セ・リーグ初の2年連続打点王に輝いた男!【ルイス・ロペス】
2016年11月25日 更新

セ・リーグ初の2年連続打点王に輝いた男!【ルイス・ロペス】

来日してから、2年連続で3割100打点を越えて、打点王に輝いた選手はロペスがセ・リーグ初の選手でして、今後もなかなか出てこないでしょう。トラブルさえなかったら、バース、ブーマーに並ぶ3冠王も獲っていたかもしれません。 そんなルイス・ロペスの活躍をご紹介しましょう。

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広島に本塁打の花を咲かせるためにやってきたルイス・ロペス!

ルイス・アントニオ・ロペス(Luis Antonio ...

ルイス・アントニオ・ロペス(Luis Antonio Lopez)

1964年9月1日生まれ
身長186cm、体重86kg
右投げ右打ち
ポジション:一塁手、捕手

1996年に広島に長距離砲としてメジャーより来日し、100打点を超える打撃を見せタイトルを欲しいままに取っていった男。広島から福岡ダイエーホークスに行き、また広島に戻ってくると大人気のスラッガーである。

ルイス・ロペスの獲得タイトルと主な表彰・成績

打点王:2回 (1996年、1997年)
最多安打:1回 (1997年)

ベストナイン:2回 (1996年、1997年)
月間MVP:1回 (2000年9月)

ルイス・ロペスのプレースタイルは?

勝負強い打撃で打点を量産する男

勝負強い打撃で打点を量産する男

パワーヒッターとして、チームに入り、6年間で打率3割を越え510打点を叩き出したバッティングは、個人というよりもチームのための打撃に徹するスタイルである。
長距離砲として入団したロペスだが、決して本塁打にこだわったバッティングはせず、次につながる打撃。ランナーを本塁に戻す、チームプレイを重んじたバッティングをする選手です。
広島時代には5年在籍した中で、3度100打点以上を叩き出している結果は素晴らしいの一言に尽きます。

ロペスの日本球界に入るまでの軌跡

1983年にメジャーのドラフトで指名されて、ロサンゼルス・ドジャースへと入団を果たしたロペスは、メジャーで活躍した選手ではなく、なかなかメジャーで試合をするチャンスに恵まれない感じで過ごしていました。

1996年に、なかなかメジャー昇格できないロペスは、とうとう日本に来ることを決意して、広島東洋カープに入団します。

広島に来たロペスは

日本に来て、最初のキャンプから合流したロペスは、なかなかバッティングに成果が出ず、結果が出せずにいました。
シーズン中の活躍が危ぶまれたところ、当時の打撃コーチの山本一義コーチと一緒にスイングを矯正したところ、打撃センスが開眼!

1年目から打つわ打つわで、打率.312 25 109打点と大暴れの結果を出しました。打点においてはリーグトップの成績でタイトルも獲ることになるのです。
その2年目も112打点を叩き出し、堂々の2年連続打点王に輝くのです。
大暴れのルイス・ロペス

大暴れのルイス・ロペス

この来日から、2年連続で打点王のタイトルを獲り、3割100打点と言う記録を樹立した選手は、セ・リーグでただ一人。ルイス・ロペスのみなのです。

チームのためのバッティングに心がける真面目な青年だったが、時にはこんな情熱的な部分もあるのです。

交渉決裂・・・・。しかし、他球団へ。

2年連続で、大記録を叩き出したロペスが望んだその年の契約更改に事件が。。。

広島球団史上、最強の外国人選手とうたわれ、実績も積み、当然、相当な年棒が欲しかったロペスですが、なかなか、球団との折り合いがつかないのです。

素晴らしい記録を作った事実がありますが、そこは広島東洋カープという球団ですので、出したくても出せません。

その結果、当時、主砲を探していた福岡ダイエーホークスと契約し、広島を離れて、福岡に行ってしまいます。
 (1580621)

しかし、福岡で、広島時代のような活躍は出来なくて、小久保の復帰に伴って、ダイエーを退団してしまいました。

そして、アメリカの独立リーグへと移籍してしまうのです。

古巣からのオファーに

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