平成の大横綱 65代横綱 貴乃花光司
2021年3月28日 更新

平成の大横綱 65代横綱 貴乃花光司

この記事は、平成の相撲界を牽引してきた第65代横綱貴乃花光司について、令和となった今、日本人横綱の誕生が期待されている中、貴乃花光司が初土俵から現役力士時代、引退後親方として、2018年退職後の現在の活動までを紹介します。

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貴乃花といえば真っ先に思い浮かぶのが「景子さん」(河野景子)だろう。しかし、彼女との婚約は貴乃花にとってはじめての婚約ではなかった。それ以前に忘れてはならないのが、日本を代表する女優・宮沢りえとの婚約から破局までがセンセーショナルな「貴りえ騒動」だろう。あれから28年、貴りえ騒動を振り返る。1992年10月27日、1つのビックニュースが報じられた。「貴花田・宮沢りえが婚約」。筆者は当時小学4年生だったが、学校ではこの話題で持ちきりとなっていた。当時の貴花田は20歳、宮沢は19歳で未成年だった。2人の出会いは、対談でその後3年間に渡る交際期間があったという。この日放送された特番では、貴花田と宮沢が貴花田の兄・若花田立ち会いのもと、船上クルージングデートを楽しんだ様子が紹介された。実はこのクルージングデート以後、2人はお互いのプレゼントを交換する仲となったとも言われている。映画関係者が「結婚するから今後スケジュールは入れない」と話していたことを明かした。九州場所に出場するため福岡に滞在していた貴花田も景子後に宿舎で報道陣に取材に応じて、「2周間ほど前(10月13日頃)に電話でプロポーズをしたと話した。同日宮沢もNHKで鴻上尚史と河合美智子が司会をつとめる「もっと過激にパラダイス」に出演、河合からは祝福の花束が手渡された。本来、婚約が明らかにならなかったら映画に関するトークをする予定だったという。九州場所後の11月27日、婚約会見を行った。2人が会見場に手を繋いで入場したり、お揃いのピンクの着物で会見に臨む幸せそうな姿がテレビで放送された。しかし、それから2ヶ月後、2人が婚約を解消したことが明らかになった。1993年1月27日、この日は貴花田が市場最年少での大関昇進を決めた日だった。貴ノ花は、「連絡を取っていないし、会ってもいない、彼女への愛情がなくなりました」と答え、宮沢も2日後に会見を開き破局を認めた。これがきっかけとなり、に貴ノ花に対するマスコミのバッシングは一層強いものになりました。これまで笑顔でマスコミのインタビューに答えていた彼が、マスコミを遠ざけるようになり、「孤高の人」と呼ばれるようになったのはこの頃からであると言われている。彼の引退時の特番では、「バッシングは土俵ではねのけるしかない」と語っていたことが明らかになった。婚約破棄の理由については、直接2人の口から語られてはいないものの、2016年頃、歌手の美川憲一から「宮沢の母に頼まれて、説得した」ということが明かされた。その後宮沢は、京都のホテルで手首を切る自殺未遂騒動を起こし、同じホテルに中村勘九郎(当時、故18代目中村勘三郎)が宿泊し、飲酒などの会食をしていたことから不倫疑惑が持ち上がった。宮沢の事務所は「コップで左手首を切った」と説明、勘九郎は当時中学生だった息子の勘太郎(現・勘九郎)と小学生だった七之助が学校で「不倫の子」と言われたなど悪影響を及ぼしていたことから、会見で不倫騒動を否定した。さらには「激やせ騒動」などで世間を騒がせたが、2002年に真田広之と共演した映画「たそがれ清兵衛」でブルーリボン賞「助演女優賞」や日本アカデミー賞で「最優秀主演女優賞」を受賞するなど女優として大きく飛躍した。また、プライベートで宮沢は2009年2月にサーファーの男性との結婚と第1子妊娠を発表。5月に長女を出産するも、その離婚協議に入り、2016年に離婚が成立。その後、人気アイドルグループV6のメンバー・森田剛との熱愛が報じられ、2018年3月に森田と再婚した。

貴花田・宮沢りえ婚約特番

宮沢りえが婚約当日に出演した番組

兄弟絶縁に発展した洗脳騒動

1998年、夏場所後に兄・若乃花が横綱に昇進したことで、大相撲史上初の兄弟横綱が誕生した。そんな喜ばしいニュースの裏で両親・兄ともに弟の行動に頭を悩ませていたのだ。事の発端は1998年9月、貴乃花が一部スポーツ紙に「若乃花の相撲には基本がない」や「もう若乃花と話すことはありません」と兄を痛烈に批判した。それ以前に貴乃花は父で師匠の二子山との関係も良好ではなかった。また、兄の拒絶が明らかになったことから、二子山は「貴乃花は懇意にしている整体師から洗脳されている」と発言し、騒動へと発展した。

