貴乃花  決して曲げず 貫き通したチカラビト SUMODO
2021年11月28日 更新

貴乃花 決して曲げず 貫き通したチカラビト SUMODO

千代の富士、小錦、武蔵丸、朝青龍、兄、若乃花、数々の名勝負。宮沢りえとの破談、兄との確執、洗脳騒動、母親の不倫など数々のスキャンダル。小泉純一郎に「「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」」といわせた武蔵丸戦とその後のケガとの戦い。中卒でプロの相撲の世界に入った貴乃花は、嵐のような人生を職人的なプロフェッショナリティーで、ガンコに、一途に、真っ直ぐに進んでいった。

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1993年2月1日、二子山部屋が、初代若乃花、花田勝治の停年に伴い、藤島部屋と合併。
藤島親方は、師匠である兄から継承する形で、部屋の名を「二子山部屋」とし、自らも「二子山親方」に改名。
新生「二子山部屋」は、若貴兄弟、安芸ノ島、貴闘力、貴ノ浪、降三杉ら関取10人を含む、50人の力士が在籍する大相撲最大の部屋となった。
直後の3月場所で、弟、新大関の貴ノ花は11勝4敗、そして兄の若花田が幕内初優勝。
若花田は、四股名を「若ノ花」に改名。
5月場所、貴ノ花が14勝1敗で3回目の優勝。
7月場所は、13勝1敗の曙を12勝2敗の若貴兄弟が追う形になり、最終日、若ノ花が小錦を下し13勝2敗。
その後、貴ノ花が曙を押し出し、13勝2敗。
曙、若ノ花、貴乃花が13勝2敗で並び、三つ巴の優勝決定戦にもつれ込んだ。
巴戦は、誰かが2勝したら決まるが、3人とも1勝1敗になるとやり直しとなる。
抽選で、曙が若貴兄弟と連続で対戦することになった。
1戦目、曙 vs 若ノ花は、曙が速攻の突っ張りと押しで圧倒。
2戦目、曙 vs 貴ノ花は、曙が貴ノ花のまわしをつかみ、巨体ごと土俵下まで押し倒した。
トータル8秒で兄弟を破った曙が横綱昇進後、初の優勝。
場所後、若ノ花の大関昇進が決定した。
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1993年の9月場所、21歳の貴乃花は最終日に曙を上手投げで土俵に転がし全勝優勝こそ阻止したものの、自身は12勝3敗。
11月場所は直前にウイルス性肝炎を患い、7勝8敗と負け越し。
1994年の1月場所で14勝1敗で4回目の優勝。
3月場所、11勝4敗で優勝ならず。
5月場所、14勝1敗で5回目の優勝。
7月場所、11勝4敗で優勝できず。
なかなか「2場所連続優勝」という横綱昇進の条件がクリアできない。
そして9月場所、初の15戦全勝で6回目の優勝。
日本相撲協会は、
「過去には6度も優勝できていない横綱もいる。
2場所連続ではないが大関で6度の優勝は実績として申し分ない」
として横綱審議委員会に貴ノ花の昇進を諮問。
横綱審議委員会は、2時間に及ぶ議論の末、異例の無記名投票を行い、賛成6、反対5で規定の2/3以上に至らず否決。
「先場所は準優勝でもないのに、どこを見ても内規に則していない」
(一力一夫)
「連続優勝できないということは何か欠けるものがあるからだ」
(加藤巳一郎)
他の反対票を投じた委員も
「横綱になれる力を充分持っているのだから焦る必要がない」
と主張。
「だったら次の場所も全勝してやる」
普段、クールな貴ノ花が激情をさらけ出し「貴乃花」と改名。
若ノ花も「若乃花」に改名した。
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11月場所、6度目の綱取りに挑む貴乃花は、初日から白星を重ね、14日目に武蔵丸を寄り切りで破って、この時点で2場所連続優勝、横綱昇進を決めた。
そして最終日に横綱、曙と対戦。
これまでの戦績は貴乃花の10勝15敗だったが、48秒間の激しい攻防の末、土俵際、右下手投げで逆転勝ち。
7度目の優勝、2場所連続全勝優勝を決めた。
場所後、横綱審議委員会は、審議に1分もかけずに満場一致で貴乃花を横綱に推挙。
5日後の1994年11月26日、第65代横綱となった貴乃花は、部屋の力士が総出で打った10kgの注連縄(しめなわ)をまとい、東京、明治神宮で恒例の奉納土俵入り。
このとき観衆の中に元フジテレビアナウンサーの河野景子がいた。
2人は約2年前に知り合って数ヶ月前から交際が始めていた。
年が明け1995年の1月場所、新横綱は8度目の優勝を決め、約1ヶ月後の2月25日、2人の婚約と河野景子の芸能界引退が発表された。
貴乃花が5月場所で9度目の優勝を果たした後、明治神宮で結婚式が行われ、4ヵ月後には長男が誕生した。
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1995年の11月場所で若貴の兄弟対決が実現。
兄弟は同時にデビューし、序ノ口、三段目を全勝優勝した若乃花が貴乃花より2場所早く幕下に昇進。
しかし十両昇進は、貴乃花が10場所目、若乃花が12場所目と貴乃花の方が早かった。
その後も若乃花は弟の後を追うように番付を上げた。
弟に比べ、体格が小さく、力士としては軽量級。
しかし足腰の強さと俊敏性、相撲のセンスでは弟に優っていた。
そしてこの場所で大関の兄と横綱の弟は12勝2敗で並び、最終日を迎えた。
結び前の一番で若乃花が武双山に寄り切られ敗北。
夢の兄弟対決はなくなったかと思われたが、結びで貴乃花が武蔵丸に引き落とされ敗れ、史上初の兄弟による優勝決定戦が実現。
立会いから兄は低い姿勢で頭をつけて弟を土俵際まで押し込み、最後は下手投げで2度目の優勝を決めた。

