「レジェンド」に見込まれて来日
ナイジェル・ウイルソンは、1997年に日本ハムファイターズに入団する。この時、ウイルソンの代理人だったのが、阪急で三冠王を獲得した「レジェンド」助っ人のブーマー・ウェルズ。この時のファイターズの監督が上田利治氏。上田監督はブーマーが選手時代に、阪急の監督だったという事もあり、ブーマーは上田監督にいい外国人助っ人を送ることで「恩返し」をしたかったというわけだ。
ブーマーの眼力が確かだったのか、それともウイルソン自身の努力の結果なのか、それともその両方か、来日当初からウイルソンは好調を持続。チームを引っ張る存在となる。
※ちなみにこの1997年、ファイターズは、巨人を自由契約になった落合博満を獲得しているが、大不振。こちらの新戦力は期待はずれだった。
王貞治に並ぶ
この年の6月21日の対近鉄戦(大阪ドーム)で、ウイルソンは王貞治選手の記録に並ぶ1試合4打席連続本塁打を達成する。一面に「知ってる?」と書かれるほど、日本ハムの選手がスポーツ紙の一面を飾るのは珍しかった。また、これほど本塁打を連発されていても四球で歩かせる事をしなかった近鉄の投手陣はある意味で立派だと言えるのではないだろうか。
結局この年、ウイルソンは37本塁打を放ち、来日一年目から本塁打王に輝いたのだった。
ただ、チーム自体は投手陣の不調もあり、リーグ4位に終わる。
ただ、チーム自体は投手陣の不調もあり、リーグ4位に終わる。
「ビッグバン打線」の中心に
1998年、ファイターズはウィルソンを中心に、ジェリー・ブルックス、田中幸、片岡、西浦らが「ビッグバン打線」と呼ばれる超強力打線を形成。西武ライオンズらに大差をつけて前半戦を首位で折り返し、優勝は間違いないと思われていた。
ところが後半戦9連敗を喫するなどチームは大失速。西武ライオンズに逆転され優勝を逃す。
そんな状態において、ウイルソンは133試合に出場し、33本塁打、124打点で本塁打・打点の2冠王を獲得する。来日1年目から2年連続で本塁打王に輝いたのはウイルソンが初めてだった。
そんな状態において、ウイルソンは133試合に出場し、33本塁打、124打点で本塁打・打点の2冠王を獲得する。来日1年目から2年連続で本塁打王に輝いたのはウイルソンが初めてだった。
怪我により退団
来日以来2年連続でほぼ全試合に出場し、タイトルも獲得していたウイルソン選手だが、3年目に膝を怪我したことによりわずか6試合に出場。並の外国人助っ人であれば、このまま解雇…となってもおかしくないところだが、球団は怪我さえ治ればウイルソンは活躍するだろうと残留させる。
ウイルソンはこの期待に応え2000年シーズンは復活。打率は来日以来最高の.294、37本塁打、89打点を挙げる。だが2001年にまたも怪我をし、結局この年限りでファイターズを退団する。
ウイルソンはこの期待に応え2000年シーズンは復活。打率は来日以来最高の.294、37本塁打、89打点を挙げる。だが2001年にまたも怪我をし、結局この年限りでファイターズを退団する。
ファイターズ退団後、ウイルソンは近鉄に移籍する。「ビッグバン打線」の次は「いてまえ打線」の中核に・・・と期待されたものの、ファイターズ時代の輝きは取り戻す事ができず、日本を後にする。
帰国したウイルソンはニューヨーク・ヤンキースにマイナー契約で入団を果たすもメジャーに昇格できずこの年かぎりで現役を引退した。
帰国したウイルソンはニューヨーク・ヤンキースにマイナー契約で入団を果たすもメジャーに昇格できずこの年かぎりで現役を引退した。
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