ル・クプルに関係するミドルエッジの記事
【なんとなく一発屋】流行った曲【1997年版】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1997年。 一番のヒットは安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」 懐かしいヒット曲はたくさんありますが、その中でも”もしかして一発屋!?”と思うヒットを独断と偏見で選びました。
世間の見方は、やはり「一発屋」ですね。しかもル・クプルは正真正銘の「一発屋」です。その背景を、これから探っていきます。
ル・クプルの「ひだまりの詩」は、この曲です。
ひだまりの詩/Le Couple (OFFICIAL MUSIC VIDEO)
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ル・クプルとは
Le Couple (ル・クプル、フランス語でカップルや夫婦を意味する) は、日本の音楽ユニット。1990年結成。
当時は、藤田恵美、藤田隆二の夫婦によるユニットであったが、2005年活動休止。2007年2月に正式に離婚。藤田恵美は「藤田恵美」、「ル・クプル 藤田恵美」、「ルクプル 藤田恵美」またはEmiで単独での活動をしている。藤田隆二は「藤田隆二」または「ルクプル 藤田隆二」としてプロダクションであるエーミュージックを経営。音楽プロデューサーをしている。
ル・クプルの2人の来歴
藤田恵美は幼稚園の時に劇団ひまわりに入り、小学校の時からドラマの端役で出演するなど子役として芸能界で活動していた。コーラスグループ「ひまわりキティーズ」に参加し、左卜全や若水ヤエ子の楽曲でコーラスを務めた。中学1年の時演歌歌手としてデビューするが売れずに1978年に引退。ブルーグラス、カントリー音楽に出会い、東京・新大塚で不動産屋に勤めるかたわら、アマチュア歌手としてライブハウスで活動を続けた。
藤田隆二は中学2年の時にビートルズの影響を受けギターを始めた。19歳の頃からカントリーバンドのベーシストとして活動。 21歳の時、当時新宿にあったライブハウス「ウィッシュボン」のライブハウス専属バンドに加入。ここで藤田恵美と出会った。
1990年に結婚。結婚後、一時音楽活動を断念するが、3年ほどして夫婦の趣味として再開しオリジナル曲を作り始めた。都内のライブハウスに出演中の所を事務所のチーフマネージャーにスカウトされ、ル・クプルとしてデビューすることになった。
1994年にモコ・ビーバー・オリーブ(ザ・パンチ・パンチ・パンチパーソナリティ三人娘)のカバー曲「海の底でうたう唄」でデビュー。
1997年に発売した5thシングル「ひだまりの詩」は、テレビドラマ「ひとつ屋根の下2」の挿入歌になり、180万枚の大ヒットを記録。年末には第48回NHK紅白歌合戦に出演した。
2005年にLe Coupleの活動を休止。2007年2月初旬に離婚届を提出して正式に離婚(事実上解散)、両者の間に子供は授からなかった。
2015年9月11日に「爆報!THE フライデー」へ元夫妻揃って再会を果たし、活動休止から10年ぶりに「ひだまりの詩」を歌唱披露した。
ボーカルの藤田恵美さんは、お父さんの影響で、幼い頃から芸能事務所に所属し、演歌や歌謡曲を練習していたそうです。
かの有名な「老人と子供のポルカ」のコーラスに参加、中学生の時には、「英実加」名義で、「母の雨」という曲で演歌デビューもしています。
かの有名な「老人と子供のポルカ」のコーラスに参加、中学生の時には、「英実加」名義で、「母の雨」という曲で演歌デビューもしています。
老人と子供のポルカ
どの子かわかりませんが、この中に恵美さんがいるのかもしれませんね。
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孤独に耐えた少女時代と夫・藤田隆二さんとの出会い
藤田恵美さんは、幼い時に両親が離婚し、その後両親は他界してしまいます。孤独な少女時代を過ごした彼女は、家族というものに憧れを持つようになります。
1983年に、当時恵美さんが加入していたバンドに、藤田隆二さんが加入します。二人は意気投合し、7年後に結婚。孤独だった恵美さんは、念願の家族を手に入れます。
1983年に、当時恵美さんが加入していたバンドに、藤田隆二さんが加入します。二人は意気投合し、7年後に結婚。孤独だった恵美さんは、念願の家族を手に入れます。
売れなかった下積み時代とキャラバン活動
結婚3年後に、2人はル・クプルを結成します。
当時2人は30歳でした。アーティストとしては遅いデビューとなります。
売れない日々を過ごしますが、隆二さんは恵美さんの才能を信じ、2人は活動を続けます。
そして、2人で有線放送局631局を、9か月かけてキャラバン営業活動をします。
当時2人は30歳でした。アーティストとしては遅いデビューとなります。
売れない日々を過ごしますが、隆二さんは恵美さんの才能を信じ、2人は活動を続けます。
そして、2人で有線放送局631局を、9か月かけてキャラバン営業活動をします。
「ひだまりの詩」との出会い
そのキャラバン活動の結果が出て、「ひだまりの詩」を、恵美さんに歌って欲しいというオファーが届きます。
当時ル・クプルの楽曲は隆二さんが作っていたのですが、この「ひだまりの詩」は、まったくの別人が書いた曲を歌うということで、二人の間ではとまどいがあったようです。しかし、最終的にこのオファーを受け、「ひだまりの詩」が完成します。
当時ル・クプルの楽曲は隆二さんが作っていたのですが、この「ひだまりの詩」は、まったくの別人が書いた曲を歌うということで、二人の間ではとまどいがあったようです。しかし、最終的にこのオファーを受け、「ひだまりの詩」が完成します。
180万枚の大ヒット、紅白にも出場
「ひだまりの詩」は、180万枚の大ヒット(155万枚という情報もあります。)となります。1997年のチャート3位、歴代チャートでも70位という記録を打ち立てました。
その勢いで、NHK紅白歌合戦にも出場を果たします。
その勢いで、NHK紅白歌合戦にも出場を果たします。
97KOUHAKU Le couple
紅白歌合戦は、通常より間奏などが短くされるので、歌いだしに失敗しているのがご愛嬌。
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