ロッテと中日の大型トレード
1986年のオフ、ロッテの落合博満は、恩師の稲尾和久監督の退任に伴い、自らも退団を希望します。一方、中日で就任したばかりの星野仙一監督は落合を熱望。星野の働きかけで、大型トレードが実現します。対象者は次の通りです。
ロッテオリオンズ(1名) | 中日ドラゴンズ(4名) |
---|---|
落合博満(内野手) | 牛島和彦(投手) |
上川誠二(内野手) | |
平沼定晴(投手) | |
桑田茂(投手) |
ロッテ→中日(1名)
落合博満
落合博満は当時、3度の三冠王を獲得したパ・リーグを代表する大打者で、1986年はその3度目の三冠王を獲得したばかりの年でした。特に、1985〜1986年は2年連続の獲得で、1985年は、打率.367、52本塁打、146打点、1986年は、打率.360、50本塁打、116打点と数字も文句なしの記録。ロッテにすれば、落合をトレードに出す理由は一つもありませんでした。しかし、当時の監督だった稲尾和久が解任されると、稲尾を師と仰ぐ落合は不満を抱いて退団を希望。中日・星野仙一監督も落合獲得に強く動いたことから、世紀の大トレードが実現しました。
セ・リーグに移っても落合の活躍は変わらず、一年目の1987年から数字を残します。打率は、トップとわずか2厘差の.331で3位。また、前年に続いて、最高出塁率のタイトルを獲得し、チームは前年5位から2位へと躍進します。そして翌1988年も安定した活躍で、チームのリーグ優勝に貢献しました。名将・星野監督にとって、初めてのリーグ優勝です。
その後はさらに成績を伸ばし、1989年に打点王、1990年に本塁打と打点の二冠、1991年に本塁打王を獲得しました。両リーグ打点王、両リーグ本塁打王は、落合が史上初です。中日には、1993年まで在籍。その年のオフにFA権を行使し、巨人に移籍しています。
セ・リーグに移っても落合の活躍は変わらず、一年目の1987年から数字を残します。打率は、トップとわずか2厘差の.331で3位。また、前年に続いて、最高出塁率のタイトルを獲得し、チームは前年5位から2位へと躍進します。そして翌1988年も安定した活躍で、チームのリーグ優勝に貢献しました。名将・星野監督にとって、初めてのリーグ優勝です。
その後はさらに成績を伸ばし、1989年に打点王、1990年に本塁打と打点の二冠、1991年に本塁打王を獲得しました。両リーグ打点王、両リーグ本塁打王は、落合が史上初です。中日には、1993年まで在籍。その年のオフにFA権を行使し、巨人に移籍しています。
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中日→ロッテ(4名)
牛島和彦
牛島和彦は、高校時代は甲子園で活躍した浪商高のエースで、バッテリーを組んだ香川伸行と共にプロ入りしました。プロ入り後は、中日の抑えの切り札として活躍。1982年は7勝17セーブを挙げ、リーグ優勝に大きく貢献しました。1984年にも最多セーブを記録。その後は、先発・リリーフの両方をこなしますが、その活躍ゆえに落合のトレード相手として白羽の矢が立ちました。
ロッテでも、一年目から抑えの切り札として大活躍。1987年には、2勝24セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得すると、翌1988年は1勝25セーブで最多セーブを記録します。そして、3年目の1989年には先発に転向し、今度は12勝を挙げる活躍を見せました。その後は、持病や怪我で登板機会が減少。1993年、32歳の若さで引退しています。
ロッテでも、一年目から抑えの切り札として大活躍。1987年には、2勝24セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得すると、翌1988年は1勝25セーブで最多セーブを記録します。そして、3年目の1989年には先発に転向し、今度は12勝を挙げる活躍を見せました。その後は、持病や怪我で登板機会が減少。1993年、32歳の若さで引退しています。
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上川誠二
上川誠二は、1982年に社会人野球からドラフト外で中日に入団。一年目から一軍で99試合に出場し、その年のリーグ優勝に大いに貢献します。西武との日本シリーズでは、全試合に出場し、21打数6安打6打点と大暴れ。敗れはしたものの、中日で最も活躍した選手に贈られる敢闘賞を受賞します。1984年にはリーグ11位の打率.309するなど、強打者として活躍しました。
ロッテでも、移籍初年から出場機会を得て活躍。1989年はギリギリ規定打席に到達しなかったものの、打率.285、12本塁打、43打点と自身最高の成績を残します。その後は出場機会が徐々に減少し、1993年オフに引退。引退後は、ロッテと古巣中日の両方で二軍コーチを務めました。
ロッテでも、移籍初年から出場機会を得て活躍。1989年はギリギリ規定打席に到達しなかったものの、打率.285、12本塁打、43打点と自身最高の成績を残します。その後は出場機会が徐々に減少し、1993年オフに引退。引退後は、ロッテと古巣中日の両方で二軍コーチを務めました。
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平沼定晴
平沼定晴は、千葉商大高からドラフト2位で中日に入団。貴重な中継ぎ投手として活躍しますが、在籍4年でロッテに移籍します。
ロッテでも中継ぎとして活躍。毎年のように40試合近くに登板し、万年Bクラスだったロッテの暗黒時代を支えた一人です。1989年には、西武の清原和博に死球を与えた際、バットを投げつけられる事件があり、当時かなり話題になりました。
ロッテには9年在籍し、1996年には古巣の中日に復帰します。1998年に西武に移籍し、その年限りで引退。引退後は、打撃投手として中日の躍進に貢献しました。
ロッテでも中継ぎとして活躍。毎年のように40試合近くに登板し、万年Bクラスだったロッテの暗黒時代を支えた一人です。1989年には、西武の清原和博に死球を与えた際、バットを投げつけられる事件があり、当時かなり話題になりました。
ロッテには9年在籍し、1996年には古巣の中日に復帰します。1998年に西武に移籍し、その年限りで引退。引退後は、打撃投手として中日の躍進に貢献しました。
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桑田茂
桑田茂は、大阪の北陽高からドラフト外で中日に入団。球種が多く主に中継ぎとして活躍した投手です。1986年には、先発と中継ぎで25試合に登板しました。
ロッテでは、1987〜1988年で計6試合に登板。目立った活躍はないまま、翌1989年に引退しています。
ロッテでは、1987〜1988年で計6試合に登板。目立った活躍はないまま、翌1989年に引退しています。