1980年10月1日 角川春樹事務所『Popteen (ポップティーン)』 創刊
ポップティーンは創刊翌年の1981年に装丁からなにからガラリと変わっているのだが、内容的にもヤンキー路線が明確になった。フィフティーズや暴走族、竹の子族などのグラビアがあるので資料価値はけっこう高い。(写真は1981年4月号)
三塚博 - 元衆議院議員が衆院予算委員会で『Popteen』を「性欲雑誌」と激しく攻撃した。
角川書店から刊行されていた『ポップティーン』を始めとする少女向け情報誌の内容を予算委員会で「性欲講座」と批判。この煽りを受けて複数の雑誌が休廃刊ないし大幅な路線変更を余儀無くされた。
『Popteen (ポップティーン)』1983年12月号
1980年4月 ハースト婦人画報社『25ans (ヴァンサンカン)』 創刊
1980年4月 『25ans (ヴァンサンカン)』 創刊
1980年4月に創刊された。誌名はフランス語で「25歳」を意味し、「社交界に身を置く20代以上の『お嬢様』」が対象とされている。創刊初期は「婦人画報」を購読する高所得家庭の子女を主なターゲットと想定した。
「CLASSY.」(1984年~)や「miss家庭画報(→MISS / MISS plus+)」(1989年~2013年)とともに「お嬢様系雑誌」として知られ、1980年代後半のバブル景気時代に人気を獲得した。上記2誌が一般OL向け路線にシフトした現在は、より「お嬢様」カラーを強め、富裕層の女性に向けた海外旅行や欧州の社交界に関する記事を多数掲載している。
「今の時代のゴージャスを体験するための情報を発信する、インターナショナル・ラグジュアリー・マガジン」をスローガンとし、「ラグジュアリー系雑誌」もしくは「ゴージャス系雑誌」の代表格として高い人気を持ち続けている。2013年1月号(2012年11月28日発売)で発売400号目を迎えた。ジャンルは「ゴージャス系」と説明されることが多い。ファッション、ビューティ関連以外にも、旅行、リフレッシュ、社会奉仕など、富裕層のライフスタイルに関する記事を幅広く掲載している。
掲載商品の大多数が欧州の名門ブランドの商品であるほか、ロケ地にも海外のリゾートや有名観光地を多数起用している。モード界の最新コレクションに関する情報も充実している。ファインジュエリー、高級時計に関する記事も、女性向けのファッション誌としては多くみられる。
(出典:Wikipedia「25ans」)
1981年8月 講談社『with (ウィズ)』 創刊
1981年8月 講談社『with (ウィズ)』 創刊
発売日は毎月28日で、『CanCam』や『JJ』などの「赤文字系」ファッション雑誌と比べると、購読層は若干上の世代である。同じ毎月28日発売の『MORE』(集英社)とは同じ世代を対象としており、発行部数も互角となっている(マガジンデータ2013によると、MOREが35.6万部、withが33万部) 。
(出典:Wikipedia「with (雑誌)」)
1981年11月発売(1982年1月号として創刊) 小学館『CanCam (キャンキャン)』 創刊号
1981年11月発売(1982年1月号として創刊) 小学館『CanCam (キャンキャン)』 創刊号
雷鳥社編『雑誌タイトルコピー大全』の伝えるところによれば、誌名の由来は“I can campus”(アイ・キャン・キャンパス)の略で、すなわち「キャンパスリーダーになれるように」の意。
“OLのバイブル”あるいは“腰かけOLのバイブル”などと言われる。
他の赤文字雑誌と比較すると、蛯原友里に象徴されるような、"めちゃモテ”と呼ばれるスタイルの徹底が特徴として挙げられる。その一方で、「かわいい」を中心に、清楚からクール、カジュアルまで守備範囲は広い。
1982年1月創刊。創刊号の表紙は松崎悦子で、その後6月号に至るまで連続して表紙に登場。小学館創立60周年を機とした創刊で、1980年代の小学館を牽引する雑誌となった。