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1980年代、幕内力士の平均体重は140kg台。
それが1990年代になると150kg台と大型化。
直径4m55cmの土俵の中で行われる相撲では、立会いで勝負の8割が決まるといわれる。
力士同士がぶつかり合うとき、その衝撃は1t以上になることもあるという。
「交通事故並みの衝撃です
大切なのは息を吐くことなんです。
当たる瞬間、歯を食いしばりますが息を止めてはいけません」
そういう貴乃花は、1995年1月の時点で147kg。
幕内力士の平均体重は156kg。
中でも大関の武蔵丸と横綱の曙は200kgを超えていた。
共にハワイ出身、アメフトやバスケットボールの経験者は、ただデカいだけでなくスピード、パワー、そして何よりも根性があった。
横綱としてどんな相手でも堂々と受けて立つ貴乃花は、理想体重を160kgに設定。
2年後の1997年1月場所で、幕内力士の平均体重は159kgの達したが、貴乃花は160kgになっていた。
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1998年、貴乃花は肝機能障害で1月場所、3月場所を途中休場。
一方、若乃花は、3月場所、5月場所と2場所連続優勝を果たし、横綱昇進を決めた。
131kgは、平均体重より22kgも下回る、幕内5番目の軽さ。
その小さい体で横綱としてどんな相撲をとるのか、期待された
若乃花の横綱昇進から2ヵ月後、スポーツ紙が
「貴、若と絶縁」
という衝撃的な見出しと
「基本をしっかりやらない若乃花がどうやって横綱の地位を守るのか」
「もう若乃花と話すことはありません」
などと貴乃花が若乃花を批判するコメントを掲載。
8日後の9月9日、二子山親方はマスコミに対し
「貴乃花は洗脳されている。
元に戻ってほしい」
とコメント。
貴乃花の発言は都内で整骨院を営む整体師の洗脳の影響だとし、自身も貴乃花と断絶状態であることを明かした。
二子山親方によると4年前からすでに兆候はあったという。
その整体院は後援者から紹介され、まず親方自ら腕前を確かめた後、兄弟が通院するようになった。
兄は途中でやめたが、弟は通い続けた。
整体師は治療中「脳内思考」という独自の考えに展開し、それは精神論から宇宙論にまで及んだという。
こうして「貴乃花洗脳騒動」が勃発。
取材を受けた整体師の個性的なキャラクター。
何も語ろうとしない貴乃花。
人々の想像は膨み、新聞、雑誌、ワイドショーを巻き込んで一大騒動となっていった。
騒動の最中、行われた9月場所は、14日目までに優勝は若貴兄弟のどちらかに絞られ、最終日、若乃花は武蔵丸に破れ、貴乃花は曙に勝ち、26歳の弟が20回目の優勝を決めた。

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若乃花は、小さな体で横綱としてガチンコ相撲をとり続けた。
しかしケガが多かった。
1999年の9月場所中に左足が肉離れを起こしたが出場し続け、7勝8敗と負け越し。
「12勝して勝ち越し」といわれる横綱にとって即引退レベルの不名誉な記録だったが、時津風理事長との話し合いで、現役続行を許され、場所後、横綱審議委員会から異例の「休場勧告」を受け
2場所を全休。
2000年の3月場所で復帰したが、5日目に栃東に負けて2勝3敗になった後、引退した。
横綱在位中、11場所中、皆勤は5場所のみ。
生涯で5度の幕内優勝を果たしたが、横綱になってから1度も優勝できなかった。
そして二子山部屋の指導員(藤島親方)となり、TVにも出演するなど相撲以外にも積極的に活動を行った。
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2000年7月、藤田憲子と18歳年下の医師の不倫が発覚。
以後、二子山親方とは家庭内別居。
9月、若乃花の断髪指揮が行われた。
「次の夢に向かって頑張ります」
と発言。
12月、若乃花が突然、日本相撲協会に引退届を提出。
引退、9ヵ月後、寝耳に水の出来事だった。
貴乃花も含め、誰もが二子山部屋は若乃花が継ぐと思っていた。
しかし若乃花は、チャンコ料理屋などをやった後、「長年の夢だった」というアメリカンフットボールに挑戦。
アメリカNFL入りを目指し、複数のチームの入団テストを受けたが、すべて不合格となった。
こうして二子山部屋は、女将さんと指導員を立て続けに失った。
「勝がいなくなっちゃうから部屋はお前が継いでくれ」
嫁と長男に裏切られた二子山親方はさみしそうにいった。
貴乃花は、部屋を支えていこうと思った。
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2001年5月26日、5月場所14日目、ここまで全勝の貴乃花は、大関の武双山と対戦。
勝てば優勝が決まる一戦だったが、武双山に巻き落とされ土俵に転がった。
その際、右膝が亜脱臼を起こし半月板と靭帯を損傷。
花道は何とか自力で歩いたが、観客の目がなくなると付け人の肩を借りた。
「横綱になってまともに相撲をとれたのは2年くらい。
後は60%くらい」
と貴乃花はいう。
横綱になって3年間(1995~97年)18場所で11回優勝。
しかしそれ以降は、1999年3月、右肩甲骨骨折、7月、左薬指靭帯損傷、2000年7月、左上腕二頭筋断裂と大きなケガが続き、休場5回、優勝は0回。
今回の右膝も以前から座るときなどに外れるような感覚があったという。
そしてこの試合で完全に壊れてしまった。
重要なのは初めての下半身のケガだったこと。
無理をすれば相撲生命を縮める、あるいは奪うことになりかねない危険な状態だった。
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