日本人初のヘビー級世界チャンピオンを期待されたボクサー「西島洋介山」の経歴と現在
2020年1月7日 更新

日本人初のヘビー級世界チャンピオンを期待されたボクサー「西島洋介山」の経歴と現在

日本国内初のクルーザー級ボクサーとして注目を浴びた西島洋介山のボクシング、K-1、総合格闘技の戦績。引退と現在について紹介。

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2009年7月17日、K-1と契約し、8月11日にピーター・アーツと復帰戦を行うことが発表された。2007年大晦日以後はトラック運転手に転職していたという。

2009年8月11日、K-1 WORLD GP 2009 IN TOKYOのスーパーファイトでピーター・アーツと対戦。
この試合は西島のリングシューズ着用(使用する側は蹴りの攻撃が禁止になる)が認められた特別ルールでの試合となった。序盤は時折パンチを当てるもののローキックを浴び続け失速し、3Rに3度のダウンを奪われKO負け。

敗れはしたものの、谷川貞治イベントプロデューサーは「格闘技が人に勇気を与えることを体現していました。ボクシングでは勝てないと思うので、K-1を覚えてほしいです。」「次は大晦日でしょうね。」と好評価であった。

ピーター・アーツVS西島洋介 完全VTR ① 高画質 - YouTube

ピーター・アーツVS西島洋介 完全VTR ② 高画質 - YouTube

ピーター・アーツVS西島洋介 完全VTR ③ 高画質 - YouTube

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜にてレイ・セフォーと対戦。この試合も前回同様、西島のリングシューズ着用(使用する側は蹴りの攻撃が禁止になる)が認められた試合となった。
試合は西島がパンチでダウンを奪われ判定負け。

レイセフォーVS西島洋介 前半 高画質 - YouTube

レイセフォーVS西島洋介 後半 高画質 - YouTube

2013年11月17日、ボブ・サップとの引退試合を開催。

2009年のレイ・セフォー戦後はボクシング教室やアルバイトで生計を立てていた。
23歳で結婚。2人の子供に恵まれていたが2013年7月に離婚した。
離婚理由について西島は「元妻はボブ・サップ戦に猛反対で、少し離れてボクの様子を見たいという気持ちがあったみたいです。」と語っている。
2013年11月17日「LEGEND4」

2013年11月17日「LEGEND4」

九州最大の格闘技イベント「LEGEND4」(11月17日、熊本県益城町総合体育館メインアリーナ)でボブ・サップ(38)と引退試合を行った。
引退試合発表後、かつての対戦相手や友人、そして今回対戦するボブ・サップから続々とメッセージが到着。

ピーター・アーツ選手より西島洋介選手へのメッセージ - YouTube

西島洋介選手へのメッセージ(天田ヒロミ) - YouTube

西島洋介選手へメッセージ(ノブ ハヤシ) - YouTube

西島洋介選手へのメッセージ(芸人 春一番) - YouTube

野獣ボブ・サップ選手 西島洋介引退試合に向けてのコメント - YouTube

「ボクシングはボクが心から愛したスポーツ。最後はボクサーで終わりたいんです」と西島の希望によって、変則ルールでの開催。

3分3Rのキック特別ルールだが西島だけは蹴りを使わないことが決定。体重もボクシング時代のベストウエートの83・5キロで、160キロのサップとは実に倍ほども差があった。

引退試合はケガを負わないことを前提にエキシビション戦などで終わらせるケースが多い中、西島はこだわり続けたボクシングの強さを見せつけるため、あえて過酷な花道を選択した。

ボブサップ VS 西島洋介 引退試合 - YouTube

サップがラッシュで西島をコーナーに追い込むと大振りのパンチ、飛びヒザ、ハイキック。
これらを耐えた西島が周り込んでサップをコーナーに追い込み上下にパンチを散らし、ダウンを奪う。
西島がボディから左右フックを強振すると、サップはその場にうずくまり立ち上がれず。西島が引退試合をKOで締めた。
試合後、西島は「サップと対戦できたのは皆さんのおかげです。ありがとうございました。つい最近家族と離れて練習する環境を作れたので、家族には感謝します。出来れば、家族の元に帰りたいと思います。ここまで支えてくださった皆様のおかげで無事にここまで来ることが出来ました。最後の相手になってくれたサップ選手にも感謝します」とコメントを残した。

【キックボクシング戦績】
3戦 1勝(1KO) 2敗

ボクシング時代は事務所や団体との軋轢で十分な活動ができず、『悲運のボクシング王者』とも呼ばれた西島洋介(西島洋介山)。

日本人でも世界のヘビー級で活躍できるかも?と夢を与えてくれました。
心からお疲れ様と言いたい。

引退試合の際には、別れた妻と再婚したいと語ってましたがその後どうなったのでしょう…。

最近の活動はオフィシャルブログに掲載されています。
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