90年代を駆け抜けたバンド・T-BOLAN
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1987年、青木和義が森友嵐士(当時、東海大学理学部に在籍)を誘ってT-BOLANの前身となるバンド「プリズナー」を結成。11月22日、ビーイング主催の第2回BADオーディション(目黒ライブステーションで開催)でグランプリを受賞。
1991年7月、川島だりあ作詞・作曲、西田昌史(EARTHSHAKER)編曲・プロデュース(西田魔阿思惟名義)の「悲しみが痛いよ」でメジャーデビュー。
「離したくはない」、「Bye For Now」、「マリア」などがヒット。特に1992年に発売された「Bye For Now」はミリオンヒットを記録した。
Hanashitaku Wa Nai (離したくはない) - YouTube
1991年リリースの2ndシングル
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T-BOLAN 刹那さを消せやしない - YouTube
1993年リリース、9thシングル
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1995年、ライブツアー『LIVE HEAVEN '94〜'95』中に、森友は原因不明の心因性発声障害(当時は公表されなかった)により喉の調子が悪い状態が続いていたが様子をみながらツアーを続けていた。しかし、ツアー最終公演であった3月26日大阪厚生年金会館(現・オリックス劇場)大ホールでドクターストップがかかるもライブを敢行した。その後、翌年のシングル「Be Myself/Heart of Gold 1996」を境に新曲を発表することなく活動休止状態となる。
短い活動期間の中で名曲を生み出しました
Bye For Now - YouTube
1992年リリース、6thシングル
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愛のために 愛の中で - YouTube
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ボーカルの森友嵐士の声、曲の良さもピカイチでした。
骨太のバンドという感じでビーイング系のアーティストの
中でも異色の存在でした。
ビーイングには他に大黒摩季、、DEEN、ZYYG、BAAD、MANISH、REV
などが在籍。
骨太のバンドという感じでビーイング系のアーティストの
中でも異色の存在でした。
ビーイングには他に大黒摩季、、DEEN、ZYYG、BAAD、MANISH、REV
などが在籍。
傷だらけを抱きしめて - YouTube
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95年3月にボーカルの森友が心因性発声障害により活動を休止し、その4年後に解散を発表。2009年に森友が音楽活動を再開すると、2012年には再び結成を果たし、同年10月に復活を遂げた。
サヨナラから始めよう 森友嵐士&五味孝氏 (T-BOLAN) - YouTube
復活後です。
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、「T-BOLANとして、ステージに立つのはきょうと渋公(東京・渋谷公会堂)で、ひとつマル(ピリオド)をつけます」と活動休止を宣言。「またここからは、さらなる俺たちの挑戦としてそれぞれが新しい道を進んでいきます。この4人でいろんなことを話し合って『挑戦』という道を選びました。だからと言って解散ではありません。T-BOLANは永遠です。これからの挑戦を応援してくれ!」
森友はソロ活動に専念。五味孝氏(48)はギターソロユニット「electro53」、ドラムの青木和義(47)とベースの上野博文(48)は新ユニットを結成し、メンバーそれぞれが自分の道を歩むことになる。
現在はコラボなど様々な活動をしています
『サヨナラは歩き出す』という曲を歌う謎の新人男性デュオ“morioni(モリオニ)”の正体が明らかになった。この2人は、ロックバンド・T-BOLANの森友嵐士と、ヴィジュアル系エアーバンド・ゴールデンボンバーの鬼龍院翔と判明。
2015年現在、森友さんはこんな活動もしているようです。
morioni「サヨナラは歩き出す」 - YouTube
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