」
忌野清志郎 雨あがりの夜空に - YouTube
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RCサクセション
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スローバラード RCサクセション
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RCサクセションのエピソード
帰れない二人 井上陽水・忌野清志郎 - YouTube
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結成 〜 デビュー「宝くじは買わない」
バンド黎明期
使用楽器、バンド編成はアコースティックながら、ヘヴィゲージの弦を張ったギターを叩くようにかき鳴らして発せられる楽曲は、コード進行やハーモニー、スリリングなギターソロなどすでにR&B、ロックに近いものだった。
活動拠点としていた「青い森」「渋谷ジァン・ジァン」などのライヴハウスで、古井戸、泉谷しげるらと親交を深める。泉谷は当時のRCのことを「RCは凄まじかったね。アコースティックギターのリズム隊でありながらロックだったわけよ。ウッドベースなんかスリリングでさ、すんげえソウルフルなんだよ」と評している。
デビューシングル「宝くじは買わない」は、当時のマネージャーであった金田が連れてきた伊勢田トリオというグループをバックに演奏したが、最終的にレコードになったときにはスタジオミュージシャンのテイクが使われることに。
活動拠点としていた「青い森」「渋谷ジァン・ジァン」などのライヴハウスで、古井戸、泉谷しげるらと親交を深める。泉谷は当時のRCのことを「RCは凄まじかったね。アコースティックギターのリズム隊でありながらロックだったわけよ。ウッドベースなんかスリリングでさ、すんげえソウルフルなんだよ」と評している。
デビューシングル「宝くじは買わない」は、当時のマネージャーであった金田が連れてきた伊勢田トリオというグループをバックに演奏したが、最終的にレコードになったときにはスタジオミュージシャンのテイクが使われることに。
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忌野清志郎(デビュー曲) 宝くじは買わない デビュー35周年ライブ - YouTube
RCサクセション1970年のデビュー曲
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『初期のRCサクセション』 〜 『楽しい夕に』
アコースティック期
1stアルバム『初期のRCサクセション』は、レコードの音源に自分たちの意図しない勝手なアレンジがほどこされていたため、2ndからは自分たちの演奏を主体としたレコード作りを始めた。
清志郎が作詞・作曲した「指輪をはめたい」を元にして、井上陽水と「帰れない二人」を共作。もう1曲「待ちぼうけ」を共作し、この2曲が収録された陽水のアルバム『氷の世界』 (1973年) が日本音楽史上初のミリオンセラーLPとなる。
1974年、ホリプロダクションの奥田義行プロデューサーが、当時大ブレーク中だった陽水を連れてホリプロを離れ、独立事務所「りぼん」を設立。この造反行為に激怒したホリプロは、奥田の子飼いだったRCの「りぼん」移籍を阻止。RCはスタッフも仕事も与えられず飼い殺し状態となる。
この頃、3枚目のアルバム『シングル・マン』を録音するも、事務所の移籍トラブルによりお蔵入りになってしまう。
清志郎が作詞・作曲した「指輪をはめたい」を元にして、井上陽水と「帰れない二人」を共作。もう1曲「待ちぼうけ」を共作し、この2曲が収録された陽水のアルバム『氷の世界』 (1973年) が日本音楽史上初のミリオンセラーLPとなる。
1974年、ホリプロダクションの奥田義行プロデューサーが、当時大ブレーク中だった陽水を連れてホリプロを離れ、独立事務所「りぼん」を設立。この造反行為に激怒したホリプロは、奥田の子飼いだったRCの「りぼん」移籍を阻止。RCはスタッフも仕事も与えられず飼い殺し状態となる。
この頃、3枚目のアルバム『シングル・マン』を録音するも、事務所の移籍トラブルによりお蔵入りになってしまう。
帰れない二人 / 井上陽水&忌野清志郎 - YouTube
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『シングルマン』 〜 「わかってもらえるさ」
暗黒期
