元広島カープの本拠地 広島市民球場
2016年11月25日 更新

元広島カープの本拠地 広島市民球場

プロ野球の本拠地で最も地域に根付いている球場と言えば、やはり広島カープの本拠地だった広島市民球場。カープ女子など呼ばれていなかった時代から広島カープファンに親しまれていた広島市民球場をプレイバックしていきましょう。

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元広島カープの本拠地 広島市民球場

プロ野球の本拠地で最も地域に根付いている球場と言えば、やはり広島カープの本拠地だった広島市民球場。カープ女子など呼ばれていなかった時代から広島カープファンに親しまれていた広島市民球場をプレイバックしていきましょう。
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広島市民のための球場

読売巨人軍や、ソフトバンクホークスのように、企業の母体がなく、市民球団として誕生した「広島東洋カープ」。そのため、広島カープの本拠地である広島市民球場は、その名が語るとおり、広島市が所有および運営管理を行なっていた市民球場でした。そのため、常に予算がなく、極貧球場として有名でした。
初代の広島市民球場(ひろしましみんきゅうじょう)は、広島県広島市中区基町の広島市中央公園内にかつて存在した野球場。広島市が所有および運営管理を行なっていた。

1957年7月に完成し、以来2009年3月31日まで日本プロ野球・セントラル・リーグの広島東洋カープが本拠地として用いた。

2009年4月1日から2010年8月31日までは、旧広島市民球場(きゅうひろしましみんきゅうじょう)の名称で主にアマチュア野球に使用されていたが、2010年9月1日をもって閉鎖され、2012年2月28日をもってライトスタンドの一部を残して解体された。
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広島市民球場と言えば・・・たる募金!

前述どおり、極貧球団、球場として市民に愛されているカープそして広島市民球場。経営危機のあった1951年に、それを救うために、球場に樽による募金箱を設置された。
それが皮切りに、度々、樽募金が行われており、有名なのが1980年代には、新しい球場の建設の話が進み、なんと総額1億2千万円もの募金を集めた。
親会社を持たない市民球団として結成されたという歴史的背景もあって、球団創設時から資金難にあえいでいたのが広島。1951年には深刻な球団経営状態から給料の遅配や遠征費が払えない事態となり、一時は球団解散の決定がなされた経緯もある。

この危機に立ち上がったのが、球団初代監督でもある石本秀一。監督自ら後援会を立ち上げ、資金援助を訴え続けた。さらに広島市民が、当時の本拠地だった広島総合球場入り口に酒樽を設置し募金を呼びかけた。これが有名な「樽募金」で、400万円(当時)もの大金を集め、球団存続最大の危機を脱した。

このように老朽化が進んだ広島市民球場だったため、1980年代から新球場建設の話が持ち上がったが、やはりネックとなったのが財政面。そこで再び行われたのが樽募金。広島県内各地に樽が設置され、総額1億2千万円もの募金を集め、新球場建設の一部(※総額は90億円)に充てられることとなった。
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広島市民球場と言えば・・・やはり虫!

資金難からか、設備投資不足か、広島市民球場と言えば、試合中に虫が飛んで、時には試合を妨害するのが持ち味?となっていた。
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広島市民球場と言えば・・・やはりジェット風船!

7回裏に飛ばすジェット風船!今では阪神の甲子園球場が有名ですが、発祥は、広島市民球場!
ジェット風船の応援は、1978年に広島東洋カープのファンが、甲子園球場でジェット風船を飛ばしたのが始まりとされる。しかし、一般的にプロ野球の応援の代名詞的なイメージとして定着したのは1985年の阪神タイガース優勝時に甲子園を埋め尽くした阪神ファンが一斉に放ってからである。

球場のスタッフ等がイニングの合間にグラウンドに落ちたジェット風船を回収している。

民放テレビのプロ野球中継では、通常イニングの間はCMということが多いが、7回裏(厳密には7回表終了直後)のジェット風船飛ばしの瞬間は放送されることがある。

2000年代以降では各球団ファンがチーム勝利時にも飛ばすようになった(1990年代の時点で福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)ファンが勝利時に風船を飛ばしていた)。その時は、勝利を表す「白星」とかけて白色の風船を飛ばすファンや、色をホームでは白、ビジターゲームではチームカラーに統一している応援団も存在する(主催球団の選手は白のユニフォームを着るため。阪神の場合は、勝利決定時にラッキー7と同様に白以外の様々な色の風船を内野応援席のファンが飛ばす)。

2012年からはパ・リーグチームのファンは全て(最低限本拠地の試合では)風船飛ばしを行うようになった。

旧広島市民球場 「それ行けカープ」ライト自由席 7回 - YouTube

広島市民球場と言えば・・・やはりそれいけカープ!

ジェット風船同様、7回裏に歌われるのが広島カープ応援歌「それいけカープ!」。今では、東京などで、故郷を想う広島県民の望郷する曲で、居酒屋などでもよく合唱していますよね。
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