フォーライフ・レコード
吉田拓郎・井上陽水・小室等に泉谷しげるという当時人気の4人のミュージシャンが1975年に設立したレコード会社、それが言わずと知れた「フォーライフ・レコード」です。
ミュージシャンがレコード会社を設立するなど前代未聞ということで、レコード業界は大騒動、社会的な問題となりました。吉田拓郎と井上陽水は共に飛ぶ鳥を落とす勢い!人気絶頂でしたからねぇ。
ミュージシャンがレコード会社を設立するなど前代未聞ということで、レコード業界は大騒動、社会的な問題となりました。吉田拓郎と井上陽水は共に飛ぶ鳥を落とす勢い!人気絶頂でしたからねぇ。
via www.amazon.co.jp
センセーショナルを巻き起こしたとはいえ、フォーライフ・レコードがレコード会社として成功するにはヒット曲が必要。ヒット曲を出せるミュージシャンが必要。
つまり、人気の4人とは言ったものの、当時の泉谷しげるは熱烈なファンこそ付いていましたが、まだ知る人ぞ知るといった存在でしたし、小室等に至っては一般人で知る人はほとんどいないといった存在でしたから、新人の発掘はフォーライフ・レコードにとって大きな課題となったわけです。
フォーライフ・レコードはどのようなミュージシャンを発掘し、どのような曲をリリースしたのでしょうか?!
1975年の設立から激動の1977年までにリリースされた吉田拓郎・井上陽水・小室等・泉谷しげる以外のシングルを振り返ります。
つまり、人気の4人とは言ったものの、当時の泉谷しげるは熱烈なファンこそ付いていましたが、まだ知る人ぞ知るといった存在でしたし、小室等に至っては一般人で知る人はほとんどいないといった存在でしたから、新人の発掘はフォーライフ・レコードにとって大きな課題となったわけです。
フォーライフ・レコードはどのようなミュージシャンを発掘し、どのような曲をリリースしたのでしょうか?!
1975年の設立から激動の1977年までにリリースされた吉田拓郎・井上陽水・小室等・泉谷しげる以外のシングルを振り返ります。
川村ゆうこ
フォーライフ・レコードの最初のシングルは、1975年8月25日にリリースされた泉谷しげる「寒い国から来た手紙」。イイ曲ですが大きなヒットとはなりませんでした。盆を過ぎたとはいえ、まだまだ残暑が厳しい8月に「寒い国」と言われても一般的にはピンとこなかったのかもしれません。
続いて吉田拓郎「となりの町のお嬢さん」、小室等「愛よ こんにちは」、井上陽水「青空、ひとりきり」の4枚が1975年にフォーライフ・レコードからリリースされてています。レギュラーの4人が各1枚リリースしたわけです。
そして1976年、井上陽水「Good, Good-Bye」、吉田拓郎「明日に向って走れ」に次いで、いよいよ5人目のミュージシャンがデビューします。
1976年4月25日、吉田拓郎の作詞、作曲による、川村ゆうこ「風になりたい」です。
続いて吉田拓郎「となりの町のお嬢さん」、小室等「愛よ こんにちは」、井上陽水「青空、ひとりきり」の4枚が1975年にフォーライフ・レコードからリリースされてています。レギュラーの4人が各1枚リリースしたわけです。
そして1976年、井上陽水「Good, Good-Bye」、吉田拓郎「明日に向って走れ」に次いで、いよいよ5人目のミュージシャンがデビューします。
1976年4月25日、吉田拓郎の作詞、作曲による、川村ゆうこ「風になりたい」です。
via tower.jp
川村ゆうこは、第1回フォーライフ新人オーディションでグランプリを獲得してのデビューです。期待の新人というわけです。きれいな顔にきれいな声。さすがグランプリです。
吉田拓郎らしいイイ曲ですし、もっと人気が出てもよかったのになと思いますね。
吉田拓郎らしいイイ曲ですし、もっと人気が出てもよかったのになと思いますね。
風になりたい by 川村ゆうこ with 吉田拓郎
via www.youtube.com
フォーライフ・レコードの社運がかかってるとの思いがあったのでしょう。吉田拓郎はかなり力を入れて「風になりたい」を作ったようで、2006年のインタビューでは今までに作った提供曲で一番気にいっている曲だとこたえています。
「風になりたい」は、沢田聖子、我那覇美奈、中ノ森BANDなどによってカバーされてもいます。
「風になりたい」は、沢田聖子、我那覇美奈、中ノ森BANDなどによってカバーされてもいます。
哀しみを口ずさむ時
「風になりたい」の後、泉谷しげる「彼と彼女」、小室等「お早うの朝」に次いで川村ゆうこが2枚目のシングル「孤独なランナー」をリリース。1976年9月25日に6人目のフォーライフ、大野真澄が「哀しみを口ずさむ時」を出します。
大野真澄というと「学生街の喫茶店」で知られるガロ のVOCAL(ボーカル)ですね。フォーライフ移籍第1段というわけですが、残念ながら現在音源がありません。しかし、さすがにイイ声してますよ。
踊りましょうよ
大野真澄の次は吉田拓郎で「たえこMY LOVE」。で、次いで1976年を締めくくるべくリリースされたのが中川梨絵「踊りましょうよ」です。
ご存じでない方も多いかと思いますが、中川梨絵は新人ではありません。いえ、歌手としては新人ということになりますが、そもそもが女優です。しかもロマンポルノの黄金時代を築いた女優です。ということで、最高のフェロモン歌謡となっとります。
ご存じでない方も多いかと思いますが、中川梨絵は新人ではありません。いえ、歌手としては新人ということになりますが、そもそもが女優です。しかもロマンポルノの黄金時代を築いた女優です。ということで、最高のフェロモン歌謡となっとります。
聞いたことないって方が多いかと思いますが、いやぁ「踊りましょうよ」は名曲ですよォ。実はこの曲、カップリングの「さすらいのトランペッター」共々、中川梨絵が自ら作ってるんです。素晴らしい才能ですわ。
こんなにステキな曲が埋もれているなんて、日本の音楽界にとって大きな損失と言わざるを得ません。是非お聞きください。
こんなにステキな曲が埋もれているなんて、日本の音楽界にとって大きな損失と言わざるを得ません。是非お聞きください。
【歌うロマンポルノ女優】中川梨絵「踊りましょうよ」
via www.youtube.com
プロデュースと演奏を小室等とムーンライダースが務めています。小室等はともかく、ムーンライダースはさすがに素晴らしいです。ムーンライダースの貢献が大きいのではないかと思います?!
残念ながらこれが中川梨絵がリリースした唯一のシングルなんです。これしか無いのです。聞き足りん!全く聞き足りん!アルバムで聞いてみたかったですねぇ。
残念ながらこれが中川梨絵がリリースした唯一のシングルなんです。これしか無いのです。聞き足りん!全く聞き足りん!アルバムで聞いてみたかったですねぇ。