5万円で買った清志郎の愛車日産・サニークーペが廃車となる。井上陽水のアルバム「氷の世界」に提供した二曲の印税で買ったと言われる。この車をモデルとしてこの頃「雨あがりの夜空に」の歌詞が書かれた。その後も清志郎は2台続けて中古のサニークーペを購入したが、これは当時一番安い中古車だったからである。
当時唯一の活動と言ってもよかったのが他のミュージシャン(矢沢永吉、井上陽水等)の前座であったが、メインアクト目当てで来ている観客からは「クソッタレ」「早く消えろ」等の罵声を浴びせられることが少なくなかった。
破廉ケンチ、脱退(実際は破廉の鬱症状があまりにも酷く、それが原因でエレキギターが弾けない事を見かねた清志郎がクビにした)その後は阿部昇や春日博文がサポートメンバーとして参加した。
当時唯一の活動と言ってもよかったのが他のミュージシャン(矢沢永吉、井上陽水等)の前座であったが、メインアクト目当てで来ている観客からは「クソッタレ」「早く消えろ」等の罵声を浴びせられることが少なくなかった。
破廉ケンチ、脱退(実際は破廉の鬱症状があまりにも酷く、それが原因でエレキギターが弾けない事を見かねた清志郎がクビにした)その後は阿部昇や春日博文がサポートメンバーとして参加した。
「ステップ!」 〜 『BLUE』
復活・ブレイク期
1979年7月21日、2年8ヵ月ぶりのシングル「ステップ!」を発売し、再デビュー。
このころ深夜ラジオでの放送が増え、積極的にステージを求めて各地の大学祭に出演。
1980年1月21日「雨あがりの夜空に」発売。1月『「雨あがりの夜空に」発売記念コンサート』を渋谷屋根裏で開催、4日間連日満員で屋根裏の観客動員記録を塗り替え話題となる。
4月久保講堂で「RHAPSODY」録音。5月シングル「ボスしけてるぜ」、6月アルバム「RHAPSODY」、10月シングル「トランジスタ・ラジオ」、12月アルバム「PLEASE」と、立て続けにレコードを発売した。パンク・ロック的なスピード感とR&Bに影響を受けた楽曲、グラムロックやミック・ジャガーを彷彿させるドギツいメイクでのステージが話題になる。
清志郎がオーティス・レディングの言葉を日本語にしてステージ上で観客へ呼びかけた「愛しあってるかい?」というフレーズは一世を風靡。
「清志郎ルック」の髪型やメイク、ファッションを身にまとった若者が出現するに至って、音楽誌のみならず『アサヒグラフ』や『anan』、『宝島』、各新聞などでも取り上げられ、サブカルチャー的存在として社会現象とまでなる。
レコードを連発、コンサートも満員の人気バンドでありながら、清志郎は杉並区の風呂無しアパートに住んでいた。
このころ深夜ラジオでの放送が増え、積極的にステージを求めて各地の大学祭に出演。
1980年1月21日「雨あがりの夜空に」発売。1月『「雨あがりの夜空に」発売記念コンサート』を渋谷屋根裏で開催、4日間連日満員で屋根裏の観客動員記録を塗り替え話題となる。
4月久保講堂で「RHAPSODY」録音。5月シングル「ボスしけてるぜ」、6月アルバム「RHAPSODY」、10月シングル「トランジスタ・ラジオ」、12月アルバム「PLEASE」と、立て続けにレコードを発売した。パンク・ロック的なスピード感とR&Bに影響を受けた楽曲、グラムロックやミック・ジャガーを彷彿させるドギツいメイクでのステージが話題になる。
清志郎がオーティス・レディングの言葉を日本語にしてステージ上で観客へ呼びかけた「愛しあってるかい?」というフレーズは一世を風靡。
「清志郎ルック」の髪型やメイク、ファッションを身にまとった若者が出現するに至って、音楽誌のみならず『アサヒグラフ』や『anan』、『宝島』、各新聞などでも取り上げられ、サブカルチャー的存在として社会現象とまでなる。
レコードを連発、コンサートも満員の人気バンドでありながら、清志郎は杉並区の風呂無しアパートに住んでいた。
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忌野清志郎 雨あがりの夜空に - YouTube
三宅伸治 「BACKしよう」 SHIBUYA-AX 仲井戸CHABO麗市 新井田耕造 雨あがりの夜空に RCサクセション
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バンド名の「RC」とは「The Remainders of Clover (リメインダーズ・オブ・クローバー)」の略。
彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。