風見しんごさんのアイドル時代がかっこよかった!娘さんの事故死を乗り越えて現在は?
2019年10月11日 更新

風見しんごさんのアイドル時代がかっこよかった!娘さんの事故死を乗り越えて現在は?

風見慎吾さん、その昔、超人気アイドルで大人気だったというのをご存知でしょうか。今でもその雰囲気は感じられる年齢の割には若々しい感じがします。そんな風見慎吾さんの芸能人・アイドルとしての絶頂期、その裏では、結婚して幸せな時に突然起こった乗り越えなければいけない娘さんの事故死もありました。ここではそんなことにも触れ、その後の風見慎吾さんについてご紹介していきます。

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風見しんごさんのプロフィール


風見 しんご(かざみしんご)
本名:大下 義博(おおしたよしひろ)
生年月日:1962年10月10日(56歳)
出生地:広島県広島市西区
血液型:A型
身長:169cm
職業:俳優・タレント・歌手
活動期間:1982年~

初期のころは『風見慎吾』で活動しています。

広島学院中学校・高等学校卒業し、大学は東京の成蹊大学に進学してます。

風見しんごさんの芸能界デビューの経緯

地元の広島から大学進学のための状況します。

1981年大学在学中に原宿で哀川翔さんをみて哀川さんが所属していた東京ビクトリークラブに入れてくださいと頼み込みます。
のちの劇男一世風靡の前身にあたる劇男零心会のメンバーになります。

1982年、TBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』オーディションを受けて合格します。「バカでかい声であいさつして合格!」と萩本欽一さんに言われ、1982年10月8日デビューします。

1983年5月『僕笑っちゃいます』レコードデビューをします。この曲で、第16回日本有線大賞最優秀新人賞、第16回日本レコードセールス大賞新人賞など受賞します。

歌手としてデビューすると、歌えて、ダンスも出来るアイドルとして大人気になります。


ブレイクダンスを振付に取り入れた先駆者

minimoniさんのツイート: "爆報で風見しんごさんの娘さんの事故の話の時は泣いてしまいました。「えみるちゃんへ」お父様(風見しんごさん)はブレイクダンスの先駆者でほんとに凄いんだよ⤴⤴… "

1984年12月リリース4曲目の『涙のtake a chance』では、振付にアメリカでブームとなっていたブレイクダンスを取り入れ、歌番組に出演した際などでも披露します。実はこれが、日本にブレイクダンスを広めることになったことで、のちに先駆者として風見しんごさんの名前が挙がるようになります。

風間しんごさんが振付にブレイクダンスを取り入れるために自分でニューヨークに行き、ブレイクダンスを猛特訓して修得して帰ってきます。

ブレイクダンスとは?

ブレイクダンスは、簡単に言うと、ストリートダンスで、アメリカのニューヨーク・サウスブロンクスから発展していきます。この地域でアフリカ系アメリカ人、ラテン系アメリカ人が主にストリートで広めていき、過激な抗争ではなく、その代わりにダンスバトルでの対決をして発展していきます。
1980年代に入り、下火になりますが、1984年に映画「ブレイクダンス(邦題)」などの公開で再び盛り上がります。

そのブレイクダンスを風見しんごさんが自身の楽曲に振り付けとして取り入れて披露したことで日本でもストリートダンスがブレイクしていきます。
風見しんごさんはその後も年齢を重ねていっても、変わらないスタイル、風貌、そして歌手としてだけではなくてもトークも出来るタレントとして、芸能界に残っていきます。

結婚~二人の娘さんを授かる

東洋経済 (2145277)

風見しんごさんの奥さんも元はタレントやモデルとして芸能界で活動していました。1990年出演したテレビ番組で知り合い交際することになります。

奥様の尚子さんと、風見しんごさんが結婚したのは、1994年です。その2年後に長女「えみる」さん、その7年後に次女の「ふみね」さんが生まれます。
風見さんの「笑顔が満ちる子になってほしい」という願いが込められた名前だった。
「とにかく明るくて、物怖じしないというか、すぐ友達になるタイプで、社交的」(尚子さん)

次女には、“大地を踏みしめ、しっかりと根を張ってほしい”という願いを込め『ふみね』と名付けた。「すごくシャイで、社交的なお姉ちゃんの後ろに隠れて、ちょっと顔出してるタイプ!けっこう逆でしたね、えみるとは」(尚子さん)
お二人の娘さんに恵まれ、仕事も順調で幸せな家族で不通に過ごしていたのだと思います。そんなある日、風見さん一家にとても悲しいことが起こってしまいます。

2007年最愛の娘さんが交通事故で亡くなる

タレントの風見しんごさん(54)は、小学5年生だった長女えみるさん(当時10歳)を登校中の交通事故で失った。事故があったのは2007年1月17日の朝。えみるさんが赤いランドセルを背負い、家を出たほんの数分後だった。青信号で横断歩道を渡っていて、交差点の向こう側から右折してきたトラックにひかれた。
トラックが通ってきた路地はスクールゾーンだった。住民など許可を得た車のほかは通学時間帯は通行禁止だが、「抜け道」として使われていたという。

風見さん一家のその日の朝は、ごくごく普通と変わらない朝だったと思います。奥さんの尚子さんは、朝ごはんにえみるさんの好物のツナサンドを作ってあげたそうです。

「行ってきます~」「いってらっしゃい~」と送り出してあげたんだと思います。それから間もなくして、えみるさんが事故に遭ったと連絡が入ります。

風見さんも自宅で寝ていたのですぐ起こされて、奥さんと一緒に現場に向かって...、えみるさんがまだひかれたトラックの下にいたんです。その時のえみるさんの気持ち、痛さなど、そして風見さんご夫婦の状況を想像すると胸が締め付けられる思いになります。

被告に実刑判決

2007年1月17日のえみるさんが亡くなったこの事故で、同年6月9日に読売新聞など新聞社の報道によると、えみるさんをはねたトラックを運転していた元会社員の23歳の被告は、業務上過失致死罪に問われていましたが、6月6日、東京地方裁判所は求刑禁固3年のところ、禁固2年の実刑判決を言い渡しました。

被告の弁護側はその日のうちに、判決を不服として控訴しています。

この控訴について風見しんごさんは自身のブログで、『・・・。控訴という事でコメントはない。最後まで「心」を信じる。』と綴っています。

その後、9月28日東京高等裁判所は、一審判決を支持、被告側の控訴を棄却しています。これで被告は禁固2年の刑に決定しています。
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