「貴乃花は洗脳されている?」(報道陣)「間違いないです。」(二子山親方)
貴乃花との関係に悩んでいた二子山は、先述のようなコメントをしたことで「洗脳騒動」へと発展した。これはフジテレビが独自に二子山のインタビューを伝えたと言われている。もともと貴乃花が治療を受けていた整体師は、現役時代から二子山が懇意にしており、2人の息子も整体院へ通っていた。しかし、2人の母で二子山の妻である女将の憲子は、整体師が治療が始まると相撲の話を始めることから困惑し、「相撲の指導はあなた(二子山)でいいのに」と貴乃花と整体師との関係に悩んでいたという。洗脳騒動へと発展した直接的な原因は、同時期に芸能界で起こった洗脳騒動に起因しているという見方もあるが、当の整体師は沈黙を貫いた。翌99年、9月場所前に行われた激励会において兄弟は和解。互いに笑顔で握手を交わしている姿が翌日のスポーツ紙で紹介した。その後一旦、騒動は沈静化した。当時について母で女将だった藤田紀子は、フジテレビの責任を指摘、独自のインタビューが騒動に発展したと結論づけた。一方、貴乃花は、「(整体師は)大変お世話になった人。騒動は母と兄の捏造である」とのちに話している。

母の不倫疑惑と両親の離婚

2000年の名古屋場所中に母で女将の憲子への不倫疑惑が一部週刊誌で報じられた。不倫の相手は医師だったという。2001年に別居し、8月1日に離婚したことが報じられた。31年にわたる結婚生活に終止符を打った。この時貴乃花は膝の手術のため、フランスに滞在中だった。憲子は離婚後、姓を花田から旧姓だった藤田に改名し、「藤田紀子」の芸名で女優としての活動を再開した。

父の死去で明らかになった兄弟間の確執とメディアでの協会批判

2005年5月30日、父(二子山)が舌癌で55歳の若さで死去。病院には訃報を知って先代の弟子で貴乃花にとっては兄弟子にあたる部屋付きの音羽山、大嶽らが駆けつけた。亡骸は同日夜に無言の帰宅をした。翌31日には兄弟が実家の貴乃花部屋でそれぞれ記者会見を行った。貴乃花が会見を行ったとき、報道陣から喪主についての質問が及んだとき、勝が務めることについて「花田勝さんです」と他人行儀の発言をしたことから、再び兄弟の確執が明らかになった。青山葬儀所で行われた通夜および葬儀・告別式で兄弟は視線すら合わせなかった。出棺の際の喪主挨拶で声を詰まらせながら参列者への感謝をのべる兄とは対照的に後ろで無表情のままたっていたのが印象的だった。さらに、葬儀後の6月中には連日メディアに出演して協会運営に対する批判を行い、役員全員から厳重注意を受けた。7月3日、父二子山の四十九日法要が都内で営まれた。さらに4日後の7日には、代理人弁護士が兄・勝るが東京家庭裁判所において遺産相続放棄の手続きを行ったと発表。これにより、父・二子山の遺産は全て貴乃花が引き継いだ。

2010年日本相撲協会理事選を巡る一連の反発「貴の乱」

2010年の初場所が開催される2日前の1月8日、貴乃花が日本相撲協会の理事選挙屁の立候補を表明した。選挙は協会に属する5つの一門からそれぞれ合計して10人の理事候補を推薦し、無投票で選ぶのが慣例となっていた。貴乃花部屋が所属していた二所ノ関一門(二所一門)では、現職の二所ノ関(元関脇金剛、2014年逝去)、放駒(元大関魁傑、2014年逝去)のほか、新たに鳴戸(元横綱隆の里、2011年逝去)を擁立し、ここに貴乃花が加わると4人となるため、37才の最年少だった貴乃花に出馬を断念する方向で調整していたが、これに貴乃花が反発。初場所中日に解説をつとめ、所信表明を行ったことを受け、一門が緊急会合を開き、貴乃花、貴乃花支持を表明した大嶽、阿武松、間垣の4つの部屋に属する親方を事実上破門とした。このとき二所一門は現職2人が立候補することが決定したことで11人が立候補する形となり、2002年以来の評議員による投票が行われた。結果、立浪一門に属する大島(元大関旭国)が落選し、貴乃花の当選が決定した。理事長となった武蔵川は貴乃花の一連の行動を厳しく批判した。このとき、兄弟子にあたる音羽山、大嶽(理事選当選直後に野球賭博問題で解雇)、元横綱2代目若乃花の間垣(2013年退職)、阿武松(元関脇益荒雄、2019年退職)らは当然のことながら貴乃花へ投票、当時大嶽の義父だった大鵬(元横綱・一代年寄)は、既に協会を定年退職していることから理事選へ出馬する貴乃花を精神面で応援し、縁の下の力持ちとして全面的にバックアップした。理事に当選した夜には、貴乃花に票を投じた親方らが大嶽部屋に集結し、大鵬に当選を報告をした。この一連の動きは「貴の乱」と称され、「相撲界の革命児」と報じられた。

