【鹿取義隆選手】かっての守護神が宿敵となって巨人ナインに立ちはだかった!
2016年11月25日 更新

【鹿取義隆選手】かっての守護神が宿敵となって巨人ナインに立ちはだかった!

1980年代、無類の安定感を誇り巨人のリリーフエースとして君臨した鹿取義隆選手。だが、トレードによって西武に移籍。そしてかっての守護神が1990年の日本シリーズにおいて、今度は宿敵の一員として、巨人ナインの前に立ちはだかったのである。

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1990年・運命の日本シリーズ

1990年の日本シリーズ、第一戦で先発した槙原投手から初回にデストラーデ選手が特大3ランホームランで先制すると、その後も効果的に加点し、5-0の完勝。
(この時、なぜ第1戦の先発がエースの斎藤投手ではなく、槙原投手だったのか?と議論になりましたが巨人の藤田監督は2戦目を重視しての投手起用だったと言われています。)
巨人・藤田監督が重視した2戦で斎藤投手、3戦では桑田投手と、「先発三本柱」を完全に粉砕。
(スコアは2戦目が9-5。3戦目が7-0)。
そして第3戦には秋山選手の「あのパフォーマンス」が生まれます。
1990年の日本シリーズと言えば・・・

1990年の日本シリーズと言えば・・・

1990年の日本シリーズ第3戦で、本塁打を放ちバック宙でホームインする秋山選手
この前年の1989年の日本シリーズでは近鉄に3連敗で王手をかけられた状態から、奇跡の4連勝で日本一になった巨人ですが、西武相手には奇跡はおこらず、第4戦も7-3で西武の勝利。戦前の予想に反して西武の4連勝。この敗戦を受けて巨人の選手会長の岡崎選手は「野球観が変わった」と言葉を残す程の衝撃を巨人の選手達に与えました。

4戦全てが4点以上の大差がついた事も関係してか、鹿取投手の登板は2戦目の9回1イニングのみ。
しかし、完璧に古巣・巨人打線を抑え込んだのです
グランド一週する西武の選手

グランド一週する西武の選手

右端の背番号26番が鹿取選手です。
その後も鹿取選手は西武の投手陣を支え続け、日本シリーズで何度も登板します。

1992年の日本シリーズにて

引退、そして今

そして鹿取投手は通算91勝46敗131セーブの大記録を残し、1997年に引退します。
(巨人:45勝29敗58セーブ、西武:46勝17敗73セーブ)
西武時代の成績の方が巨人時代を上回っているのです。
引退後すぐ1998年にジャイアンツの二軍投手コーチに就任。
その後も巨人の一軍投手コーチ、ヘッドコーチを歴任。
2002年には、かつてのトレード相手であった西岡良洋外野守備・走塁コーチと奇妙な縁で結ばれ、両者の古巣・西武ライオンズを下して日本一になっています。
※この時巨人には工藤選手、清原選手といった西武の黄金時代を支えた選手がいました。
2002年、日本一

2002年、日本一

84番が鹿取コーチ…なのですが…。
巨人を退団後の2006年には第1回WBCの日本代表投手コーチ。2014年、侍ジャパンのアンダー世代である15U(中学生以下)代表監督に就任。2015年には第1回WBSCプレミア12の日本代表投手コーチを務めるなど、野球の日本代表選手を支えているのです。
WBSCプレミア12の日本代表投手コーチを務める鹿取氏

WBSCプレミア12の日本代表投手コーチを務める鹿取氏

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