初期の誌面は大学生活を舞台としたファッションや美容の情報が多かったものの、1980年代中盤頃から後半頃に掛けて“高級化”現象が起こり、それまでの大学という舞台を排除したうえでステータス感を伴うOL志向の雑誌に変容。
2000年代に入ると第二次黄金期と言われた空前の“CanCamブーム”が到来。その火付け役となったのが押切もえと蛯原友里で、ともに誌面のみならずテレビなどへの露出を通して“CanCamモデル”の存在を広く一般へ知らしめるに至る。
『JJ』の“神戸系エレガンス”に続く“東京エレガンス”と評されるスタイルが蛯原の人気とも相まって社会現象となり、発行部数70万超の“怪物雑誌”に成長した。
(出典:Wikipedia「CanCam」)
1984年、後にトップ読者になる上智大学時代の河野景子さんが登場。
1985年は、日大芸術学部時代の中井美穂さんが登場。
1982年 マガジンハウス『Olive (オリーブ)』 創刊
1982年 マガジンハウス『Olive (オリーブ)』 創刊
当初は月2回刊。発売時のキャッチコピーは「Magazine for City Girls」。当初は女子大生向けの情報誌として、男性向け雑誌『ポパイ』の姉妹誌という位置づけであった。
リニューアルを経て1983年に『ポパイ』より独立。「Magazine for Romantic Girls」のキャッチコピーを掲げ、「リセエンヌ」(lycéenne 仏:lycéeの女子学生)などのライフスタイルを提示、中高生を含む、ティーン向けの文化をキャッチおよび発信する雑誌となった。
2000年7月18日号をもって休刊し、月刊誌にリニューアルして一時復刊するも、2003年6月18日発売の8月号をもって再び休刊となった。
『オリーブ』は、特に1980年代においては、実用的なファッション雑誌というより、のちに「ガーリー(>girlish)」と呼ばれる、新しいタイプの都会的少女文化を提示するサブカルチャー雑誌というべき存在であった。主要読者層の想定としてミッション系、一貫教育校などの中高生や帰国子女を含み、音楽、映画、インテリア、絵本など文化記事に力を入れ、当時『オリーブ』の愛読者でリセエンヌ的なファッションやライフスタイルにこだわる若い女性は「オリーブ少女」といわれた。
しかし、1990年代以降、読者層としていた10代の女性の指向が以前より現実的なものになり、より実用的なファッション雑誌に読者が流れた。『オリーブ』の提示した先鋭的な美意識が拡散し一般的なものになるにつれ、それまで唯一無二のものであった『オリーブ』の立ち位置が曖昧になってしまったともいえる。1990年代の『オリーブ』は文化や生活全般を題材にするという姿勢は崩さないものの、より地に足のついた実践的な記事が増える傾向にあり、2000年代のスローライフに通じるようなコンセプトが強まっていった。
(出典:Wikipedia「Olive」)
1983年5月 講談社『ViVi (ヴィヴィ)』 創刊
1983年5月 講談社『ViVi (ヴィヴィ)』 創刊
2010年度の日本国内の発行部数は約43万部で、赤文字雑誌では第1位である[2]。対象年齢層は15 - 36歳となっており、OLと女子大生がメインターゲット。ファッション・メイク・ヘア、海外芸能人に関する記事が中心となっている。
他の赤文字雑誌と比較すると、以下のような特徴がある。
海外志向が非常に強い。ハーフ(またはミックス)の専属モデルが多く、またモード界に関する掲載も充実している。
男性受けより、自分の求めるスタイルを重視する傾向がある。赤文字雑誌の中では最もかっこよさを追求している。
(出典:Wikipedia「ViVi」)
1978年創刊。日之出出版最初の月刊誌。
若者向けのサーファーファッションを中心とした情報を掲載している。
2008年に創刊30周年を迎えた。
2014年、同社より発売されている「Safari」に近い内容にリニューアルされた。誌面起用モデルの大多数が欧米系外国人となったほか、女性向け商品の掲載がほぼなくなり、原則付録グッズつきとなった。発売日も月末(30~31日)となっている。
(出典:Wikipedia「Fine」)