日本相撲協会理事としての4期8年

貴乃花が理事に当選直後は、日本相撲協会では不祥事が山積していたが、のちにファンとの交流が盛んになり、相撲人気がV字回復を見せた。
2010年
当選後、音羽山、間垣、大嶽、阿武松ら二所一門を離脱した親方が中心となり「貴乃花グループ」を結成した。理事選から3日後の2月4日、貴乃花は臨時理事会に出席し、新弟子の教育を行う場である相撲教習所所長に就任した。奇しくもこの日、自分の引退と入れ替わりに横綱に昇進した朝青龍が初場所中に起こした暴行事件の責任をとって現役引退を表明した。新理事として早くも直面した大きな問題だった。貴乃花は朝青龍引退について「協会も本人も決断を迫られた大変な日だった」と振り返った。
また、夏場所中には、大関琴光喜ら現役力士が、阿武松部屋に所属し仲介役だった床山らの誘いを受け、元力士(幕下)が中心となり、で暴力団を胴元としたプロ野球を中心とした野球賭博に手を染めているとの報道が一部週刊誌で報じられた。その中には兄弟子で二所一門時代から苦楽をともにしてきた大嶽の名前もあった。これを受け協会は佐渡ヶ嶽(元関脇琴ノ若)、阿武松らから事情を聴くが、当初は弟子の関与を否定していた。名指しされた琴光喜本人も当初から関与を否定、夏場所14日目に受けた警視庁の事情聴取でも関与を否定していた。後日、一部週刊誌で阿武松部屋に所属する幕内力士がの野球賭博への関与と阿武松が暴力団と交際があることが報じられるが、阿武松は協会の事情聴取で関与を否定した。同じグループから起こった問題に貴乃花はさぞ心を痛めたであろう。6月に入り、当初は野球賭博への関与を否定していたが、一転して琴光喜らが野球賭博に関与していたことを認めた。野球賭博だけで29人の協会関係者が確認されたほか、掛け麻雀や横綱白鵬らが花札賭博を行っていたことも明らかになった。当初は名古屋場所の開催すら危ぶまれた。7月4日、名古屋市内のホテルで臨時理事会が開催され、琴光喜と大嶽は解雇処分、2014年に大関に昇進した豪栄道(現・武隈親方)、昨年引退した豊ノ島(現・井筒親方)ら18人の力士、理事長の武蔵川をはじめ、佐渡ヶ嶽、阿武松ら11人の親方に謹慎処分が言い渡された。そのため、武蔵川の代行を外部理事の村山弘義がつとめた。また貴乃花はその際、自分のグループから阿武松、大嶽らが野球賭博の中心となっていたことに責任を感じ、協会に退職願を提出したが慰留され、翌日宿舎で退職を撤回した。名古屋場所は予定通り開催されたが、NHKの大相撲中継が中止となる異例の事態となった。場所後、武蔵川が理事長を辞任、放駒が理事長に選任された。放駒体制では、わずか半年で審判部長に就任した。
野球賭博問題に関しては、翌年元力士3名と仲介していた人物の母親が「賭博開帳賭図利」およびその幇助の容疑で逮捕された。その後、東京地方における刑事裁判で4名のうち2名に懲役10ヶ月および執行猶予3年の有罪判決が言い渡されるなど相撲界をゆるがした大きな不祥事へと発展した。

