いやだ公害(ニューフェニックス)⇒公害問題
戦後、急速な経済発展を遂げた日本。しかし、そのツケとして、水質・大気の汚染が進み、60年代頃から公害が社会問題化していきました。
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こうした時局を憂いでか、ニューフェニックスというグループによって発表された楽曲が『いやだ公害』です。70年代といえば、フォークソングで反戦を歌うことが流行っていた時代。そんな中、より身近な「公害」をテーマとして扱い、それをムードコーラス歌謡調に歌った同曲は、かなり異色の存在といえるでしょう。
いやだ公害 ニューフェニックス
1970年リリース
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手紙(岡林信康)⇒部落差別
プロテストフォークの第一人者として、カルト的人気を誇った岡林信康。彼が部落差別について歌った楽曲は2曲あり、『チューリップのアップリケ』と、本稿で紹介する『手紙』です。どちらも「放送禁止歌」とされています。
『手紙』は、部落に生まれた若い女性の一人称語りの歌。大好きな彼と、将来一緒にお店を持つという夢があった「私」。しかし、厳然と存在する「差別」が障壁となり、その夢はかなわず。結局、彼の前から身を引くことを決断したと語っています。
『手紙』は、部落に生まれた若い女性の一人称語りの歌。大好きな彼と、将来一緒にお店を持つという夢があった「私」。しかし、厳然と存在する「差別」が障壁となり、その夢はかなわず。結局、彼の前から身を引くことを決断したと語っています。
部落に生まれたその事の‐
どこが悪い何が違う‐
そんなメッセージが胸に刺さります。
手紙/岡林信康
1970年3月リリース
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大平エレジー(高田耕とはじらいエコーズ)⇒過疎化
1960年代以降。高度経済成長によって、農村部から都市部へ、労働力としての人口流出が続き、工業基盤を持たない地域は過疎化を余儀なくされました。
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そんな折に起こった出来事が、1970年の長野県大平宿における集団離村です。 同年11月には全住民28戸が移住を完了し、250年続いた宿場町は終わりのときを迎えました。『大平エレジー』は、そんな大平宿終焉の黄昏を歌ったムード歌謡。曲途中、離村者による語りも入り、変わりゆく時代に取り残された、さびれた宿場町の哀愁を、たっぷりと滲ませます。
高田耕とはじらいエコーズ「大平エレジー」
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ノーモア・スモンの歌(横井久美子)⇒薬害スモン
整腸剤キノホルムに由来する薬害スモン病。激しい腹痛、下肢の痺れ、脱力、歩行困難、さらには、視力障害といったさまざまな症状で患者を苦しめ、特に、1967~1968年頃に大量発生しました。
こんな苦しみは 二度と♪
この世に起こしてはならない♪
フォークシンガー・横井久美子が歌った『ノーモア・スモンの歌』では、そんなシンプルなメッセージを提唱しています。
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