豊川誕の境遇「捨て子」
その後、ゲイタウンとして知られる大阪市北区堂山町のゲイバーや喫茶店でアルバイトをしていた。その時知り合ったジャニーズの偽マネージャーの誘いで11月に東京へ遊びに行く。
その時にジャニーズ事務所の副社長のメリー喜多川と会いそのまま合宿所に入る。
メリー喜多川から、「豊川誕」と名付けられ16歳でデビューをする。
ジャニーズにスカウトされた頃の豊川誕は、ガリガリに痩せていた。
事務所に入ってからは、雑誌「月刊明星」の1974年11月号の企画「君もジャニーズJr.のメンバーになってハワイへ行こう!」 に豊川が応募し合格した「ジャニーズJr.第3期生」としてハワイ旅行に参加した。この時、シェラトンワイキキホテル最上階のスイートルームに宿泊したという。
豊川誕のアイドル時代
オーバーオール姿のレコード&CDジャケット⑧
— sho (@Overalls_Sho) June 15, 2016
豊川誕「白い面影」
EDWINのオーバーオールにチェックのネルシャツ姿の誕さんが可愛いのですが、ちょっと表情が少し寂しげ…#オーバーオール #豊川誕 pic.twitter.com/mR034I7jKR
理由は、豊川が歌う歌の歌詞にあると言われている。
1977年6月21日に発売したシングル『白い面影』の歌詞「親のない子は焼かないパンを喉に詰まらせ水を飲む」に嫌気が差した。
豊川誕って方の「母のない子は冷たいパンを水で流し…」って歌詞のうた知ってるかたいらっしゃいますか??
ジャニーズ事務所とアイドル北公次から豊川誕へ
北さんは1968年にデビューし、7年連続で紅白歌合戦に出演するなど、70年代を代表するアイドルとして活躍した。
一方の豊川は、75年にデビュー。78年に北さんがグループを解散して事務所を去ると、翌79年、後を追うように事務所を脱退した。その後の人生は先輩の北さん同様、波乱に富んだものだった。
豊川誕のユーチューブ動画
汚れなき悪戯 / 豊川誕
豊川誕「汚れなき悪戯」歌詞
「白い面影」 豊川誕
問題の歌詞「白い面影」は記憶に残っている人もいる。
とても良い曲だ。
「メンソールシガレット」 豊川誕
「愛したら最後」豊川誕
カッコよくなった22歳の豊川誕、歌っているのは演歌だ!
本名は本田孝(ほんだ たかし)
当時の姫路市長・石見元秀が名付け、発見日より約3年前の「1958年10月5日」を推定の生年月日とし、同市の児童養護施設で育つ。
身長171cm、体重70kg、靴26cm、血液型O型。
宗教はプロテスタントのクリスチャン。