2011年
初場所後の2月2日、前年の野球賭博問題に関する一連の操作で、警視庁が関与した力士から押収した携帯電話の中から、過去に消去されたデータを復元した結果、八百長に関与した力士13人の名前が明らかになった。相撲協会は関与したとされる力士らから事情聴取を行ったものの、力士らは関与を否定した。協会ないに調査委員会を設置した。また、協会は電子メールの内容まで公表した警視庁に対し批判的の意見をのべたものの、警視庁が公表した理由は「公共および公益性の観点」からだったと言う。理事長の放駒は会見で「協会存亡の危機」と述べ、謝罪した。大相撲における八百長に関する疑惑は以前からあったものの、大々的に報じられたのはこのときがはじめてだった。この騒動を受け、同月6日には例年3月に大阪で行われる春場所の中止が決定した。本場所の中止は戦後初の事だった。同時期に貴乃花・景子夫妻は、一部週刊誌て報じられた「自身の八百長に関する疑惑や相続の問題」に関する一連の記事について名誉を傷つけられたとして提訴していた裁判の「控訴審」が東京高裁で行われた。この時、担当裁判官から「八百長問題との関連性」について聞かれた代理人弁護士は、きっぱり否定したとされる。もちろん、控訴審の日程は、八百長問題が明らかになる前から決まっていたとされる。この年の名古屋場所、1988年春場所初土俵で唯一土俵に上がっていた同期で大関だった魁皇が現役引退を表明。貴乃花は「これからは相撲界のために一緒に頑張ろう」とエールを送った。

2012年
初場所後に行われた理事選に立候補し、再選。2期目がスタートした。職務分掌では地方場所(大阪)担当部長に就任、場所前にはなんばグランド花月の吉本新喜劇に出演して場所をPRした。
夏場所後には前年に引退した元大関魁皇の「引退年寄浅香山襲名披露大相撲」に出席し、断髪式で髷に鋏を入れた。式後、貴乃花は「自分達の時代が終わったと感じた。これからは今まで積もった話をしていきたい」と語った。

2014年
初場所後の理事選で3期目の当選。この時、審判部長をはじめ、協会常勤の総合企画部長などの5つの部長職を任された。この年から日本相撲協会が公益財団法人に移行される。また、懇意にしていた北の湖が理事長に再選され、相撲人気回復のための改革がスタート、この年の本場所が大入りが続いた。また、春場所後に横綱に昇進した鶴竜に雲竜型の土俵入りを披露した。

2016年
初場所後の理事選で4期目。協会執行部のナンバー3である巡業部長に就任した。また前年、理事長北の湖が急死したことより改選となった理事長選挙で貴乃花は立候補を表明、春場所前には気合いをいれて坊主頭にしていたことが話題となった。春場所後に行われた理事選では、八角との元横綱同士の決選投票となり、八角6・貴乃花2で八角の圧勝となった。


貴乃花一門の歴史

2010年に実施された理事選で貴乃花を支持した親方と大嶽、阿武松、間垣の4つの部屋で「貴乃花グループ」を結成した。

2012年
元小結旭豊が師匠をつとめる立浪部屋が新たにグループに加わった。

2013年
間垣部屋師匠の間垣が、健康上の理由で春場所を最後に協会を退職、弟子および裏方は、元横綱旭富士が師匠を務める伊勢ヶ濱部屋へ移籍。その中には、のちに大関に昇進した照ノ富士もいた。

2014年
に貴乃花グループにも協会からの助成金が支給されることが正式に決まり、「貴乃花一門」に改称した。既存の出羽海、時津風、二所ノ関、高砂、伊勢ヶ濱と並び6つの一門となった。

2016年
元関脇舛田山の千賀ノ浦が4月に定年を控えていたことから、貴乃花部屋の部屋付きだった元小結・隆三杉の常磐山が千賀ノ浦部屋継承が決定。常磐山と千賀ノ浦の名跡交換を行い、千賀ノ浦部屋は貴乃花一門に移籍した。

2017年
秋巡業中に発生した日馬富士による貴ノ岩への暴行事件で貴乃花を支持した錣山部屋、湊部屋が合流。両部屋は一門には所属していなかったものの、系列の部屋となった。

2018年
前年の暴行事件や貴公俊の暴行事件などの影響から貴乃花は、4月に「看板を下ろしたい」と申し出、了承されたことから、6月20日付けで貴乃花は一門から離脱した。これにより貴乃花一門は消滅した。その後、一旦は「阿武松一門」創設などが検討されたが、名古屋場所後に行われた理事会にて、「すべての親方が時津風、出羽海、二所ノ関、高砂、伊勢ヶ濱の5つのいずれかの一門に所属しなければならない」旨の決定がなされたことから、大嶽、阿武松、千賀ノ浦と系列の錣山、湊の5部屋は二所ノ関一門へ、立浪部屋は出羽海一門へ移籍となった。

横綱日馬富士による弟子・貴ノ岩への暴行事件とその対応から理事解任まで

2017年11月14日、横綱日馬富士が弟子の貴ノ岩にたいしてビール瓶で殴るなどの暴行を働いたことがマスコミで報じられた。この場所貴ノ岩は初日から休場していた。事の発端は秋場所、都内のバーで先輩にあたる元力士らと口論になったことだった。その後、秋巡業中に鳥取県内で母校の鳥取城北高校関係者や横綱白鵬(以下、白鵬)をはじめとするモンゴル人力士らが会食、その際、貴ノ岩がスマートフォンをいじるなどの態度の悪さに日馬富士が激怒し、貴ノ岩をビール瓶で殴り暴行を加えたものだ。その際、白鵬が仲裁に入ったことも後日協会の聴取などで明らかになった。
その後、秋巡業を終え力士らは九州場所のため福岡入りした。貴ノ岩は場所前の11月2日、貴ノはは部屋の宿舎がある福岡県田川市の市長を貴乃花や部屋の関取らと表敬訪問し、「二桁勝てるように頑張りたい」と抱負を語っていた。その3日後の5日に福岡市内の病院に入院、その際、怪我の後遺症とも言える「脳震盪」等で2週間前後の安静加療を要するという診断書が協会に提出され、九州場所を初日から休場した。事件が明るみに出たのは、それから2日後の14日(九州場所3日目)だった。この日、朝稽古を終えた日馬富士は、報道陣の取材に応じ「大変申し訳ない」と謝罪、この日からの九州場所の休場が決定した。その後、師匠の伊勢ケ濱(元横綱旭富士)とともに謝罪のため貴乃花部屋を訪問した。日馬富士・伊勢ヶ濱が到着したとき、貴乃花は会場である福岡国際センターに向かうため、車に乗り込んでいたが、2人の姿に気づいてもそのまま車を発進させた。2人は事前に連絡をしていなかったが、気配に気づきながら貴乃花が車を発進させたことが結果として謝罪拒否となった。日馬富士はのちにこの行動(謝罪拒否)されたことが、「現役引退」につながったが自著で振り返った。協会は当初、この問題については把握していたものの貴ノ岩が最後まで秋巡業に参加していること、通常通り相撲がとれていることなどから大事として認識していなかったが、このとき貴乃花は既に鳥取県警へ被害届を提出していた。この後、警察と協会に提出した診断書の相違や「ビール瓶で殴った」とされる報道を白鵬が否定するなど当初の報道との食い違いが見られ、貴ノ岩や師匠の貴乃花から具体的な説明がないことから、混迷した。事態を重く見た協会は、「協会への報告なしに鳥取県警へ被害届を出したこと」や「日馬富士、伊勢ヶ濱の謝罪に応じなかったこと」など貴乃花にたいして不信感を抱いた。貴乃花は自身や貴ノ岩への協会聴取について「警察が捜査中」であることを理由に断っているなど、貴乃花と八角をはじめとする協会執行部の対立の構図が浮き彫りになった。日馬富士は場所中にも鳥取県警の事情聴取に応じるなど操作に協力してきたが、先述の貴乃花部屋へ謝罪に行った際の貴乃花の態度を目の当たりにし、「親方やおかみさんに迷惑をかけた」という理由から11月29日、福岡の伊勢ヶ濱部屋宿舎で会見を開き、現役引退を表明した。貴乃花は日馬富士が貴ノ岩にたいして「礼儀と礼節を忘れず生きていってもらいたい」と言った言葉に、「話にならに」と怒りをにじませていたと言う。その後、12月3日に長崎県大村市からスタートした巡業には巡業部長として帯同しない事が決定、広報部長の春日野(元関脇栃ノ和歌)が代行した。貴乃花が巡業に同行しない背景には、11月28日に福岡市内で事件を受けて開催された協会内の危機管理委員会の講話の中で「貴乃花親方が巡業部長なら巡業に参加したくない」という白鵬の発言があったと見られる。それから1ヶ月後の12月28日に開かれたに本相撲協会の臨時理事会にて貴乃花が師匠としてまた巡業部長として、被害届を出した旨の報告を怠ったこと、協会の聴取に一貫して非協力的な態度を取り続けたことから「忠実義務違反」の名目で解任決議がなされ、年明けの2018年1月4日に正式に承認されたことで、人気を1ヶ月残したまま、2010年から約8年間つとめた相撲協会理事を解任された。



「貴乃花親方が巡業部長なら巡業には参加しない」

理事解任後

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  • prince 🐺  2021/11/8 09:33

    「貴花田」のときに千代の富士が敗れたあの取り組みは角界あるターニングポイントの前兆

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